幾人ものシンガーが果たせなかった世界的ヒット
新作アルバム「1969」(EMIミュージックジャパン)のヒットを受け、2011年から12年にかけて、日本レコード大賞企画賞、毎日芸術賞、芸術選奨文部科学大臣賞の受賞と、由紀さおりが話題を独り占めしているかのような印象がある。由紀さおりは、なぜ、今、世界各国で評価されているのだろうか?
「1969」は世界22カ国でリリースされ、11年11月2日付の全米iTunesジャズ・チャートNo.1に輝いたほか、カナダをはじめ世界各国で、チャートインを果たした。
このアルバムは、アメリカで人気の、ピンク・マルティーニ(Pink Martini)というラウンジ・ミュージックグループと組んでレコーディングしたものである。由紀が「夜明けのスキャット」でデビューした1969年にヒットした国内外の楽曲を集めた内容で、しかもフランス語で歌われた1曲をのぞき、すべてが日本語の歌詞で歌われての、この快挙である。今までに幾人かのシンガーが英語で挑戦した世界進出を、由紀が日本語で成し遂げたのだから、日本の音楽業界が大騒ぎになったのも無理はなかった。由紀自身も、全米No.1を受けて、次のように語った。
「自分のアルバムが世界発売されることからして夢のようなのに、それがNo.1になるなんて、うれしさもありますが、驚きの方が大きかったのです。2011年秋にピンク・マルティーニのロンドン公演に同行し、12月にはアメリカツアーに、大きなパートで参加しました。各地で、わたしの歌で立ち上がり踊りだす客席の熱い反応を目の当たりにし、初めて夢ではないと実感したのです。こんな“お年頃”まで歌ってきてよかったわと、心から思いました」
ピンク・マルティーニとの奇跡的出会い
由紀がピンク・マルティーニと共演することになったエピソードが、面白い。同グループのリーダー、トーマス・ローゼンタールが、趣味の中古レコード漁りをするなかで、由紀のデビュー・アルバムを“ジャケ買い”した。そして、収録されていた「タ・ヤ・タン」という曲を気に入り、日本語のままカバーして好評を得た。彼らは、今までも世界各国の歌をカバーしてきたが、その国の言葉で歌うのが常である。YouTubeにアップされたその動画を由紀のスタッフが見つけ、彼女は初めてそれを知ったという。10年に彼らが来日した際に、由紀が「タ・ヤ・タン」をゲスト参加して歌い、初めての共演を果たす。彼女の生の歌声に感激したトーマスが、新作レコーディングの申し出を快諾し、今作のアメリカ録音が決まったのだ。由紀さおりの魅力とは何か?
「1969」には、いしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」や黛ジュンの「夕月」、そしてセルジオ・メンデス&ブラジル’66の「マシュ・ケ・ナダ」などが、由紀の澄んだ歌声により統一感をもって並んでいる。各曲に共通しているのは、厳選されたロマンあるメロディーと、それを歌う日本語の美しさだ。由紀は美しい日本語で歌うシンガーとして評価が高いが、それは物心つく前から児童合唱団で厳しく教えられた歌い方、鼻濁音に留意した発音といった細やかな指導の成果だという。折しも、姉である安田祥子と1985年から活動してきた童謡デュエットから、二十数年ぶりにソロ活動に軸足を移そうとしていた矢先の今回のヒットだった。世界的ヒットはなぜ生まれたのか?
「今後は、今の音楽シーンから欠落してしまった歌謡曲の素晴らしさを歌い伝えたい。日本に脈々と続く素晴らしい歌の数々を継承し、発展させることができたら本望です」それが真の目的だと由紀は語ったが、では世界での注目はどうして起こったのだろうか。
アメリカでは長きにわたり、英語の歌詞ではない歌へのアレルギーが少なからずあった。しかし、配信という「ちょっと見OK」の音楽の聴き方が、変化を加速させ、様々な国の多様なシンガー、演奏家を一気に世界の高みへと押し上げることに寄与している。そういった背景があったところに、歌謡曲がもつ、優しいメロディーが人の心をつかんだ。
欧米では、由紀が歌う“歌謡曲”が新鮮に響いたという意見が多い。アメリカンエンターテインメントがもつ、原色の派手さとは異なる、情緒と淡い色彩をもった歌が、耳に優しく心地良かったにちがいない。しかも、彼女の歌唱がもつ艶は、ことばや世代の壁を超えて世界共通の魅力である。由紀のうまさに加えて、歌謡曲がもつ潤いのあるメロディーが、優しさに飢えている世界の人々の心に届いたというのが、今回のヒットの要因だとみる。
歌のストーリーを伝える力
由紀さおりのすごいところは、「1969」で得た名声に甘んじることなく、さらなる挑戦をし続けていることだ。2011年より、ジャズを日本語で歌うことにも心を傾け、ピアニストの佐山雅弘をリーダーとする5人編成のジャズグループをバックに歌っている。たとえば、オープニングは、ジャズの名曲「チュニジアの夜」を伴奏に、由紀が「銀座カンカン娘」を歌い出すという驚きの趣向だ。オリジナルの作詞を歌人の松村由利子に依頼し「マイ・ファニー・バレンタイン」では「いけないひとね、キスがうまいの」と艶めいて歌い、「スターダスト」では観客に夜空を見せる。その歌のうまさと演技力は、生で見ればなおさらに素晴らしい。彼女が森田芳光監督作品「家族ゲーム」(1983年)で、第7回日本アカデミー賞助演女優賞(優秀賞)を獲得したことを思い起こせば、歌のストーリーを伝える演技力が抜群なのもうなずける。
澄んだ歌声、歌のテクニック、日本語の発音の美しさ、物語を伝える表現力と、歌手として要求される多くの要素を満たしているのが由紀さおりなのである。
そこに加えることがあるとしたら、たいへんな努力家だということだ。由紀に聞くと、2011年の海外ツアー前も、先述のジャズ公演のときも、駅前スタジオを借り、一人練習に励みのぞんだという。努力を惜しまないその姿勢に、底知れぬプロ意識を感じる。
「1969」で共演したピンク・マルティーニとの日本公演が、12年6月に千葉、東京、大阪で行われる。由紀さおり旋風は、まだまだ続く勢いである。
ラウンジ・ミュージック
lounge music
気軽に聴ける音楽。イージーリスニングのこと。
由紀さおり
本名は安田章子(やすだあきこ)。1948年、群馬県桐生市生まれ。小学生から高校生までひばり児童合唱団に所属し童謡歌手として活躍。NHK歌のお姉さん、アニメの声優、CMソング(300曲以上吹き込み)などで活動。1969年、由紀さおりとして「夜明けのスキャット」でデビュー。女優として映画、ドラマへ出演するかたわら、司会やバラエティー番組などでも幅広く活躍。姉の安田祥子とのコンサートを82年以来25年間続ける。70年「手紙」で第12回日本レコード大賞歌唱賞。73年「恋文」で第15回日本レコード大賞最優秀歌唱賞。2009年デビュー40周年を機に、歌謡曲のコンサートをスタート。11年ピンク・マルティーニとのアルバム「1969」が世界22カ国でリリースされ、全米iTunesのjazz部門で1位、カナダiTunesチャート・ワールドミュージックで1位。2011年度芸術選奨文部科学大臣賞。12年第53回毎日芸術賞、第3回岩谷時子賞。