なぜ、自分の毒にやられないのか
毒をもつ動物たちは、なぜ自分の毒にやられないのでしょうか。ヘビなど「(毒をもつという意味で)進化の程度がより進んでいる生物」の場合、毒を分泌する毒腺や毒をためる毒嚢(どくのう)が、他の器官や循環器系と分かれて体内で独立していることが挙げられます。また、たんぱく質でできた毒物の多くは活性がとても強く、そのまま体内にため込んでいるのは危険です。そこで、活性が強くなる一段階前の「前躯体」としてため込んでおいて、いざ使うときにペプチド鎖の一部を加水分解するなどして毒性を発揮するようにするという例もあります。
哺乳類にも毒をもつものがいます。かなり珍しいのですが、トガリネズミ、カモノハシ、ソレノドンなどが挙げられ、その毒はヘビなど爬虫類と同じく、唾液腺や毒腺から分泌されます。筆者はこれらの動物のユニークな生態に特に興味をひかれて、研究対象としてきました。
一方、魚など「進化の程度があまり進んでいない生物」の場合、フグの卵巣や肝臓の例にみられるように、必ずしも毒をもつ組織が体内で独立していません。しかし、フグの場合には、毒物が結合するイオンチャネルの形が、他の生き物たちのそれと微妙に違っているので、自分の毒が自分のイオンチャネルに作用しないようになっているのです。
沿岸の軟体動物ががんの特効薬に
海洋生物は薬のもととなる化合物の宝庫です。筆者のグループでは、日本の沿岸に生息するアメフラシという軟体動物に注目してきました。彼らはアプリロニンAと呼ばれる非常に強い毒をもっていて、その毒はマウス実験においてがん細胞の増殖を抑え、死滅させる効果を示します。そのメカニズムについて、細胞を構成するアクチンフィラメントと微小管の両方が作用標的であることまでわかってきています。微小管は、細胞を支える細胞骨格の一つとなるたんぱく質で、細胞分裂の際にも紡錘体を形成するなど、重要な役割を担っていますが、アプリロニンAはアクチンと相乗的に働いて、微小管の重合・脱重合を阻害します。細胞には、細胞周期といって、分裂・増殖のサイクルが備わっているのですが、このサイクルを止めると、細胞自身が異常を感知してアポトーシス、つまり「自死」していきます。それは無限の増殖をくりかえすがん細胞であっても同様で、最終的には自発的に死んでいくことになるのです。
アプリロニンAは人工的に合成することもできるのですが、構造がとても複雑で、実験室レベルでは限られた量しか得られず、現状のままでは、臨床試験もできません。新しい制がん剤をつくりだすためには、構造をより単純化する必要がありますし、がん細胞だけで発現している異常な染色体のみを作用標的とするような、さらに選択的な機能をもった化合物をつくらなければなりません。それを実現するためには、コンピューターを活用した分子設計など、何か特別な視点や工夫が必要になるのだろうと思っています。
未知の天然毒物は宝物
興味深い活性を示す天然由来の化合物は、身近なものについていえば、ここ10~20年ほどの間に掘り尽くされてしまった感があります。しかし、まだ誰も見つけていないものや、活性の本体を取り出せていないものが隠れているかもしれません。そして、熱帯雨林や亜熱帯、アマゾンのジャングルなど、生物多様性に富んだ未開の地にまで視野を広げれば、今までにない新しい働きをする天然物がどれほど存在しているか想像もつきません。それらを探し当てる研究は宝探しのようで、ビギナーズラックもあれば、何年かけても新しい物質にたどりつけないこともあります。ようやく探し当てたものが実はありふれた物質だったということもあれば、他の人に先を越されていたということもあります。
それでも、他人があまり手を出さないような特殊な研究を進める意味は大きく、新しい場所へと赴き、他の分野の研究者たちと交流をもちながら、宝探しのような研究に勤しむのも楽しいものです。研究領域にしても、現実の世界にしても、誰も立ち入っていないフィールドには、まだまだ大きな可能性が秘められているのではないでしょうか。
ところが、現実の世界ではある懸念がぬぐえません。熱帯雨林やジャングルを切り崩し、開発していこうとする動きはとどまるところを知りません。その行為は、可能性にあふれた生命の多様性とともに未知の貴重な資源までも永遠に失ってしまうことにほかならないのです。私たちの研究を通して、新規な活性物質の発見にとどまらず、ユニークな絶滅危惧種の動植物の保護や、生物多様性の保全活動の促進につながることを願っています。
化合物(compound)
2種類以上の元素が化学結合で結びつくことで、元素単体とは異なる、新しい性質を得た物質のこと。
イオン(ion)
電子を失うか受け取るかすることで電荷を帯びた原子、または原子団のこと。陽イオン(カチオン)、あるいは陰イオン(アニオン)がある。
イモガイ(cone shell)
サトイモのような形をした肉食性の小型の巻き貝。ペプチド性の強い神経毒をもち、骨と同じような成分でできた銛(もり)を獲物に刺して毒を注入する。この銛には「かえし」が付いていて簡単には抜けず、自分より大きな魚さえ一瞬でマヒさせたうえで、丸飲みにしてしまう。ダイバーが刺されて死亡するような事故も、ときどき報告される。
ペプチド(peptide)
アミノ酸が、同種、異種を問わず、2個以上、ペプチド結合(-CO-NH-)によって結合したもの。約10個以下のアミノ酸が結合したものはオリゴペプチド(oligopeptide)、それ以上結合したものはポリペプチド(polypeptide)という。ポリペプチドのうち、分子量5000~1万以上で、折りたたまれた特定の立体構造をとることで様々な機能をもつ分子を「たんぱく質(protein)」という。たんぱく質の中でも、化学反応を促進する触媒としての機能をもつものを「酵素(enzyme)」という。
ポリエーテル化合物(polyether compound)
海洋の微生物が生産する強い生物活性を示す化合物で、二次代謝産物というカテゴリーに含まれる。酸素原子を1個含むエーテル環がいくつもはしご状につながり、ヘビのような骨格をとる化合物で、とても複雑で多様な構造と機能をもつ。
トガリネズミ(shrew)
モグラ(食虫目)の仲間にあたり、体長も2~10センチ程度と哺乳類の中でも最も小さな部類に入る。獲物に噛みつき、顎下腺から分泌する毒を唾液とともに獲物に注入。主な餌はミミズや昆虫などで、唾液にはこれらをマヒさせる神経毒が含まれるとされるが、その成分はわかっていない。
日本では主に北海道に生息しているが、世界では約300種以上が知られている。アメリカ合衆国に生息するブラリナトガリネズミの毒は特に強く、自分よりもずっと大きなネズミを殺すほどの殺傷力を示す。筆者は2004年にその有毒成分がプロテアーゼ(たんぱく質を分解する酵素)の一種であることを突き止めた。ヒトをはじめ、哺乳類の唾液には、様々な種類のプロテアーゼが含まれるが、致死活性を示す哺乳類のプロテアーゼは、他に例は知られていない。
カモノハシ(platypus)
哺乳類でありながら、くちばしや水掻きをもち、卵を産んで乳で子供を育てるという珍しい動物。体長は40~60センチほどで、オーストラリアのみに生息する。オスのみが毒をもち、脚の付け根にある蹴爪(けづめ)を使って相手に毒を注入し、強烈な痛みを引き起こす。
希少生物で保護の対象となっているため、野生のものを捕獲することはできず、筆者はシドニーのタロンガ動物園の協力を得て、この毒液を採取し、神経毒作用を示すペプチド等を発見している。
ソレノドン(solenodon)
6500万年前から姿形がほとんど変わっていなく、「生きた化石」とも称される原始的な哺乳類。体長は30センチ前後で、モグラの仲間では世界でも最も大きな種とされる。ハイチ、キューバにのみ生息し、その歯には溝があり、毒腺から分泌された毒を唾液とともに相手に注入する。キューバソレノドンは特にスペイン語で「アルミキ(Almiqui)」と呼ばれる。
絶滅危惧種に指定されているが、筆者はキューバ共和国環境省などの許可を得て、2012年および13年にアレハンドロ・デ・フンボルト国立公園の保護地域で生態調査を行い、毒をもつ唾液の採取に成功した。現在、この唾液成分の化学分析を進めている。
アメフラシ(sea hare)
体長15センチほどの海洋軟体動物。一般に食用にはならないが、隠岐諸島などでは一部食用にする例もある。地域によって毒性に差があるが、これは食物連鎖で蓄積するシアノバクテリアやプランクトンの違いに起因するとされる。
重合(polymerization)・脱重合(depolymerization)
重合は、分子が結合によって、より巨大な分子になること。脱重合は、その逆の反応のこと。