生物たちが毒をもつことは、獲物の捕獲や防御の手段としてメリットがある半面、大きな代償もともないます。毒物をつくるためには相当なエネルギーを必要としますし、体内にためておくこと自体が危険です。それでもなお、毒をもつ生物がいるということは、毒のメリットがデメリットを上回っているということで、そこには生物の進化や生態学に関わる興味深い事例も見え隠れします。
毒探しはやめられない
未知の天然有機化合物(天然物)を探しだすためには、実際に自然の中へと赴き、動物を捕獲するようなフィールドワークが欠かせません。たくさんの荷物を背負って外国の人里離れた奥地まで立ち入ることも、山岳地帯のような険しい場所でキャンプをすることもあります。しかし、そうした活動も山登りをたしなんできた筆者にとっては仕事に趣味が通じているようなものですし、実験室に閉じこもっているよりも楽しく感じます。そしてもう一つ、自然界で暮らす生物たちや自然界の情報をじかに観察しなければ、天然物の実際の働きやメカニズムは理解できないのではないかと、筆者は考えています。また、フィールドワークは生態学や進化生物学など他の分野の研究者たちと共同で行うことも多く、自分の領域とは違った視点をもつ人たちから学ぶことは新鮮で面白く、刺激になるものです。
もちろん、自然の中での活動にはトラブルも付きもので、毒をもつ動物に噛まれたり刺されたりすることも覚悟しなければなりません。さいわいにして、筆者は今のところそうした目には遭っていませんが。
自然界には進化した未知の毒が隠れている
強い活性をもたらす化合物は、鉱物などにもみられますが、興味深いのは生物に由来するものです。中でも、多様で複雑な構造やメカニズムを備え、より強い活性をもたらす毒物には一層の興味をひかれます。一部の生物たちは、生存のために毒をもつように進化してきました。それは同時に、毒となる化合物そのものも、分泌、蓄積、相手への使用という連鎖の中で次第に洗練され、化学的に進化してきていることを意味します。彼らの毒を調べていくと、化学的な構造からは予想もつかない特殊な働きをみせるものに出合うことがあるのです。
毒とは、そもそも
ヒトをはじめ、生物の体はホメオスタシス(恒常性)によって適切な状態に維持されています。恒常性は外部からの影響も受けますし、血圧や血糖値などの変化に対しても一定の範囲に保つべく絶えず調節をしているものですが、その恒常性を乱す化学物質を毒物ということができます。一般に、「強い」毒物は神経系に働くものが多く、動物たちの毒にもよくみられます。神経組織では、長く配列した神経細胞から神経細胞へと順次信号を伝達していきます。この信号伝達にあたっては、カリウムやナトリウムなどのイオンや、アセチルコリンなどの小さな分子が、重要な役割を担っています。神経細胞には、こうした神経伝達物質を細胞から出し入れするイオンチャネルなどの構造物(受容体)があります。細胞内外の変化を受けて信号伝達に必要な化学反応が進むのですが、神経毒にはこれらの受容体に結合して神経細胞の機能をブロックしてしまうものがあります。
すると、神経系の信号伝達が遮断され、マヒや呼吸器系の機能不全を起こすなど、重篤な症状にいたります。あるいは逆に、神経伝達を異常に活性化することもあり、そうした場合はけいれんを引き起こしたりします。
人間は毒とどう関わってきたのか
人と毒との関わりは古く、ヤドクガエルの皮膚から分泌される神経毒を使う毒矢をはじめ、多くは殺傷の目的で利用されてきました。しかし、注目すべきは、毒から薬をつくりだす展開です。毒というものは一定以上の濃度であると、まさに毒として働きますが、適切な濃度で用いれば、また違う働きをみせることがあります。南米原産のキナという樹木の樹皮から抽出するキニーネという成分は、マラリアを引き起こすマラリア原虫に対して特異的に毒として働くため、特効薬として古くから知られています。人工の毒物でも、たとえば1930年代に開発され、第二次世界大戦中に使用されたナイトロジェンマスタードは、その後の研究で、がん細胞のDNAに結合し、細胞の増殖を抑える作用が見いだされました。そして56年になると、揮発性を抑えるように化学構造を少しだけ変えたシクロホスファミドが開発され、抗がん剤として臨床の場で用いられるようになりました。
がんの痛みをやわらげたい
末期がんの患者を苦しめる強烈な痛みは神経因性疼痛(とうつう)といって、ふつうの痛みのメカニズムとは異なり、神経そのものが損傷を受けることで生じるため、通常の痛み止めでは役に立ちません。この疼痛を緩和するためにモルヒネなどが使われますが、効果がないことや副作用のために使用できないことがあります。しかし、アメリカでの話になりますが、イモガイという貝類の毒を使って疼痛を緩和する治療が行われています。イモガイにはコノトキシン類というペプチド毒が含まれており、痛み情報の伝達を遮断する作用があり、その作用が注目されています。ただし、効果を得るためには、脊髄などの神経系に直接針を刺して投与しなければならず、相応の困難がともないます。無毒の生物が毒化する
動物がもつ毒には、自分自身の体内でつくられるケースと、食物連鎖によって外部から体内に蓄積するケースと二通りあります。前者の場合では、もともと特定のペプチドやたんぱく質などの遺伝情報がその動物自身のDNAに書き込まれています。対して後者の場合では、おもに海洋生物でみられるように、他者である微生物がつくりだすポリエーテル化合物などをため込み、自らの毒としています。たとえば、海のある水域が「富栄養化」して、有毒プランクトンが周期的に大発生することがあります。それは赤潮の原因になるだけでなく、食物連鎖などで移行することで、貝類や魚類が毒化する場合があります。
同様の毒化は二枚貝でもみられ、最近では大阪湾でのにアサリによる食中毒などが報告されています。膨大な海水を吸ってバクテリアやプランクトンを栄養分としてこし取っていく過程で、有害な成分をつくるものも体内に取り込んでしまうのです。
このような事例の直接の原因は、海水の温暖化です。それまで熱帯や亜熱帯地域でしか生息できなかった微生物の繁殖域が、温暖化によって広がってきているのです。
化合物(compound)
2種類以上の元素が化学結合で結びつくことで、元素単体とは異なる、新しい性質を得た物質のこと。
イオン(ion)
電子を失うか受け取るかすることで電荷を帯びた原子、または原子団のこと。陽イオン(カチオン)、あるいは陰イオン(アニオン)がある。
イモガイ(cone shell)
サトイモのような形をした肉食性の小型の巻き貝。ペプチド性の強い神経毒をもち、骨と同じような成分でできた銛(もり)を獲物に刺して毒を注入する。この銛には「かえし」が付いていて簡単には抜けず、自分より大きな魚さえ一瞬でマヒさせたうえで、丸飲みにしてしまう。ダイバーが刺されて死亡するような事故も、ときどき報告される。
ペプチド(peptide)
アミノ酸が、同種、異種を問わず、2個以上、ペプチド結合(-CO-NH-)によって結合したもの。約10個以下のアミノ酸が結合したものはオリゴペプチド(oligopeptide)、それ以上結合したものはポリペプチド(polypeptide)という。ポリペプチドのうち、分子量5000~1万以上で、折りたたまれた特定の立体構造をとることで様々な機能をもつ分子を「たんぱく質(protein)」という。たんぱく質の中でも、化学反応を促進する触媒としての機能をもつものを「酵素(enzyme)」という。
ポリエーテル化合物(polyether compound)
海洋の微生物が生産する強い生物活性を示す化合物で、二次代謝産物というカテゴリーに含まれる。酸素原子を1個含むエーテル環がいくつもはしご状につながり、ヘビのような骨格をとる化合物で、とても複雑で多様な構造と機能をもつ。
トガリネズミ(shrew)
モグラ(食虫目)の仲間にあたり、体長も2~10センチ程度と哺乳類の中でも最も小さな部類に入る。獲物に噛みつき、顎下腺から分泌する毒を唾液とともに獲物に注入。主な餌はミミズや昆虫などで、唾液にはこれらをマヒさせる神経毒が含まれるとされるが、その成分はわかっていない。
日本では主に北海道に生息しているが、世界では約300種以上が知られている。アメリカ合衆国に生息するブラリナトガリネズミの毒は特に強く、自分よりもずっと大きなネズミを殺すほどの殺傷力を示す。筆者は2004年にその有毒成分がプロテアーゼ(たんぱく質を分解する酵素)の一種であることを突き止めた。ヒトをはじめ、哺乳類の唾液には、様々な種類のプロテアーゼが含まれるが、致死活性を示す哺乳類のプロテアーゼは、他に例は知られていない。
カモノハシ(platypus)
哺乳類でありながら、くちばしや水掻きをもち、卵を産んで乳で子供を育てるという珍しい動物。体長は40~60センチほどで、オーストラリアのみに生息する。オスのみが毒をもち、脚の付け根にある蹴爪(けづめ)を使って相手に毒を注入し、強烈な痛みを引き起こす。
希少生物で保護の対象となっているため、野生のものを捕獲することはできず、筆者はシドニーのタロンガ動物園の協力を得て、この毒液を採取し、神経毒作用を示すペプチド等を発見している。
ソレノドン(solenodon)
6500万年前から姿形がほとんど変わっていなく、「生きた化石」とも称される原始的な哺乳類。体長は30センチ前後で、モグラの仲間では世界でも最も大きな種とされる。ハイチ、キューバにのみ生息し、その歯には溝があり、毒腺から分泌された毒を唾液とともに相手に注入する。キューバソレノドンは特にスペイン語で「アルミキ(Almiqui)」と呼ばれる。
絶滅危惧種に指定されているが、筆者はキューバ共和国環境省などの許可を得て、2012年および13年にアレハンドロ・デ・フンボルト国立公園の保護地域で生態調査を行い、毒をもつ唾液の採取に成功した。現在、この唾液成分の化学分析を進めている。
アメフラシ(sea hare)
体長15センチほどの海洋軟体動物。一般に食用にはならないが、隠岐諸島などでは一部食用にする例もある。地域によって毒性に差があるが、これは食物連鎖で蓄積するシアノバクテリアやプランクトンの違いに起因するとされる。
重合(polymerization)・脱重合(depolymerization)
重合は、分子が結合によって、より巨大な分子になること。脱重合は、その逆の反応のこと。