アンドロイド観音が人々に与えるもの
マインダーは、なにか癖になる魅力をそなえているらしく、遠方から何度も訪れる参拝客もすでに見られるという。その人には、マインダーはいったいどのような姿に見えているのだろうか。その人の想像力は、マインダーからなにを受け取っているのだろう。
後藤和尚は言う。
「この世界にはね、目に見える神仏なんていないんですよ。仏教の大事な教えは、仏を追い求めることであって、仏像崇拝ではないんです」
様々な姿に形を変えるという観音は、仏を追い求めるトリガーを我々に与えては、次なる形に転生していくのかもしれない。マインダーを仏像の進化形と捉えるか、人間の傲慢から生まれたものと捉えるか、現実のなかの非日常という新しい現象の登場と捉えるか。数多くの議論を呼びそうなこの試みは、始まったばかりだ。マインダーの記念すべき第1回の法話拝聴は、2019年5月6日に幕を閉じるが、後藤和尚によれば、近い将来に再び法話を行うという。