気がついてみると。エンタメ舞台の現状
東京丸の内、皇居の正面に位置する帝国劇場は、1911年(明治44)に開場した日本で初めての本格的西洋式劇場として、オペラや新劇の発展に重要な役割を果たした。66年(昭和41)に重厚な近代ビルの中に、最新の舞台機構を備えて再開場した後も、東宝のプロデュースを中心に、特定の劇団の根拠地としてではなく、常に人気の高いエンターテインメント作品を世に送り続けてきた、日本を代表する大劇場の一つである。その帝国劇場が、創立101年目にあたる2012年、「新春 滝沢革命」で幕を開けた。09年以来4年目を迎える、ジャニー喜多川作・構成・演出、滝沢秀明主演による公演である。続いて、2月~4月の3カ月間連続で、堂本光一主演の「Endless SHOCK」。これは2000年から続く代表的シリーズの最新作である。9月には亀梨和也の「DREAM BOYS」が予定され、11~12月には同じくジャニー喜多川が、新作ミュージカルをプロデュースすることが決まっている。さらに日生劇場では12年2月にジャニーズ事務所のA.B.C-Zメンバーによる「ABC座 星(スター)劇場」が上演される。両劇場のほかのレパートリーや劇団四季の各劇場がほとんど外国ミュージカルの再演・ロングランで占められること、そして宝塚歌劇団もこのところ再演や外国映画の翻案物が続くことを見ても、今やジャニーズ事務所が、日本のオリジナル・ミュージカルにおいて一人気を吐く存在となっていることが、改めて認識させられる。
ギネスに認定の実力
ジャニー喜多川は11年に「No.1シングル」および「コンサート」のプロデュース数においてギネスブックに認定されたが、この「コンサート」には単に音楽のみにとどまらず、ダンスや演劇的要素も盛り込んだミュージカル、あるいは総合エンターテインメントと呼ぶにふさわしい公演が多数含まれていることが重要である。その活動が10年以上にわたって拡大し、多くの観客に支持されてここに至った理由はどこにあるのだろうか。現代のカブキ現象
ジャニーズ事務所所属のタレントが出演するのだから、そのファンが集まるというだけでは説明できない。いかに人気があっても、音楽コンサートだけで大劇場を何カ月も満員にはできない。これはある意味で、「現代のカブキ」というべき現象であり、演劇史的な必然の上に成り立った成功であると見るべきであろう。確かに、近藤真彦や東山紀之からジャニーズJr.に至るまで、ジャニーズ事務所が擁するタレントの層の厚さと個性の豊かさには驚くばかりである。音楽をベースとしながら、映画にドラマにバラエティーにと露出し続ける彼らが、圧倒的人気を誇るのは言うまでもないことだが、単にマネージメントだけでなく、発掘・育成からそれぞれの個性に合わせたグループ編成・コンセプト・地域性まで加味したプロデュースの手腕は驚異的である。そして、現代のメディアの中では最も非効率と言うべき生の舞台に対しても、果敢に、そして周到に挑戦したことに、非凡な感覚が読み取れる。すでにベテランの域に達したかつてのアイドルが支え、宝塚歌劇団OGやミュージカルで活躍する実力派の女優を客演に迎えながら、時間をかけた稽古(けいこ)と文字通り体を張ったパフォーマンスで、連日多くの観客と直接向き合うことにより、主演者は座長として長期の公演に責任を持つ実力と自覚を養い、若手も大きく成長する場となっている。その真剣な演技を目の当たりにすることによって、ファンの感激がいや増すことは言うまでもない。
観客を魅了するダイナミックな仕掛け
思えば、かぶき踊りを始めた出雲のお国、それに続く若衆かぶきの役者たちと観衆との触れあいも、このようなものであったのではないだろうか。そして江戸時代の芝居小屋もまた、役者と贔屓(ひいき)が熱く生の交歓をする場であったはずだ。根拠のない想像ではない。話題の漫画「テルマエ・ロマエ」を見れば、2000年近く昔のローマには、電気以外のすべてがあったことがわかる。江戸の芝居も同様である。例えば「宙乗り」や舞台の仕掛け。市川猿之助が得意としたいわゆる「けれん」の芸は、当然江戸時代にも様々に工夫され楽しまれていたものである。それから「本水」。舞台で本当の水を使い、飛び込んで見せたり、ずぶ濡れになって格闘する手法はもちろん昔からあった。これらが今、ジャニーズの舞台で、最新の舞台機構を用いてどれだけダイナミックに観客を魅了していることだろうか。
まだある。琉球(沖縄)から伝わった三味線という新しい楽器の魅力は、現代ならギターやシンセサイザーに匹敵するものだっただろう。キリシタン風俗を取り入れたという斬新な衣裳(いしょう)やアクセサリー、そして美しく化粧した美形の若者たち。「傾く(かぶく)」という言葉のもつ妖美さとほとばしる生のエネルギー。それに確かな形を与えるための技術と、わかりやすく巧みに構築された物語の世界。それは現実から遊離しているようでありながら、現世を映す鏡であり、この世に存在する理想と挫折、善と悪との対決、「実は」と明かされる隠された想いや人間関係を映し出す。すべて歌舞伎そのものである。
新しいジャンルとなりえるか
「スーパー歌舞伎」も「コクーン歌舞伎」も現代における疑似古典であり、蜷川幸雄も野田秀樹も思想や解釈という知性をのぞかせながら、やはり異形の外観によって見る人の心をかき立てていることに変わりはない。客演のスターによってプロデュースを成り立たせている劇団☆新感線。逆にスターシステムを否定する劇団四季。スターの新陳代謝という宿命を抱えた宝塚歌劇団。帝国劇場
東京都千代田区にある客席数約2000の大劇場。1911年に完全なプロセニアム・アーチ(額縁舞台)を持つ日本初の本格的劇場建築として横河民輔の設計で開場。関東大震災で類焼・改築され、66年に近代的ビルの中に東宝グループの劇場として新築再開場。近年は首都圏の代表的なミュージカル劇場としての位置を占め、「レ・ミゼラブル」などが繰り返し上演されるほか、ジャニーズ事務所によるKinki Kidsの堂本光一主演の「SHOCK」シリーズが人気を集めている。
ジャニー喜多川
Johnny Kitagawa。ジャニーズ事務所社長。1931年10月23日、アメリカ、カリフォルニア州生まれ。62年にジャニーズ事務所を創業後、ジャニーズ、フォーリーブス、たのきんトリオ、シブがき隊、少年隊、光GENJI、男闘呼組、忍者、SMAP、TOKIO、嵐など数多くの男性アイドルグループを育ててきた。ギネス社は、2000年から10年までに8419回と最も多くのコンサートをプロデュースした人物として、12年版のギネスブックに記載。同時に1974~2010年に、同事務所所属の40組以上のグループの232曲をNo.1シングルとした人物としても認定された。
ギネスブック
Guinness Book of Records
イギリスのギネス社が毎年刊行する珍しい世界記録を集めた本。
テルマエ・ロマエ
2008年2月より「コミックビーム」(エンターブレイン)に連載されているマンガ。作者はヤマザキマリ。主人公のローマ帝国の浴場設計者ルシウス・モデストゥスが、突然、現代日本の温泉や風呂場にタイムスリップ。日本の風呂文化からさまざまなアイデアを得て、再びタイムスリップしてローマに戻り、斬新で快適な浴場をつくりあげるというストーリー。2010年に、書店員が選ぶマンガ大賞2010(第3回)と、第14回「手塚治虫文化賞」短編部門を受賞。
スーパー歌舞伎
歌舞伎俳優の市川猿之助が1986年から始めた、けれんの多い演出が特徴の新作歌舞伎。
コクーン歌舞伎
東京の渋谷で東急グループが中心となって運営する文化施設Bunkamura内の劇場シアターコクーンで行われる歌舞伎公演。1994年の「東海道四谷怪談」に始まり、串田和美演出・中村勘九郎(現中村勘三郎)主演で現代感覚による古典の解釈に基づく大胆な演出で人気を集め、歌舞伎の新しい観客層の開拓に貢献してきた。第2回の公演「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」は2004年の平成中村座ニューヨーク公演に発展した。
蜷川幸雄
1935年10月15日、埼玉県生まれ。劇団青俳を経て、72年に清水邦夫らと演劇集団櫻社を結成。演出家として小劇場演劇を代表する一人となる。その後、大劇場の演出も数多く手がけ、商業演劇に小劇場の猥雑なエネルギーを注ぎ込み、混沌とした世相を反映した演出により高い評価を得る。俳優の魅力を引き出すことに長け、特に平幹二朗や麻実れいを擁して現代演劇の最高水準といえる舞台を作りだし、藤原竜也や小栗旬の才能を見いだした。代表作は、「王女メディア」(77年)、「近松心中物語」(79年)、「身毒丸」(95年)、「グリークス」(2000年)、「NINAGAWA十二夜」(05年)など。04年文化功労者。10年現在、彩の国さいたま芸術劇場芸術監督、桐朋学園芸術短期大学学長。
野田秀樹
1955年12月20日生まれ。76年、東京大学在学中に劇団夢の遊眠社を結成。81年に紀伊國屋ホールに進出。83年に岸田國士戯曲賞を受賞し、同時受賞の渡辺えり子(現・えり)らとともに、小劇場演劇新世代の旗頭となる。86年に日生劇場で演出した大地真央主演「十二夜」は日本における斬新なシェイクスピア演出の先駆けとなった。92年夢の遊眠社解散後、文化庁在外研修制度でロンドンに留学。帰国後、企画制作会社NODA-MAPを設立し、これを拠点に多彩な演劇活動を展開する。2001年には新国立劇場で「贋作・桜の森の満開の下」を上演。「THE BEE」(日本バージョン、ロンドンバージョン)で、08年朝日舞台芸術賞グランプリ、および読売演劇大賞に輝いた。中村勘九郎(現・勘三郎)と組んだ歌舞伎座の「野田版 研辰の討たれ」では歌舞伎界に新風を吹き込み、08年8月の歌舞伎座では、オペラの「アイーダ」を翻案した「野田版 愛陀姫」の作・演出を手がけた。
劇団☆新感線
1980年、大阪芸術大学舞台芸術学科の学生により旗揚げ。演出家いのうえひでのり(1960~)が、一貫してリーダーとなり、85年からは中島かずき(1959~)が座付作者として加わる。古田新太、橋本じゅん、橋本さとし、筧利夫、渡辺いっけい、高田聖子、羽野晶紀、粟根まこと、右近健一、こぐれ修ほか多数の個性派・実力派俳優を輩出。ヘビメタルをベースとしたロック・ミュージカルという路線がユニークであり、かつ笑いを追求するコテコテの関西テイスト、くどいまでのギャグとスピード感のあるアクションで飽きさせずに見せるサービス精神と、竹田団吾(1961~)による衣装デザインに代表されるビジュアル感覚が成功し、商業化に乗って拡大してきた稀有な劇団の例である。21世紀に入ってからは多くのスターを客演に迎えての大規模なプロデュースに転換。吉本新喜劇とジャニーズの特長を巧みに取り入れ、独自のテイストに融合させた。
ミュージカル・テニスの王子様
許斐剛(このみ・たけし)作の人気漫画を原作とするミュージカル。天才中学生プレーヤー越前リョーマを中心とする青春学園チームが数々のライバルチームと対戦し、全国優勝するまでを連続公演で描く。アニメや映画、ゲームへの展開を経て、2003年に舞台化。演出・振付の上島雪夫、音楽の佐橋俊彦、作詞の三ツ矢雄二を中心とした制作チームは、様々な技巧を駆使してテニスの試合を活気あふれるミュージカルとして表現することに成功。先進的なメディアミックスとして評価される一方、公演ごとにストーリーが進み、若手タレントの登竜門ともなったイケメンのオーディション・キャスティングを行うという巧みな戦略によって、若い女性のリピーターを増やした。