音楽だけじゃない!?
「野外フェス」。あなたは、この言葉から何を想像するだろうか? もし、いまだにそれが「屋外で行われるコンサート」というものでしかないのだとしたら、たいへんにもったいないことである。なぜなら現代の野外フェスは、「音楽の品評会」という(かつての)役割を超え、文化的なプラットフォームへと脱皮し、階層、ローカリズム、生活様式、価値観、目的に合わせて変化している。この点に注目すると、手あかにまみれた単語にもカラフルな社会的意義が見いだせるというものだ。
現代の野外フェスが帯びる社会的意義を考える前に、現状把握と歴史的な変遷を踏まえたい。
野外フェスの誕生
まず、日本には、数万~10万人単位を動員する大型野外フェスがある。「フジロックフェスティバル」(新潟)、「サマーソニック」(東京ほか)、「ライジングサンロックフェスティバル」(北海道)、「ロックインジャパンフェスティバル」(茨城)、「apバンクフェス」(静岡ほか)の5大フェスである。その下に数千人級の中型フェス、さらにその下に数百人級の小型フェスがあり、なかには入場料無料のフリーフェスもある。ぴあ総合研究所によると、2008年のフェス市場は150億円とされるが、全体像としてのフェス文化はアングラ経済的でもあり、発表データだけで実態はつかめない。日本の5大フェスは、いずれも1990年代後半にスタートしている。もっとも早くスタートしたのは、老舗のフジロック(97年~)だ。野外に設置された巨大なステージ、スピーカー。雨が降れば雨ざらしの過酷な環境は、屋内会場しか知らなかった若いロックファンにとって新しい文化体験だった。
ただ、このフェスはゼロから積み上げられた代物ではない。90年代初頭から各地のキャンプ場で行われてきたもので「野外レイヴ」があるが、フジロックは一部、野外レイヴスタッフの協力を得る形で運営された。
地元との交流を重視
野外レイヴの主役は、DJがかけるノンストップのビート、それにのってダンスをすることにあり、このシンプルなだいご味は90年代~ゼロ年代の若者文化に大きな影響を与えた。しかし、そんなレイヴも日本の風土で市民権を得ることがなかった。里山の広がる田舎に何千という「レイヴァー」がやってきて、爆音のなか、極彩色の衣服に身をつつんでギンギンに踊る。開催地に、それを異様なものとして受けとる人がいてもおかしくはないし、レイヴの担い手は地元に自らの文化を説得することをしなかった。
他方、後発のフェス文化はその点を重視した。会場の地元への事前・事後的ケアはもちろん、出入りの業者に地元の人々をいれた。フジロックの場合、会場内を貫くボードウォーク(木製の歩道)を、地元の人々と通年整備しているが、そういった仕事の積み重ねが、フェス文化にローカリズムを与えていくことになる。人気のキャンプインフェス「朝霧JAM」(静岡)の場合、設営、運営、飲食店、ゴミ処理など、運営の大部分を開催地の青年らに託し、彼らにやりがい、誇りを与えている。そう、フェスは人に役割、居場所を与えるのだ。
多様化する野外フェス
若者ファッション文化においても、その特性はいかされている。若者文化では、長くアウトドアミックスな着こなしが人気を集めるが、展示会やスナップ撮影のために、富士山のふもとに集まる「ファッションフェス」があるのをご存じだろうか。しゃれたテント、ヴィンテージの石油ストーブまで持ち込んで、洗練されたカントリーマンになりきる若者たちがいる。このフェスでは、音楽コンテンツは二の次で、自然のなかでモノと仲間に囲まれていることが肝要だ。裏原宿や南青山があまりにカネがかかり、彼らの居場所がない街になってしまったなか、彼らにとってこういった場こそが、リアルなストリートなのではないかと思うほどだ。だが、フェスの現代性は、モノ消費を離れたところでこそ、活性化する。
たとえば、「音泉温楽」など温泉宿や温泉地をかりきって行われる「温泉フェス」、瀬戸内海の小豆島では、島の暮らしを伝える「島フェス」までが行われる。開催目的は外から人を招くことと、外の人と開催地の人々とのコミュニケーションにある。「地産地消」ならぬ「地産訪消型」とでも呼ぶべきフェスは、地域に残る伝統的な祭りでも同じ役割を担うことができるように思える。だが、伝統的な祭りは、参加者にとってしばしば閉鎖的な仕組みになっていることが多い。フェスならではの敷居の低さが、これらのケースではいかされているのだ。
社会にいきるフェス文化
社会貢献や啓発の点でも、フェスのカジュアル性はいきる。それを考える上で、「apバンクフェス」を挙げよう。環境問題、日本の一次産業を考えるこのフェスは、飲食店が扱う食材のトレーサビリティーまで徹底し、ゴミ処理に関しては10を超えるカテゴリーに分類している。これらは会場で情報開示されるが、オーディエンスに「めんどくさいなぁ」と思われないのは、啓発がエンターテインメントプログラムに組み込まれているからである。出店ブースには、「予約のとれない」イタリアン、中華の有名シェフがズラリと並ぶ。こうした食事が、オーディエンスが学ぶ上でのインセンティブになっているのは明白だ。
3.11後、同フェスはエネルギーや生活様式を問い直すトークセッションやワークショップを行っているが、これは全国的な傾向でもある。原発事故後の九州、沖縄などでは、移住者によって啓発型の小規模フェスが多数開かれている。なかには安心・安全な食材を販売するマルシェ(即売会)も多いが、カジュアルな会場設営にはフェス文化の影響がありありと感じられる。
フェスは政治的な直接行動をも後押しする。2012年6月30日からまる2日間、福井県大飯原発前では、打楽器のリズムをバックに非暴力の再稼働反対運動が行われた。機動隊とにらみ合いながら、ダンスする抗議者たち。その見た目はフェス的な祝祭空間にも映る。
人が一人でできることは限られている。社会で何かを実現するためには、知恵と対話をベースに、仲間を集めなければならない。つまりフェスティバルは、その過程で人に力を与えることができる。フェスが抱える社会的意義なのだと思う。