インタビューをする約束の金曜日。9時ちょうどに教会を訪ねると、アンジェロがポロシャツ姿でにこやかに迎えてくれた。そして礼拝所の奥、演台の左手の廊下の先にあるオフィスへと案内してくれる。そこは事務机と椅子、わずかな書類以外ほとんど何もない、ごく普通のこじんまりとした事務室だ。
部屋に入り、入り口近くに置かれた小さなテーブルを挟んで、私たちと向き合う格好で座った彼は、こう切り出した。
「それでは話しましょうか。どうぞ知りたいことを尋ねてください」
テーブルに両ひじをついて、私の質問を待っている。そこでまず、どこの出身なのかと尋ねると、ゆっくりとマイペースで話を始めた。
「私はオランチョの生まれで、6歳の時に母に連れられて、4人の兄と共に、このテグシガルパに来ました」
オランチョとは、ホンジュラスの首都テグシガルパがあるフランシスコ・モラサン県の北東に位置する、この国最大の面積を持つ県だ。内陸部の牧畜・農業地帯だが、それ以外の産業がなく失業者が多いため、近年は犯罪組織の温床となり、危険地帯とされている。未来の大物ギャングは、そんな田舎から首都へ、仕事とマシな暮らしを求めて出てきた母子家庭の末っ子だった。
彼は現在35歳。首都に来たのは1980年代半ばのことだ。60年代から人口流入が続くこの街では、旧市街の周辺から郊外へと向かって、徐々にスラムが拡大してきた。どこも最初は何のインフラ設備もなく、掘っ建て小屋の並ぶ地区で、地方から職探しに来たがまともな仕事が得られず、酒や麻薬に溺れる男たちや、露天商や家政婦などをして日銭を稼ぐのに必死な女たち、親に放置されて不良になる子どもで溢れていた。
「私たちが住み着いたスラムには、“サポス(蛙)”、“ネグロス(黒人)”、“アビオンシートス(チビ飛行機)”といった名前の少年や若者のギャング団が、本当にたくさんありました。バットやマチェーテ(山刀)、ピストルを持った“ロックンローラー”(クレイジーな奴)が、近所に大勢いたんです。私の兄の一人も、そうしたギャング団のリーダーでした」
マラスのような国際的な犯罪組織としてのギャング団がまだ一般化していなかった時代、スラムの若者ギャング団は、特に楽しみを持たない貧乏少年たちの数少ない居場所の一つだった。ケンカや盗みでスリルを味わい、強さを誇示し、大勢の仲間を持つことが、彼らの勲章だ。幼かったアンジェロは、その勲章を引っさげて歩く兄や周りの少年ギャングたちに、しだいに憧れるようになる。
「少年ギャングたちは皆、普通に学校に通っていて、放課後にスラムの一角に集まっては、悪さを企んでいました。その中には、8歳か10歳くらいの少年たちのグループもありました。私はその連中の仲間になりたくて、ある日、兄のお金を盗んでゲーセンに行き、気を引くためにその子たちにビデオゲーム代をおごりました。ところが、“まだ小さいから”と言われ、仲間には入れてもらえませんでした」
とはいえ、これをきっかけにアンジェロは少年ギャングたちと親しくなり、彼らと頻繁につるむようになっていく。
「“チキ、ジュースおごってくれよ!”と、よく声をかけられるようになりました。そして11歳になった時、ようやく正式な仲間として認めてくれたのです」
“チキ”とは、スペイン語のchiquito(ちっちゃい、チビ)を略したもので、アンジェロのニックネームだ。チキはからだが小さかったため年下に見られたが、幼い頃から街の市場の一角でアメリカ人が開いていた教室で“フルコンタクト”を練習しており、ケンカには自信があった。
フルコンタクトとは、空手をベースとする格闘技で、素手で直接打撃を与え合うスタイルを指す。チキが子どもだった1980~90年代、派手な試合展開が楽しめるフルコンタクトは欧米を中心に広まり、異種格闘技対決も盛んに行われて、何人もの最強スターを生み出した。アメリカの影響が強くボクシングの盛んなホンジュラスでも、少年たちの間で人気があった。強い者に憧れるチキにはもってこいのスポーツで、その才能もあった。だから本人は、仲間にさえ入れてもらえればギャングとしてきっと活躍できるという、密かな確信を持っていたようだ。
実際、それからの「冒険」を語る彼の顔は、今は牧師として非暴力を説いているにもかかわらず、どこか自慢げでうれしそうだった。
「ある時、一番仲のいい仲間のクリスティアンが、ほかの学校の連中に殴られたと言ってきました。そこで仲間全員で仕返しをしようということになり、その日の午後4時にある場所に集まってから、敵地へと乗り込むことにしました。ところが私は母の言いつけで、自宅の給水タンク二つ分の水を運ぶ仕事があり、待ち合わせに15分ほど遅れてしまいました」
スラムでは今でもよくある話だが、上水道がなく、各家庭は週に2、3回、給水車が運んでくる水を買っている。トタンと木板、コンクリートブロックなどで建てた家の外にドラム缶やプラスチック製タンクを置き、買った水を貯めておいて、ホースやバケツで屋内の別の容器へ運んで使う。その給水の手伝いをしていたために、遅刻したのだ。
「集合場所に行くと、もう皆出発した後でした。そこで私は、近くで見つけた鉄パイプをつかんで、急いで追いかけました」
パイプをガッと握る仕草をしてみせるアンジェロの動きが、緊張感を生む。ここからが、ギャング・チキ初の“ショータイム”だ。
先発隊に追いついた彼は、敵を待ち伏せしていた仲間に向かって、こう叫んだ。
「クリスティアンをやった奴の姿が見えたら、言ってくれ!」
すると仲間が、今まさにこちらへ歩いてくる少年二人をさっと指さした。
「そこで私は鉄パイプを振りかざして突進し、相手をめった打ちにして、両腕と肋骨をへし折ってやりました」
パイプを振り下ろす動作と口で表す「パース! パース!」という打撃音が、この出来事があたかもこの場で起きているかのような錯覚を呼ぶ。
「周りには、仲間が45人くらい集まっていましたが、皆その光景をあぜんとして見ていました。その時、私は思ったのです。(敵味方を問わず、)俺の力はもう十分に知れ渡っただろう、と」
話を聞いている私の脳裏に、鋭い目で周囲を見つめながら独りそうつぶやく劇画ヒーローの姿が浮かんだ。
自分の強さを確信したアンジェロは、この日を境に、何でも力ずくで解決するようになる。
「例えばサッカーの試合中に、審判が私のゴールをオフサイドで認めなかったりすると、ナメてるに違いないと考え、拳で片を付けるようになりました。おかげで12歳になる頃には、仲間全員が私をリスペクトするようになり、年上のギャング連中にも一目置かれるようになっていました」
そんなある日、年上の少年たちが作るギャング団「コブラ」のメンバーが彼のもとへやって来て、もったいぶった様子でこう告げた。
「いいかチキ、お前は今日からコブラ・ジュニアのリーターだ」
「コブラ・ジュニア」とは、「コブラ」の中でも年少の少年たちが中心となっている一団のこと。ジュニア世代のグループとはいえ、チキがついにギャングのリーダーとなる時が来たのだ。その瞬間、アンジェロは心の中でこうつぶやく。
「コブラの連中はもっとずっと強いと思っていたけれど、俺は彼らに高く評価されるほど、とてつもなく強いんだ」
コブラ・ジュニアのリーダー、チキ。それはアンジェロが最初に手にしたギャングとしての称号だった。
時は流れ、現在テグシガルパの若者ギャング団の多くは、国際的な犯罪組織「マラス」の一部と化した。だが、そのメンバーがギャングになった経緯は、アンジェロのそれとさほど変わらない。スラム少年たちの多くは、彼同様、「仲間を持つこと」と「強い者」への憧れから組織に入る。下は6、7歳の子どもまでいるという。彼らは、マラスが国境をまたいで凶悪犯罪に手を染めていることを知っているが、「自分たちを守ってくれる兄貴たち」に近づくために、その事実から目をそらす。
今の若者たちのそんな実態を知るために、貧困層の子どもや若者を支援するNGO(非政府系組織)がスラムで運営するコミュニティセンターを訪ねた。そこで、センターのパソコン教室に参加する、24歳のある青年と知り合う。彼は5年前までマラスのメンバーだったという。