刑務所内で囚人たちを力で支配し続けることに、しだいに疲れと疑問を感じるようになったアンジェロは、これまでの人生を振り返り、自分はどこかで道を誤ったのではないか、という思いに駆られるようになっていた。
囚人仲間にも、「あなたは麻薬もやらず、はっきりとした意識を持って人を殺している。それこそ地獄に落ちますよ」と告げられ、不安はますます膨らんでいく。逮捕されてすぐに刑務所送りになり、遅々として進まない裁判の判決を待つ間にムショ内の裏切り者に殺されるか、あるいは一生ここから出られないかも知れない……。
そんなある日、彼の前に以前から囚人たちに神の教えを説いている服役囚の男が現れ、こんな言葉をかけてきた。
「ひとは、頭に問題を抱えているのではなく、心に抱えているのです」
アンジェロは、その言葉の意味を何度も繰り返し考えるようになる。そして、一つの結論に達した。
「俺が極悪な犯罪者となったのは、心の奥底に何か自分にそうさせてしまうような問題を抱えているからなんだ」
言葉をかけてくれた男は、20年ほど前に隣国ニカラグアで、独裁政権を倒すための革命に反政府ゲリラとして参加した経験を持つ人物だった。革命戦争中、敵を何人も殺した彼は、自覚的に人を殺したり傷つけたりしてきたことでアンジェロが抱いている不安は、頭で考えてもぬぐい去ることのできないもので、心に問いかけることでしか取り除けないと、伝えたかったのだ。
それ以来、一日の終わりになるとアンジェロは、いつも自分と対話するようになった。
「悪魔や精霊、神やキリストと語り合う形で、対話は進みました。例えばある時、精霊が私に言いました。“あなたは自分が思っているほど賢くはない”。私は、“そんなことはない!”と反論しましたが、こう返されました。“本当に賢い人なら、今のあなたのような状況に追い込まれることはない。ちゃんと家族を守ることを第一に考えるはずだ。あなた自身の誤った判断が、あなたをここへと導いたのだ”。言われてみれば、まさにその通りでした」
彼は、ほんの少し前の出来事を思い出していた。刑務所に入ってまもなく生まれた長男(2歳)が面会に来て、「パパ、今日は一緒におウチに帰ろうよ」とせがんだのだ。答えに困った父親は一言、「今日は駄目だから、またほかの日に」と告げて、息子と別れた。その子は、逮捕されたせいで結婚しそこねた恋人が、一人で産んだ子どもだった。
「別の日には、突然キリストが現れ、“私と共に来ますか?”とお尋ねになりました。それはちょうど、私があの事件のことを考えていた時です。そう、昔仲間と一緒に、運転席の男を銃で脅して車を盗もうとしたら、その男が私たちのことをまったく恐れずに、“私にとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです”と言い放った事件です。ずっと心に引っかかっていたその記憶と共に、キリストが私に問いかけました。自分を変えるには、神の教えと共に歩むしかないのではないか、と」
一流の強盗犯だったアンジェロが、珍しく自動車強盗に失敗したこの事件は、武器を持つことよりも信仰心を持つことのほうが人を強くし、恐怖心を打ち消すことができるという事実を、少年ギャングたちに突きつけた。その記憶が今、彼をある決断へと導こうとしていた――自分は浅はかな弱い人間だと認め、ギャング仲間や暴力に頼ることをやめて、神と共に正しい道を歩む決意をしよう。
「神が私を変えようとしてくださっている! 私はそう感じて、キリストに言いました。“あなたについて行きます”。すると彼は、“ならば、これまでの悪い人間関係をすべて断ち切りなさい”と、命じました。そこで私は、すぐにまわりの連中に告げました。“今後一切、俺に人殺しや犯罪の話をしないでくれ”と。皆は驚いた様子で、私の頭がおかしくなったのではないかと思ったようでした」
つい昨日まで、シャバではもちろん、刑務所内でも殺しや恫喝(どうかつ)で人を支配していた男の突然の改心は、周囲の動揺を誘った。恐らくアンジェロ自身も、自分を変えることにまだ十分な自信を持っていなかったに違いない。彼は言う。
「その翌日、悪魔が現れ、私にこう話しかけました。“おまえ、なぜそんな馬鹿なことをしているんだ? 意味がないじゃないか”。それは私自身の不安を映し出すセリフでした。その疑念を振り切るために、私は自分の心に潜む悪魔に言い返しました。“私にとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです”。そして悪魔は去って行きました」
ムショ暮らしを始めてから3年ほど経った時のことだった。以後、彼は行いを改め、毎日必死で神に祈り続けた。と同時に、聖書を隅々まで勉強しようと決意する。
実は刑務所に説教をしにくる聖職者は常におり、その話に耳を傾けたことはあったが、大して興味が湧かなかった。聖書の内容をただ繰り返しているだけで、他人事に思えたからだ。国民の大半がキリスト教徒である国に生まれたことで、神やキリストの言葉には日常生活の中で触れていたが、特に信仰に目覚めることはなかった。しかし今回は違った。自分と似た体験を持つ元ゲリラが伝える言葉が、信仰はどんな悪人をも許し、救ってくれるという希望を与えてくれたからだ。
「心に愛を取り戻さなければ、刑務所から出ることはできない。そう思っていました。だから、懸命に神の言葉を学んだのです」
信仰に導かれるようになったアンジェロは、刑務所生活4年目が過ぎようとしていた頃、説教に訪れた現在所属する教会の牧師と知り合い、熱心に教えを受けるようになる。それをきっかけに、彼の運命は奇跡とも言える瞬間へと向かって進み始めた。
アンジェロの奇跡の話は後ほどするとして、ここでもう一人、奇跡に救われたギャングの話をしよう。5年前まで凶悪な若者ギャング団「マラス」のメンバーだった24歳の青年、ネリのことだ。
彼は今、生まれ育ったスラムでNGO(非政府組織)が運営するコミュニティーセンターのパソコン教室で学びながら、教会のボランティア活動に取り組んでいる。「マラス」の取材でそのスラムを訪れた私に、10歳から19歳まで続いたギャング生活と、マラスを抜け出そうと考えた経緯を語ってくれた。
「殺しを含む数々の犯罪に関わり、死と隣り合わせの生活に強いストレスを感じながらも、僕はなかなかマラスを抜け出せなかった。マラスの仲間といれば、崩壊した家庭や世間に対する怒りを解消する方法が見つかると思っていたからだ。でも、結局は無理だった。怒りや憎しみはむしろ募るばかりだった。苦しみ悩んでいたある日、僕は不思議な体験をしたんだ」
ネリは、暗い過去を包む重苦しい空気を振り払うように、少し興奮気味に語り始めた。
「その日、僕は敵対するグループに襲われ、こめかみに銃を突きつけられて殴られ、奴らの車に押し込まれた。走り出した瞬間、恐怖のあまり、“神様!”と心の中で叫んだら、急にタイヤがパンクして車が止まったんだ。そこで僕は必死に逃げ出した。その後、友人に誘われて教会へ行ったら、なぜか涙があふれてきた。そう、僕には神の愛が必要だったんだ」
マラスのメンバーになることでは得られなかった心の安らぎと愛。教会でそれを見つけた彼は、マラスを抜ける決心をし、教会活動に没頭する。通常は組織を離れることすら許さないマラスも、信仰の道に入った者だけは、罰せずに見逃すらしい。仲間に追われることも敵だったギャングに狙われることもなく、無事に過ごしてきた。非情なギャングも、やはりどこかで神にだけは許されたいと願っているからだろう。
現在は、教会に来る貧困家庭の子どもたちを支援するボランティア活動に参加し、パソコン教室に通いながら、普通の若者らしい夢も抱けるようになった。将来について尋ねると、こう答えた。
「僕は高校は出ているので、パソコンを覚えて仕事を見つけ、働きながら大学へ行きたいんだ。文学を学んで、将来は作家になりたい」
言葉を使って表現することが大好きで、今も元マラスの仲間と共にギャングの若者たちに語りかけるラップ・ミュージックの曲をつくって、歌っているという。
「YouTubeで検索すれば、見られるよ」
探してみると、そこにアップされているのはCambio en la calle(路上の変化)というタイトルの曲だった。彼を含む7人の元マラスメンバーが、いかにもラッパーらしいファッションで、丘の上にあるスラムの坂道でステップを踏みながら、こう歌っている。
「世の中のことをちゃんと理解していないために、路上で死んで行く――」
かつては日が暮れた後も散歩をする人々で賑わった通りが危険地帯と化し、何の罪もない人までが容易に殺される今、本当の安らぎを得るためには、暴力や犯罪に加担していてはだめだ。