『のど自慢』に初ゲスト出演
「アニソン? 兄の……何?」読売新聞にアニソンについての記事を書こうとして、デスクに問われた。見出しの「アニソン」は、もちろん書き直しだ。「水木一郎? そんな人、誰も知らないよ」と言われたこともある。どれも2000年代に入ってからの出来事だ。
あれから10年もたたないが、アニソンを取り巻く状況は大きく変わった。
水木の「ゼーーーット!」の雄叫びはすっかりおなじみとなり、テレビ番組にも引っ張りだこだ。2014年1月26日には、大分市から中継された『NHKのど自慢』にゲスト歌手として初出演し、『マジンガーZ』などの主題歌を披露した。全国の幅広い職業と年齢層を視聴者層とする番組のゲスト枠を勝ち得たことは、アニソンが、広く受け入れられたことを示す証しといえる。
手前みそだが、来る14年6月には、「よみうり大手町ホール」で水木と堀江美都子のアニソンコンサートが、読売新聞社の主催で行われる。数年前に社内で「知らない」とまで言われたことを思うと、感慨深い。
快進撃は水木にとどまらない。水樹奈々は『NHK紅白歌合戦』の常連となり、影山ヒロノブ率いるJAM Projectのライブは武道館を満員にする。さいたまスーパーアリーナで催されるアニソンの祭典「Animelo Summer Live」は年々規模を拡大している。ようやくアニソンが日の当たる場所に出てきたことを感じる。
「まんがの歌」とさげすまれ
ここまでの道のりは平坦ではなかった。水木(一郎)は1970年代、「ぼくらのバロム・1」「がんばれロボコン」「キャプテンハーロック」など、数え切れないアニメや特撮の主題歌を歌った。だが、アニソンという言葉すらない時代。子ども向け番組の歌は「テレビまんがの歌」とひとくくりにされ、歌謡曲やポップスより低く見られていた。堀江も100万枚以上を売り上げた「キャンディ・キャンディ」をはじめ、「花の子ルンルン」「進め!ゴレンジャー」などのヒット曲を持つ。それでも、当時はレコード店の前に置かれたビールケースが「舞台」で、マイクの代わりに拡声器を渡されたこともあったそうだ。
アニメや特撮でどんな秀作を作っても、業界で「ジャリ番」と馬鹿にされていたのと同様、番組の顔であるアニソンに対しても正当な評価はなされず、「一部のマニアのもの」との見方が長く続いた。多数のアニソンを手がけてきた日本コロムビアによれば、「アニソン」という言葉が登場してくるのは、2000年代に入ったあたりからという。同時期の1999年末、アニソンに特化した音楽制作会社ランティスが設立され、アニソンの時代の到来を告げた。
7000人のブラジル人が合唱
流れが大きく変わったのは2008年、海外でのアニソン人気の高さが日本にも伝えられるようになった頃だろう。ちょうどこの年、JAM Projectは初の海外ツアーを実施し、翌09年には水樹(奈々)が紅白歌合戦に初出場している。筆者もJAM Projectに同行し、ブラジルのサンパウロでのアニソンライブを取材したが、現地の熱狂ぶりはまさに「百聞は一見にしかず」を地でいくものだった。
会場には、7000人を超える客。日本人や日系人ではない。生粋のブラジル人と中南米各地からバスで半日以上かけて集まってきた若者たちだ。
聴衆が影山の「CHA-LA HEAD-CHA-LA」(『ドラゴンボールZ』)や「電撃戦隊チェンジマン」「聖闘士神話(ソルジャードリーム)」(『聖闘士星矢』)に唱和する様は圧巻だった。彼らの口から出てくるのが完璧な日本語の歌詞だとわかったときの驚きは忘れられない。聞けば、アニソンで日本語を覚えたのだという。
ブラジルだけではない。フランスやスペイン、アメリカやメキシコ、そして中国や韓国でも、同じようにアニソンは支持されている。
興味深いのは、アニソンへの偏見が海外では見られなかったことだ。たまたま好きになったのが日本のアニソンというだけで、ロックやクラシックと同様に一つの趣味として受け止められている。リスペクトの気持ちこそあれ、さげすむ気持ちはそこにはなかった。
こうした海外での人気に、日本政府もクールジャパンの一環としてアニソンに注目。堀江や『キン肉マン』『太陽戦隊サンバルカン』の串田アキラは、09年、国際交流基金の事業で中南米でライブを実施した。事業は民主党政権下の「仕分け」で一度は見直しを余儀なくされたが、最近、また復活。13年には、影山がエジプトのカイロでライブを行っている。
元気と勇気をくれる
いったい、アニソンの何が世界中の人の心をとらえるのか。ブラジルや欧州での取材では「アニソンを聞くと元気になる」「頑張ろうと思わせてくれる」という言葉をよく聞いた。頑張る主人公の姿を歌ったアニソンには、ネガティブな歌詞はほとんど出てこない。「あきらめるな」「負けない」「弱い者を慈しもう」という前向きな言葉が、彩り豊かなメロディーにのって歌われる。
生活習慣や恋愛観は国や文化によって違うから、スペイン人は石川さゆりの「津軽海峡冬景色」に共感しないかもしれないし、横浜がどこにあるか知らないエジプト人はユーミンの「海を見ていた午後」が理解できないかもしれない。
それに対して、アニソンの歌う「挫折しても頑張ろう」「困難に負けるな」という概念は、世界共通のものだ。しかも、アニソンの言葉はわかりやすく、ダイレクトに心に響く。この「直球勝負」の歌の内容こそが、アニソンが世界中の人の心を揺さぶる理由なのだろう。日本でも、東日本大震災のときにFM-TOKYOなどのラジオが「アンパンマンのマーチ」を流し、被災地を元気づけたとされる。アニソンには、人の心に勇気と元気を与える「歌の力」がある。
アニソンが蒔く平和の種
国のクールジャパン政策推進もあり、近年、海外でのアニソンライブが増えた。それは喜ばしいが、アニソンがビジネスとして語られがちなことが少し気になる。特に、旗振り役の経済産業省にその傾向が強いように思う。確かに、アニソンを輸出すれば、規模の大小は別にして、経済的利益をもたらすだろう。
だが、アニソンは車や電化製品とは違う。アニソンは、文化である。文化だからこそ、世界中の人を感動させ、日本への興味や親日感を醸成することがきた。この親日感、日本の文化への共感こそが、アニソンが生み出した真の財産である。
日本発のアニソンに、政治も宗教も言葉も違う人たちが同じように感動し、心がつながる。そこには小さくても美しい平和の種がある。「世界中の人が同じアニソンを合唱することで、少しだけでも、争いのない世界になるんじゃないか」とは、前述の串田がかつてライブで言った言葉だ。きれいごと、夢かもしれないが、その夢を信じたい。その夢は、アニソンの中のヒーローやヒロインがずっと説き続けてきたものでもあるから。
金儲けのためのクールジャパンではなく、文化としてのアニソン輸出、クールジャパン推進であってほしいと願う。
串田アキラ(くしだあきら)
1948年生まれ。81年の『太陽戦隊サンバルカン』でアニソン歌手の仲間入り。『宇宙刑事ギャバン』や『キン肉マン』『世界忍者戦ジライヤ』などの主題歌を歌う。「富士サファリパーク」のCMソングでもおなじみ。ファンからは「クッシー」と呼ばれる。
水木一郎(みずきいちろう)
1948年生まれ。71年にアニソン歌手デビュー。『マジンガーZ』、『宇宙海賊キャプテンハーロック』、『仮面ライダー』シリーズ、『がんばれ!!ロボコン』などの主題歌を歌う。持ち歌は1200曲以上で「アニソン界の帝王」の異名をとる。愛称は「アニキ」。
堀江美都子(ほりえみつこ)
1957年生まれ。69年デビュー。100万枚以上の大ヒットを記録した『キャンディ・キャンディ』の主題歌を筆頭に、『花の子ルンルン』、『魔法のマコちゃん』、『秘密戦隊ゴレンジャー』などの主題歌を担当。「アニソン界の女王」と呼ばれる。愛称は「ミッチ」。
水樹奈々(みずきなな)
1980年生まれ。2000年に歌手デビュー。声優としても『ハートキャッチプリキュア!』『NARUTO-ナルト-』などで活躍。代表作に「深愛」「ETERNAL BLAZE」。09年から紅白歌合戦に連続出場。水木一郎との血縁関係はない。
影山ヒロノブ(かげやまひろのぶ)
1961年生まれ。77年にロックバンド「レイジー(LAZY)」のボーカルとしてデビュー。85年「KAGE」名義で『電撃戦隊チェンジマン』の主題歌を歌い、アニソンに転じる。『ドラゴンボールZ』や『聖闘士星矢』の主題歌は世界で人気。「JAM Project」のリーダーである。
JAM Project(Japan Animationsong Makers Project ジャパン・アニメーションソング・メーカーズ・プロジェクト)
2000年結成。現在のメンバーは影山ヒロノブ、遠藤正明、きただにひろし、奥井雅美、福山芳樹。代表曲に「SKILL」や「VICTORY」。特撮番組『牙狼〈GARO〉』や『レスキューファイアー』の主題歌も手がけている。