「飲んだくれの親父が母さんを殴るのを見るのが嫌で、10歳で家を飛び出し、マラスに入ったんだ。ウチではいつもお腹をすかせていたけれど、ギャングになってからは、兄貴分がいつも食事や服、何でも与えてくれた。ストリートが家で、ギャング団が家族だったんだ」
現地取材の初日に刑務所で会ったソーシャルワーカーも指摘したように、家族関係が崩壊しているケースの多い貧困家庭で育つ彼らには、食べ物や服だけでなく、「足りないもの」がいくつもある。家庭のぬくもり、まじめに働く親の姿、安全な住まい……。そうした欠如感を抱えた子どもや若者の心を、ゆがんだ形ではあれ満たすのが、マラスのようなギャング団だ。
青年が言う。
「ほかに居場所が見つからなかったのが、問題だった……」
ラテンアメリカのように、「マチスモ」と呼ばれる男性優位主義がはびこる社会では、しばしば、特に貧困層において、男は腕力があって女たらしなのが一番イケてる、と考えられている。大人なら、これに「酒が強い」が加わるだろう。マチスモという言葉は、雄、男っぽい男を意味するmachoという単語に由来するが、教育水準も収入も低い貧困層の男たちは、男らしさの拠り所を「力」に求め、暴力を肯定する傾向が強い。やはり教育も財産もない女たちも、自立できるという自信の無さゆえに、男が甘い言葉さえかけてくれれば、無意識にマチスモを受け入れる。そんな父親と母親に育てられる子どもたちは当然、同じ感覚を身につける。そう、スラムの少年たちにとっては、ギャングのリーダーのような男こそが、英雄なのだ。
「マラスに入っていなくても、彼らのようにタトゥーをしたがる子は結構いる。かっこいいと思うからだ」
青年の住むスラムでは、一部の地域をマラスが支配しているが、その地域の外に暮らす少年たちの間でも、マラスのスタイルをまねる子どもがいると話す。青年の案内で地域を散策した際に言葉を交わした中学生くらいの少年も、腕に描いた小さなタトゥーを少し自慢げに見せてくれた。
そうやって憧れからギャング団に入る子どもたちはやがて、本物のワルへと変貌していく。元マラスの青年が「家族」と表現したギャング団の包容力と、人々が彼らに向ける恐れに満ちたまなざしが、少年たちにワルの仲間でいることの心地良さを実感させてくれるからだ。
アンジェロのいる教会で紹介された元マラスの青年も、「ギャング仲間といれば安心だし、まわりも敬意を払ってくれる。それがうれしかった」と証言した。家庭でも学校でもあまり褒められることがなく、馬鹿にされることのほうが多い貧乏少年たち。彼らは、強いギャングになることでしか、人に認められることがない。そんな世間の冷たい現実と空気が、幼い魂を暗い闇の深みへと引きずり込んで行く。
案の定、ギャングとしての才能を認められたアンジェロは、水を得た魚のように活動的になっていった。その物語を語る彼の口調も、歯切れ良さが増す。
「ある隣人のパーティーに出席した時のことです。私の右腕となったクリスティアンが、そこに来ていた自分のガールフレンドの父親が気に入らないのでやっつけたい、と言ってきました」
コブラ・ジュニアのリーダーとなった彼が、更なる悪事へと踏み出す第一歩は、ギャングとしてずっとチームを組むことになる仲間、クリスティアンの一言によってもたらされた。
「その言葉に同意した私は、彼が示した男に近づき、その頭部を思い切り蹴り上げました。と、彼が倒れているすきにクリスティアンが、財布から800レンピラを奪って逃げました。そして後で半分を私にくれたのです。350レンピラほどあれば流行のスニーカーを買うことができた時代の、400レンピラです!」
たとえ貧乏でも、テレビコマーシャルや街なかの看板、店舗に飾られる最新ファッションに敏感で、おしゃれにことさら気を使う少年たちは、流行のアイテムを手に入れ、カッコ良く決めて女にモテることができるチャンスを、簡単に逃しはしない。
「私たちはこの出来事をきっかけに、本物の盗人になっていったのです」
アンジェロはそう言い、どこか自分自身にあきれたような表情をした。
拳を振るってモノを盗み、その戦利品で周囲に力を誇示するというのは、ラテンアメリカのスラムの非行少年たちなら、誰もがよくやること。だから数人の仲間でただ軽く楽しんでいるうちは、まだマシだった。だが、それが習慣化し、本業のようになってくると、ギャング同士の対立や競争が生まれ、暴力がエスカレートする。いけいけムードで、誰もそこから抜け出せなくなる。
今ならその危うさが理解できるアンジェロも、当時はまだ、ただ自分の実力と幸運を楽しむだけで、より邪悪で危険な世界へとしだいに足を踏み入れていることの怖さに、気づいていなかった。それはもはや「ジュニア」の域を出た、本物の犯罪者への道だった。
(第3話に続く)