日本人は根っからの虫好き
今年も夏が来てしまった。夏といえば、少なくとも虫が好きで、なおかつ虫の研究により生計を立てている私にとっては、虫以外に思いつくものがない。海も花火も差し置いて、虫しか考えられない。初夏から夏にかけて、日本では野山はもとより庭先、果ては家の中まで虫に満ちあふれ、好きな人にも嫌いな人にもたまらない季節である。私が幼稚園児ぐらいの頃までは、まだギリギリ昆虫採集というものが、夏休みの宿題やら自由研究やらで市民権を保っていたように思う。しかし、その後の行き過ぎた自然保護、動物愛護思想の浸透から、昆虫採集が野蛮で残酷な道楽と見なされるようになり、一時、小学校から締め出された時期があった。近年も地域により若干その気配は残っているものの、それでも自然の中で実際に手で触れられて、なおかつ生物の持つ多様性(種、色彩、形態、行動)を直に学べる手段として、子どもが行う昆虫採集の意義は見直されつつあると思う。
加えて子どものみならず、虫好きな若い女性(いわゆる虫ガール)がマスコミその他で話題になったり、未来の食料として昆虫に着目する人々が現れ、都内で試食会が開かれるなど、日本では虫に関する話題に事欠かない。日本人なら誰でも知っている、かの有名なファーブルの『昆虫記』も、原作者の故郷フランスでは極めて認知度が低いらしい。日本人は、良きにつけ悪しきにつけ、虫のことが気になって仕方ない民族なのだろう。
先日、私はイミダス編集部から「夏休みに向けて親子を対象にした、虫の観察法の極意について書いて欲しい」との依頼を受けた。私は、ほとんどカンと脊髄反射で虫を日常的に探して採っているため、極意を書けと言われても正直明文化しがたいものがあった。かといって、今さら「黒砂糖と焼酎と酢を煮詰めてクヌギの木に塗るとカブトムシが来る」とか、「紙コップを地面すれすれに落とし穴のように埋めて、中に腐った肉を放り込んでおくとゴミムシが落ちる」とか、世に出ている大概の昆虫図鑑の後ろに載っているような事をここに書き並べても、何の面白みもない。
しかし、改めて自分の虫採りスタイルを見つめ直してみると、ある二つの原則に従っていることに気がついた。なので、本稿ではそのことについて書いてみることにする。
他人が思いつかないことをやる
私の中にある虫採りの2大原則のうち一つは、とにかく「中二病」をこじらせることだ。中二病とは、中学2年生あたりの青少年にありがちな、何かにつけ背伸びしたがる言動を揶揄(やゆ)したスラングである。人によりこのスラングの解釈は若干異なるが、達観を気取りマイナーを好む、権威に追従するを良しとしない様と言えば、間違いではなかろう。私は、昔から偉い奴が嫌いだ。偉い奴が「やるな」と言うことは是が非でもやるし、「やれ」と言うことは死んでもやりたくない、を信条にこの30余年を生きながらえてきた。虫採りでも同じである。
周りの連中とは違う、珍しい虫を採ろうと思ったら、とにかく周りがやっているのと同じようなことをしていたのでは、絶対に不可能だ。他人が思いもつかないことを常時考え、それを実行することが大切である。
例えば、シロアリモドキヤドリバチというハチがいる。九州南部のとある市街地に近接した山が、国内唯一の生息地として知られる珍種で、シロアリモドキというバッタの遠い親戚にあたる小昆虫に寄生する習性を持つ。1960年から70年代に、わずかな個体が得られて以後、日本の名だたるハチの専門家が束になって探しても発見されず、環境省の絶滅危惧種にまで指定されたハチである。
このハチが最初に発見されたことを報じた論文をひも解いてみると、「7月頭に成虫が得られた」という記述が認められる。おそらく専門家たちは、これに基づいて誰も彼もが7月頭に探しに行ったのではないかと、私は考えた。それでいて、全員見つけられていないわけである。
私はこの論文に書いてある7月頭という時期が、実は何かの間違いで偶然時期はずれに出てしまった個体の記録であり、本来の発生時期というのが別にあるのではないかと邪推した。そこで2014年、7月頭よりかなり早い時期とかなり遅い時期の2回、このハチの生息地とされる山に入って探索をしてみた。
その目論見はまんまと成功し、かなり遅い時期に行った探索で、あっさりこのハチを見つけることができたのだ。実に42年ぶりの再発見であった。私は別に、ハチの研究をしているわけではない。しかし、たかだか少し時期を違えて探す程度のことで、ハチの研究に血道を上げてきた専門家さえ見つけられなかったものを、あっけなく発見できたのである。
研究者の虫探しはこんな感じ
「年長者の言うことには耳を傾けるものだ」とはよく言われるが、こと虫採りに限って言うならば、案外そうでもないと私は思っている。昆虫という分類群は、すさまじい種数を誇る分類群であり、そのそれぞれの分類群に関して研究を行っている専門家たちが数多くいる。昆虫の専門家というのは、確かに自分が研究対象としている昆虫分類群に関して、長年の研究や観察、経験に裏打ちされた豊富な知識を持っている。しかし、その「長年の経験に基づく知識」というのは、ともすれば「単なる先入観や思いこみ」とも紙一重である。
私は今まで、様々な昆虫分類群の専門家たちと野外で調査を行う機会を得てきた。その中で、私はそれら専門家の人々を見て「あれ? 何でこの人はこういう探し方をしないんだ?」と思うことが少なくなかった。その「こういう探し方」をすれば、明らかに効率よく目的の虫が採れるはずなのにである。
専門家という人たちは、先入観にとらわれて自ら虫探しの手段、視野を狭めてしまう傾向が往々にして認められる。他方、素人は経験も何もないゆえに、様々な方法を考えては馬鹿正直に試みて、その虫がそこにいない・採れない可能性を一つ一つ潰そうとする。そのため、結果として専門家が見落としてきたとんでもない珍種を得ることが少なくないのだ。
私はアリの巣内に共生する昆虫を、自身の主な研究材料としている。アリの巣内には餌資源や隠れ家となる隙間が多く、また外敵の攻撃も防ぎやすいことから、アリでない昆虫が多く住みついている。
そうした共生昆虫たちは、種ごとに決まった種のアリの巣だけに住みつく傾向が認められる。多くの共生昆虫たちに宿主(寄生する相手)として好まれるアリの分類群は、比較的決まっており、そうでないアリ種の巣をいくら調べても共生昆虫は発見できない。
国内外で様々なアリ種の巣を開けて調査するうち、共生昆虫が「採れるアリ種」と「採れないアリ種」というのが何となく分かってきて、しまいには「採れるアリ種」の巣しか調べようと思わなくなる。ところが、何かの気まぐれで「採れないアリ種」の巣を調べてみた時、それまで見たこともないような非常に珍しい共生昆虫が得られる場合が、ごくまれにあったりする。
また、この地域では「採れないアリ種」のはずなのに、別の地域でその同じアリ種の巣を調べると、これまたとんでもない珍種あるいは新種の共生昆虫が得られたりする、ということもある。そうした、低頻度ながらも一獲千金を得られる可能性を考慮しつつ、私はなるべく「採れるアリ種」「採れないアリ種」の別なく、様々なアリの巣を包括的に調べるよう意識的に心がけている。
同行する専門家たちの、「そんなアリの巣ほじくったって、何も出てこないよ」の甘言には、極力耳を貸さない精神力が必要となる。
昆虫採集に必要な極意は○○
虫採りの2大原則の二つめ、それはとにかく信じること。何を信じるかって、虫をである。アホみたいな話に聞こえるかもしれないが、本当だ。なぜなら、そうでなければ探される立場の虫に対して失礼ではないか。もし自分自身が虫の立場になったとして、自分のことをちゃらんぽらんな気分で探している人間の前にわざわざ出ていってやろうと思えるか、想像してみればいい。