100周年以後の課題
だが、時代は移る。今やプロ野球の阪神タイガースと並んで阪急阪神グループのエンターテインメント部門の支柱としての役割は重い。多様化する娯楽の中で、今までのプラスがマイナスに転じ、シビアな経営判断がなされることもあり得るだろう。いつまでも「特殊な世界」と思われたのでは観客層は拡大できない。若い世代、男性、そして海外からの観客を呼び込むためにはどうすればいいのか。ともあれ宝塚歌劇はすでに一つのジャンルであり、文字通り日本文化の宝である。これを民間の力だけで作り上げたことは称賛に値する。一度勇気をもってのぞいてみれば、未知の快楽、新たな発想が待ち受けているかもしれない。
小林一三
コバヤシ・イチゾウ。実業家、政治家。
1873年(明治6)~1957年(昭和32)。山梨県韮崎町(現・韮崎市)の名家に生まれる。上京後、慶應義塾に学び、小説や演劇に熱中。小説家を志すが果たせず、銀行員となる。その後大阪で、1907年箕面有馬電気軌道(現・阪急電鉄)を設立。1910年梅田~宝塚間の開業に伴い沿線開発に着手。住宅地の分譲に際しサラリーマン層のため月賦分割払い(住宅ローン)を実施。乗客誘致のため動物園、大浴場などの娯楽施設を次々設置する。1914年宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)を創設。日本初の西洋楽器による日本物の唱歌劇・舞踏劇を上演した。大阪・梅田駅を中心に駅ビルや百貨店の経営も手がけ、私鉄経営のモデルをつくった。