2004年1月、ブッシュ米大統領は、新しい宇宙政策を発表した。スペースシャトルを2010年に引退させ、新たに開発する有人宇宙船「オリオン」で月に恒久的有人基地を建設するというというものだ。ここで米国は「ISSは2010年までにとにかく完成させて、シャトルを引退。引退でできた予算的余裕を、アポロ以来の有人月探査計画に振り向ける」という決断を下したのである。
そのために、有人宇宙船「オリオン」、月着陸船「アルタイル」、打ち上げ用大型ロケット「アレスI」と「アレスV」を開発する「コンステレーション計画」と総称される大型開発計画が始まった。が、ブッシュ大統領が宇宙政策の中で「2015年、遅くとも2020年までに月有人ミッションへ復帰する」と宣言したにもかかわらず、開発はずるずると遅れた。特に先行して開発されていたアレスIとアレスVは設計にしばしば問題点が見つかり、設計変更を繰り返した。
その理由は、過去の技術的遺産にあった。アポロ計画は、月着陸に最適なロケット「サターンV」をゼロから開発した。しかしコンステレーション計画では、ハードウエアに「アポロやスペースシャトルの技術資産を活用すること」という制約がかかっていた。この制約により、構想としては既存技術の有効利用で低コストかつ高速に開発が進められるはずだったが、実際には、最適ではないものを最適に手直しするという手間が膨れあがり、ゼロから開発するよりも難航してしまったのだった。
その一方で米大統領府が、「月に戻る」と意思をはっきりさせたことで、月の科学的探査は進展した。NASAは有人月探査計画に先立ち、無人探査機「ルナ・リコナイサンス・オービター(LRO)」を2009年6月に打ち上げた。同探査機は月面上空50キロから、月の表面を50センチの分解能、つまり50センチ×50センチのものが識別できるという超高精度で観測し、過去最高精度の月面地図を作成した。余談だが、同探査機の撮影データには、アポロ各号機が残した月着陸船降下段や、各種観測機器、月面車やその轍などが映っており、これにより「アポロは月に行っていなかった」とする各種陰謀論は、完全に命脈を絶たれた。
米国はまた、同じく2009年6月に大型の月衝突機「LCROSS(Lunar Crater Observation and Sensing Satelliteの略。エルクロス)」も打ち上げた。LCROSSは同年10月に月面南極のカベウス・クレーターに突入。その際に吹き上がった粉塵を観測することで、月面には水が存在することが再度確認された。
LROは、2019年7月現在、最低高度を20kmまで下げて、月面の詳細観測を継続している。
NASAは、2011年には月の重力場を詳細観測する探査機「GRAIL(Gravity Recovery and Interior Laboratoryの略。グレイル)」も打ち上げ、詳細な重力場地図を作成した。表面詳細地図と重力場地図は、月周回軌道から安全に着陸機を降ろし、また月周回軌道に戻すためには必須の情報である。
オバマ政権のフレキシブル・パス
月面の水の存在は、有人探査を推進するにあたり、大きな動機となる。が、問題はその総量と「どんな形で存在するのか」だ。量が少なければ、あっという間に利用し尽くしてしまうだろう。また、広く薄く存在するなら、取り出すには膨大なエネルギーと手間がかかることになる。これまでの探査で、この疑問には決定的な回答が得られていない。そのため米国内でも、「人類は次にどこに有人探査を行うべきか」という設問に対する様々な意見が存在する。「近くて水のある月に集中するべきだ」「月に行くよりも水の存在が確実な火星に行くべきだ」「月も火星も省略して小惑星に向かうべきだ」などなど――。
米国では大統領が交代すると、宇宙政策が変更される。ブッシュ大統領の次のオバマ大統領は2010年2月、新しい政策を打ち出した。混乱するコンステレーション計画を中止し、どこに向けて有人探査を行うかは、もっとよく調査を行って検討する「フレキシブル・パス(柔軟な道筋)」という路線を打ち出した。そのためにまずは先行する無人科学探査と有人探査に必要な基礎技術の開発に力を入れるというものである。これにより、米国の有人月探査に向けた動きは再度減速した。
ところがその後、米議会で優勢な共和党がオバマ政策に反対した。スペースシャトルが引退する以上は、あくまで米国は国として独自の有人宇宙飛行技術を保持すべきだと主張したのである。共和党が押し戻したことで、宇宙船「オリオン」の開発は継続し、「アレスI」「アレスV」に代わる新たな大型ロケット「SLS」が開発されることになった。
どこに行くかは決めていない、しかし行くための宇宙船とロケットは開発する――2010年代の米国の宇宙政策は奇妙に“不安定な安定”状態に陥った。
スペースXとブルー・オリジン―― “ニュー・スペース”の台頭
その間に急速に力を付けてきたのが、“ニュー・スペース”と呼ばれる宇宙ベンチャー企業だった。特に、電気自動車のテスラ・モータース社を起こしたイーロン・マスクが立ち上げ、大型ロケット「ファルコン9」、超大型ロケット「ファルコン・ヘビー」の開発に成功したスペースX社、そしてネット流通の世界的大手AMAZONの創業者ジェフ・ベゾスが設立し、ベゾス個人の莫大な資産をふんだんに注ぎ込んで弾道飛行有人宇宙船「ニュー・シェパード」と超大型衛星打ち上げ用ロケット「ニュー・グレン」を開発するブルー・オリジン社は、米政府とは別に有人宇宙探査、さらにその先の恒久的有人基地建設に積極的な姿勢を見せている。
面白いことに、イーロン・マスク/スペースXは、火星移住計画に執心する一方で、ジェフ・ベゾス/ブルー・オリジンは、月の有人基地に興味の対象を絞っている。ベゾスは、「月に行かずに火星を目指すのは非現実的だ」として、有人月探査に向けた技術開発を進めている。
トランプ政権の朝令暮改、探査の加速か、それとも混乱か
NASAにとって、有人月探査は、ISS(国際宇宙ステーション)の次の大型国際協力計画という意義があった。ISSは、何度か運用期間が延長され、現在では2024年まで運用することが決まっている。このため、2010年代後半からNASA主導で「ポストISSの国際協力計画としての有人月探査」の検討が、参加各国の間で進み始めた。2019年現在は、月を周回する軌道に投入する有人宇宙ステーション「月軌道プラットフォームゲートウェイ(LOP-G)」という構想が検討されている。
「チャレンジャー」号の事故(1986年)
1986年1月28日、スペースシャトル「チャレンジャー」号が発射直後に爆発し、乗組員7人全員が死亡した事故。
「コロンビア」号空中分解事故
2003年1月16に打ち上げられたスペースシャトル「コロンビア」号が宇宙滞在を終え、同年2月1日、帰還のために大気圏に再突入する際に空中分解し、乗組員7人全員が死亡した事故。