殺虫剤が自分の首をしめる
ヒアリの日本定着は絶対に阻止しなければいけませんが、ヒアリと思しきアリの巣を発見して、むやみやたらに殺虫剤をまくのは、逆効果になりかねません。確かに、殺虫剤をまけば、多くの働きアリを殺すことができます。しかし、ヒアリであれば、巣には1万匹の規模、ときには20万匹もの働きアリが暮らしているので、駆除できるのはごく一部だけです。しかも、何回か殺虫剤を使用すると、彼らはあっさりと引っ越しを断行しますし、同時に殺虫剤への抵抗性まで獲得してしまうことさえあり得ます。より大きな問題は、ヒアリに有効な殺虫剤は、周囲のアリたちや、それ以外の小さな生き物たちまでも殺してしまう点です。自然環境には、外来の生物が侵入してきたときに、それに抵抗して戦う力が備わっているとする「バイオレジスタンス」という考え方があります。安易に殺虫剤を使いまくれば、そうした潜在的な抑止力が失われることになるのです。
ヒアリらしきアリを見つけたら、まずは環境省などの機関に報告して、専門家の判断に任せてください。
他国の対策と日本の構え
よく「ニュージーランドは唯一、ヒアリの駆除に成功した」と報じられますが、ニュージーランドで2001年にオークランド空港で発見されたヒアリの巣は、定着後半年から1年以内の1コロニーだけでした。隣国のオーストラリアでも同じ年にブリスベンに定着が確認されましたが、ニュージーランドに比べると定着した巣の数が多く、未だに、ヒアリの根絶には成功していません。ニュージーランドの成功は、ラッキーが重なった希有なケースに思えます。それに、根絶できたとはいえ、ヒアリの侵入が見逃されて、国内定着を許していたことは、大きな問題です。2004年にヒアリの定着が見つかった台湾では、ヒアリの匂いを嗅ぎつける「ヒアリ探知犬」が活躍しているので、彼らの導入に期待を寄せる声もあります。しかし、ヒアリ探知犬をはじめ、ドローンによる薬剤散布などのユニークな方法を使ってヒアリ駆除に取り組んでいる台湾でも、未だに、根絶に成功していません。その主な原因は、ヒアリが見つかったときには、すでに複数の地点で複数の巣の定着を許してしまっていたからです。
他国の例を見ると、いかに定着前に、水際でヒアリ侵入を発見することが重要かが分かると思います。日本では、ヒアリが尼崎市で初めて確認された直後に、実は、各地の自然史博物館や昆虫館、研究機関の学芸員やアリ研究者、外来種防除の専門家などが神戸に集結して、ヒアリ対策のチームを立ち上げました。そして、環境省や地方自治体などと協働して、怪しいアリの侵入があった場合に、すぐにヒアリかどうかの同定を行ったり、ヒアリ侵入を阻止する方法を策定したりと、ヒアリの水際防除に取り組んできました。
日本では、少なくともヒアリを野放しに増殖させるようなことは起こらないと考えています。
ヒアリに罪無し?
アメリカなど、これまでにヒアリが定着した国を調べると、牧草地や埋め立て地、公園のように、人工的に改変された環境が多いことに気付かされます。自然生態系が健全だと、ヒアリのような外来の生物は定着が難しいのです。ヒアリが世界中に広がった理由は、人間が自分たちの都合で土地を掘り返し、生態系を攪乱し、在来の生き物が住みにくい環境を地球上にたくさん作りだしたからなのです。それに、ヒアリは世界を征服しようと、自分から各地に侵攻して生息域を拡大しているわけではありません。人間の経済活動の結果、故郷の中南米から、知らぬ間に遠い未知の場所に運ばれてしまい、生きていくために巣を作ったり、エサをとったりと、一生懸命にその地でただ生き抜こうとしているだけです。
自然な進化の歴史では、本来、生き物は共倒れにならないために、無駄な争いを避け、周りの環境と共生を図るように進化します。しかし、人間が、自然ではあり得ないスピードで、遠く離れた距離に生き物を運んでしまうと、これまでの進化のルールでは起こり得ないような摩擦が生じてしまうのです。ヒアリが侵入定着した土地で、さまざまな弊害を起こしているのも、人間の活動に翻弄された結果なのです。そんなふうに考えてみると、むしろ、ヒアリたちは悪者扱いされて、困惑しているようにも思えてきます。
ヒアリたちからの警鐘
今回の騒動は、ヒアリとの果てしない戦いの序章にすぎません。中国との貿易が続く限り、ヒアリの侵入は今後も続くでしょうし、中国と貿易しているアジアのほかの国にもこのアリは広がっていくと考えられます。各地にヒアリとの戦いの拠点となる自然史博物館や昆虫館があることや、アリ研究者の存在が、ますます重要になることは間違いありません。しかし、日本の大学教育は、今後ITのように経済活動に直結する「専門技術職」の教育に重点を置いていくように見えます。しかし、基礎科学がおろそかになり、一見、何の役にも立たないように思えるアリの研究者や博物館の自然史研究者がいなくなると、ヒアリの定着を阻止することは難しくなるでしょう。
それに、博物館は老若男女を問わず、大学でも教わることのない多様にして重要な専門知識を専門家から吸収できる施設です。博物館の自然史研究者がいなくなってしまったら、今回のヒアリ騒動のような緊急事態が起こったときに、一般の人々が主体的に学び、対応を考えることができる場が無くなってしまいます。一人一人が自然や環境について、自分自身で考え、行動し、提言できる国になったとき、日本は本当の意味で、自然と共生できる国になれるのではないでしょうか。ヒアリたちは、このことを私たちに教えてくれているように思えてなりません。
「人もまた自然の一部であることをしっかりと考えないと、アリとキリギリスのお話のようになりますよ」と。