脳に秘められた柔軟性
科学者としての私の根本的な目的は、神経系の可能性や柔軟性、そして特に脳の可塑性、つまり状況に応じて柔軟に変化するような性質を明らかにしていくことです。人工神経接続はそのための方法論です。たとえば私の関心事の一つに、脳の機能地図は確定事項ではないのではないか、というものがあります。教科書的な説明として、脳は場所によって役割が異なり、視覚野や聴覚野、運動野などに分かれているというものがあります。果たしてそれは正しいのでしょうか? 私が行った次の実験は、この定説に対し一つの反証となる材料を提供しています。
まず、サルの大脳皮質にある、手の運動機能を担う領域に損傷を起こさせます。すると、脳から運動の指令が出なくなるため手にマヒが生じます。指先で物をつまむというような器用な手先の動作はヒトと一部の動物だけがもつ高度な運動機能です。マヒした手の回復は不可能とこれまでは考えられてきました。しかし、このサルに積極的なリハビリを行わせた結果、約1カ月後には運動機能が回復しました。これは、リハビリによる機能回復の過程で、損傷した手の運動機能を担う領域を補おうとして脳に何らかの変化が生じたと考えられます。
脳の変化を探るべく、サルが手を用いた器用な動作を行っているときの脳活動を、PETというコンピューター断層撮影装置を使って調べてみました。リハビリによって器用な動作が回復したころ、手の運動機能を担う脳領域の活動は減少していましたが、逆に損傷前よりも活動が活発になった別の大脳皮質の脳領域が複数認められました。さらに、数カ月経過したころの脳活動を調べたところ、損傷させた脳領域のすぐ近くの脳領域の活動が高まっていることがわかったのです。
この結果は、損傷した手の運動機能を担う脳領域を別の領域が肩代わりすることと、損傷した領域の機能を補う新たな運動指令を伝える経路が確立された可能性を示唆しています。
リハビリを行ううえで面白い実験結果も得られています。脊髄損傷を起こして親指と人差し指をうまく使うことができなくなったサルは食物をつまめませんが、リハビリをこなしていくことで、およそ3カ月後には指先が自由に動くようになり、筒の中の食物を取ることができるようになりました。このサルでも、運動機能の回復期の脳の断層写真を撮って損傷前の写真と比較してみると、損傷前は大脳辺縁系の活動が高まっても大脳皮質運動野の活動とは関連していません。しかし、脊髄損傷による運動機能障害がリハビリで回復した後には、運動機能をつかさどる大脳皮質運動野の活動が高まるとともに、「元気・やる気」といったモチベーションや情動を担う大脳辺縁系などの活動が高まっているのです。
運動機能回復期において、運動野とモチベーションや情動を担う脳の領域の活動が強い関連性をもっているということは、モチベーションと回復効果に相関があることを意味します。
人工神経接続の可能性と課題
人工神経接続によって、脳や神経の柔軟性が明らかになりつつあります。脳は損傷すると機能が失われる、というネガティブな見方がこれまではなされてきましたが、考えようによっては、損傷しても脳は柔軟にその機能を変えるのだと言えます。さらに、人工神経接続の技術を用いれば、積極的に脳を変えていくことが可能になるのではないでしょうか。人工神経接続の基本的な概念は、「脳と物理的に離れた箇所を、コンピューターを介してつなぐ」というものです。ですから、脳と神経に関する機能再建や強化には特に役立つでしょう。刺激する場所は脊髄でも筋肉でもどこでも可能ですから、どんな機能を賦活したいのかによって刺激する場所を変えることもできます。現段階でもっとも臨床応用に近づいているのは脊髄損傷ですが、うつ病などの心に関係する領域や、運動能力の改善などにアプローチできる可能性も高いのです。
夢のような話ではありますが、恐ろしい面もあります。というのは、人工神経接続は理論上、他人の体と他人の脳をつなぐことさえできてしまうからです。感覚と肉体をコントロールしうる技術ですから、肉体の運動機能を強化したり、痛みを感じない兵士をつくりだしたりすることさえ可能かもしれません。私自身は科学者として、そのような技術を育てるつもりはまったくありませんが。
科学者として私が抱えているジレンマは、自分一人で達成できることの少なさです。この技術は、脊髄損傷などで苦しむ方々に役立ててもらえる可能性が高いと自負していますが、臨床応用にはいまだ遠い段階です。技術を実用化するには各種の装置をコンパクト化することも必要ですし、制度面や法律面で解決しなければならないことも多くあります。人工神経接続の技術が必要とされる場所で正しく生かされることを常に願いながら、研究を進めています。