「16歳の頃、すでに120件の犯罪で告発されていました。しかし警察が私を捕まえることはありませんでした。私が本当は誰なのか、わからなかったからです」
アンジェロはそう言うと、ちょっと得意げないたずらっぽい笑みを浮かべた。それから、「一流の犯罪者」らしい逮捕逃れの手口を話し始めた。
「私はいつも偽名を使っていました。そして出歩く時は、身分証明書というものを一切持ち歩きませんでした。ですから、たとえ警察が名前と居場所を突き止めてやってきて、“おまえが○○か”と詰め寄っても、知らぬふりができたのです。誰も私がその人物だと証明することができませんでしたからね」
確かに本人確認ができないというのは、言い逃れのための良い手段だ。しかも常にそうやって警察を出し抜くとは、さすがは「プロ」。
そう感心しながらも、私はふと、長年メキシコの首都メキシコシティで取材してきた路上暮らしの少年たち=ストリートチルドレンとして生きる友人のことを思い出していた。彼らはちょっとした盗みといった軽犯罪に関わることはあるが、アンジェロのように大きな犯罪をたて続けに行うようなことはしない。それなのに、彼らを支援するNGO(非政府組織)の施設のスタッフに対して、よく偽名を使う。家で自分を虐待していた親や親戚、以前世話になった施設スタッフなどに居場所を知られないようにするためだという。
虐待の加害者から隠れようとするのはわかるが、面倒をみてくれた施設スタッフからも姿を隠すのは、なぜだろう? 最初は疑問に感じた。だが結局は、「自由」のためではないかと思うようになった。
「親にすら愛されず、どうせろくな人間にはなれない自分の人生に、あまり構わないでくれ。僕は路上で自由気ままに生きるだけでいいんだ……」。少年たちのそんな声が聞こえてくる。NGOからすれば、効果的な支援ができるよう、その少年の名前をもとにほかの施設や役所など、様々な場所にある記録を集めて、その子どもが抱える問題をよりよく理解したいわけだが、路上少年たちはそれを許さない。きちんと面倒をみてもらいたかった幼少期に、貧困家庭で親に放置されたり、強制的に働かされたり、虐待されたりして家を飛び出した彼らは、自分をよく知られることを恐れ、誰とのつながりにも多くを期待せず、何からもできるだけ自由でいることで、自分を守ろうとする。自由こそが、彼らが手に入れた唯一の自己防衛手段なのだ。本当は、路上生活にもそれなりのしがらみがあり、決して自由なわけではない。が、それでも、自分の名前と真の姿を否定することで、つらい過去から離れ、自由に生きている気分になれるのだ。
偽名を利用することで、アンジェロも近しい仲間以外の誰からも自分の姿を見えなくして、自由に犯罪行為を続けた。その冷酷で鮮やかな手口に、多くのギャングは敬意を表していたが、同時に、彼と勢力争いを演じようと意気込む連中も現れる。そんなやつらは、アンジェロたちの地元で、殺人事件まで起こし始めた。
「その頃私はもう18歳をすぎて、(ホンジュラスでは)成人していました。そして現実をみて、自分はやや調子に乗りすぎているのではないか、と感じるようになっていました」
彼が大物になればなるほど、敵となるギャングも凶悪になっていった。
「このままだといつ死んでもおかしくない。そう思い始めていました」
ところが19歳になった時、幸か不幸か、その運命は別の方向へと向かう。
アンジェロは、組んでいた手をほどき、両方の手のひらをテーブルの上に付いて肩の力を抜くと、ニヤリとしてこう言い放った。
「私はそろそろ結婚しようと考え、手続きを始めたのです。ところがそのせいで、警察に捕まってしまいました」
予想もしない展開に、私は思わず目をぱちくりさせた。
「え、それって、どういうことですか?!」
あれほど巧みに警察の追跡を逃れてきた男がなぜ、急に逮捕されるのだ。しかも「結婚の手続きを始めたせいで」とは一体、どういう意味か?
疑問だらけの顔を前に答えを与えねばと考えたアンジェロが、両手を組み直して話を続けた。
「逮捕の3カ月ほど前、私はつき合っていた恋人との結婚を決意し、婚姻手続きをするために、役所で身分証明書を発行してもらいました。そしてそれを自宅に保管していました。と、ある日、私が家で昼寝をしていると、外で何やら不審な気配がしたのです。出て行くと、そこには大勢の警官とギャング仲間がおり、外見が私とよく似ている兄が警官に囲まれていました。私に気づいた警官たちは、“あれがアンジェロなのか?”と言いました。まわりにいた連中が“そうだ”と応じると、警察は家宅捜索を始め、私は逮捕されました」
皮肉にも、結婚のために作った身分証明書が、この大物ギャングの身元を警察に証明したのだ。
こうして12歳から始まったアンジェロのギャング・リーダー生活は、1998年5月、彼が19歳の時ついに幕を閉じた。少なくとも、シャバにおいては――。
アンジェロ逮捕の1998年5月当時、テグシガルパの刑務所は、現在ある街の郊外にではなく、街の真ん中にあった。それは1888年に最初の建物が造られたという、古い施設だった。そこに収監されたアンジェロは、恐らく何十年も塀の中で過ごさなければならなかった。複数の強盗事件と殺人罪で訴えられていたからだ。ホンジュラスでは日本と異なり、犯罪容疑で逮捕された者は即刑務所へ送られ、そこで裁判を待つことになる。司法の動きが鈍いため、無罪でも4年や5年を刑務所で過ごすことがざらにある。アンジェロの場合は明らかに、それ以上だろう。
「とはいえ、私のギャングとしての生き方に変わりはありませんでした」
落ち着いた口調で、彼が言う。長い刑期が待っているなどということは頭にないかのように、大物ギャングは、刑務所内でもその役割とプライドを忘れなかった。
「刑務所に入ると、私はまず、そこで行われていたマリフアナの取引を誰が仕切っているのか、すでに17年間服役しているという男を雇って、調査させました」
そうやって塀の中での権力闘争は、幕を開けた。ムショでは、そこで行われる麻薬取引を仕切る者が、全囚人を仕切る。「塀の中のドン」となるのだ。
ラテンアメリカの多くの国で、刑務所は麻薬取引現場でもある。麻薬カルテルの連中が大勢服役している場合はもちろんだが、そうでなくても、ギャングやほかの罪人たちが看守などを巻き込んでブツを持ち込むルートを確保し、シャバにいた時と同様に、それを売買する。そのため、メキシコのある刑務所では、服役囚たちが麻薬の密売をエスカレートさせないよう、そして麻薬欲しさに暴力沙汰を起こしたりしないように、「マリフアナだけは自由に吸ってよいことになっている」と教えられたこともある。窃盗で服役していた知り合いに面会に行った際、刑務所の中庭で大勢の囚人がマリフアナタバコをプカプカやっている光景に、驚いたものだ。
「私は、刑務所内のマリフアナ取引のコントロールを手中におさめました。そして次の手を打つ準備をしていた時、あのハリケーン・ミッチがテグシガルパを襲ったのです」
1998年10月末、カリブ海で発生したハリケーン「ミッチ(女性の名前)」は、ハリケーンの中で最も風速の強いカテゴリー5(最大風速毎秒70メートル以上)という巨大なもので、ホンジュラスに上陸するやいなや、猛威を振るった。その結果、全国で計6600人が死亡、8052人が行方不明となり、被災者は約210万人にも上った。アンジェロのいた刑務所でも、老朽化していた建物が暴風雨と浸水により、崩壊しはじめる。
「ハリケーンの被害により、私たち(3500人以上の囚人)は現在の刑務所がある場所へと移されました。私はその混乱を利用して、服役囚全員をコントロールする力を手に入れることにしました」
彼はまず、自分と同じ監房にいる連中のリーダーとなった。監房には、45人ほどが共同生活をしていたが、「同居人」たちの中には二人、彼に従うことを拒否した者がいた。
「そこでその二人を殺して、全権を握りました」
そう、さらりと言う。
「囚人の間では常に、強い者が勝つことになっています。私はそれを知っていて、“強いリーダー”という自分の役割を淡々と果たしていました。もはや人間らしい心は失っていたのです」
一瞬のため息の後、彼は話を進めた。
「次に、隣の監房にいた連中の服従を得ました。そしてその隣、そのまた隣というように、順に支配を広げていったのです。最後には、すべての囚人をコントロールできるようになっていました」
しかもそれは囚人間だけでの話ではなく、刑務所内での正式な役職としても、「全体コーディネーター」という役を任された。