忍術学とはどんな学問か?
忍者は、国際的にも「NINJA」として広く知られている言葉である。しかし実証史学的には、「忍者」の実体は明確にされていない。種々の史料には「忍び」などとして現れるが、実在を示す当時史料はわずかである。忍術は、戦乱の世が終わった江戸時代に大成されたが、これをもって、「家系を飾るもの」として創造されたなどという、忍者・忍術の虚像論を唱える向きさえもある。しかし、それは余りに皮相的な見解で、史料を丹念に追えば、伝承の世界だけでなく、戦国時代には確実に忍者・忍術が実在していたことは明白である。その起源や時代背景・形成過程を探究し、歴史的な位置付けを図ることは、「忍術学」として意義ある不可欠の要素である。正史に語られない、古(いにしえ)の忍者の実像を究明し、実体を明らかにすることが、学問としての忍術、すなわち「忍術学」の基礎といえる。では「忍術」とは何か? 弱小な個人や村集団が、強大な勢力に対抗していく過程で工夫された、自存自衛のための生存技術。それが「忍術」である。甲賀・伊賀の地(現在の滋賀県南部・三重県中西部)で長い歳月に培われた、弱少をもって強大を制し、共存するための軍事手段といえる。
相手の情報を探り弱点を衝(つ)けば、制することも、和することも可能となり、自己の損失を少なく、最小の力で最大の効果が得られる。戦時に不可欠な、偵察・諜報・謀略・撹乱(かくらん)などの古典的軍用技術のことである。
現代の複雑な人間関係、経済活動や国際関係などは、ある意味、弱肉強食の戦国時代になぞらえることができる。現代においても、外交・経済・宗教等々、多種多様な戦いがあふれている。忍者・忍術の歴史を探り、術技を整理・体系化すれば、現代にも通ずる有用な「忍術学」として確立できる。
忍術は、人間の気質や社会・自然環境などを掌握して、相手より優位に立ち、自己や家族、集団を守るための、合理的な総合生存技術である。一般によく知られた忍者のイメージ、つまり、幼少より過酷な鍛錬を積み、超人的な術を駆使する忍者は、一部を誇大に表現した幻想であり虚像である。
真の忍術は、現代の常人でも十分に実践可能な部分が多く含まれる。例えば、強靭な肉体と精神のもと、人心を把握し、多岐の情報を収集・分析して戦略を立て、謀略を巡らせる。このような、実利を得るための、忍者の冷徹な思考と行動は、現代にも十分に通じる。
また、封建の世に行われていたにもかかわらず、忍者の思考と行動には、現代的な共和・互恵思想や家族主義もうかがうことができる。例えば、その思考や行動規範について考えてみると、忍者は、主(あるじ)に仕えるというより、傭兵として活動しているという記録も多く、俗にいう武士道とは異なった、規範や思想があったと推測できる。ゆえに忍者は、「二君にまみえず」などの考えに縛られない自由でクールな行動が可能であった。
忍者の精神とは、その字の通り「忍」の一字に集約される。「心」の上に「刃(やいば)」が載り、押しもならず引きもならず、今一息の境地、すなわち残虐とまでいえる鉄壁の不動心が必要とされる。さらに、行動を起こす時は誰もが不安を抱えるが、忍者も例外でなく、忍びの三病(恐れ・侮り・考え過ぎ)を克服することが重要であった。これらは現代生活でも心得ておくべき課題である。
忍術の根本原理
忍術の根本原理は「機(気)をつかまえて間隙(かんげき)を衝く」にある。そのために、天(気象・時勢・風評など)、地(地形・風土・交通など)、人(性質・感情・思想など)を探り、自己の利とする。また、孫子の兵法の「五事七計」にいう、道(倫理)、天(機会)、地(位置)、将(指導者)、法(制度)、優劣、訓練、法令順守、評価の公平などを調査し、自己と相対的に分析を行うことも大切である。
メディア、通信、交通が高度に発達した現代は、真偽取り混ぜた情報が氾濫している。ネットを開けば、居ながらにして世界の状況が手に取るように知ることができる時代でもある。この中から、有用な真実を抽出し適用することは至難である。複雑化した現代では、得た情報を分析し策を講ずることも容易ではない。しかし、古典的であるがゆえに、シンプルな、これらの忍術の思考や行動規範が、情報収集と分析に活用できるだろう。
施策を講ずる際には、忍術で多用される、人間の五情(喜・怒・哀・楽・恐)と五欲(食・色・物・風流・名誉)を有効に用いれば、容易に目的を達成することが可能である。人間の心理・生理作用に、古今東西、男女老幼を問わず大きな差異はない。その一端として、近年でも、ハニートラップと呼ばれる諜報活動がときどきニュースとして話題となる。ハニートラップとは、スパイが、対象異性を誘惑して性的関係をもち、それを利用して懐柔したり、その関係を相手の弱みとして脅迫し、機密情報を要求するという、古典的な情報収集法である。
また、自己を表す際には、忍術でいう「虚実の転換」も重要である。有るものを無いかのように、無いものを有るかのごときに見せることは、忍者の常套(じょうとう)手段である。この「虚実の転換」は、相手を翻弄したり自己過信に陥らせ、策を誤らせるなどの撹乱に活用できる。
このように、忍術の様々な術技は、他に対して駆使するのみでなく、自己を守るために知っているだけでも益することが多い。
いまを生き抜く術としての忍術
本来の忍術は、知識と実践の技術が、鍛錬により一体となって習得できるものである。その上に、「正心」という忍者独自の価値観(大義)と、万物を敬う宗教心があいまって、目的達成の強固な信念と術技が身に付くのである。現代においても、これらに準じた方策を施せば、任務貫徹の精神を養うことができる。さらに、国の内外への事業展開では、競争相手の内情や地域特性、流通網などの調査や、将来のための人脈形成の類(たぐい)にも忍術は役立つだろう。
市場の開拓や拡販・広報・宣伝などにも、忍術の手法が期待できる。
また、人々の日常にも、忍術の応用が可能である。実生活の中での良好な人間関係の構築など、処世のための手法にもなるだろう。例えば、悪意をもって仕掛けられる、様々な誘惑や勧誘にも冷静に対応でき、的確な判断により自己保全も可能となる。
生存技術としての武術・薬方など、忍者の知恵や術技は、危機回避と自衛に役立ち、不意の危害や災難にも即応できる。
心身の操法や呼吸法など、古来の鍛錬法も適宜に行えば、健康の維持や増進に効用があるだろう。
忍者の歴史や術技には未知の部分が多く、ロマンあるミステリアスな知的趣味としても楽しむことができる。観光資源として、世界のブランド「NINJA」を取り上げ、地域文化として、参加、滞在、体験可能な、国内外よりの観光誘致も大いに期待でき、地域振興ともなり得る。
現在まで、学術的な探究がほとんどなされてこなかったが、時代にかかわらず万人に役立つ「忍術学」は魅力的な学問となるだろう。