二つ目のカギは、当時の倶知安町長、伊藤弘元町長の存在だ。彼はセミナー開催直後から、役場の主任、係長クラスの中堅職員を積極的に、ニセコひらふ地区の外国人観光客集客にかかわらせた。そして受け入れ態勢を整えるために必要なインフラ整備と人材育成に町の予算を割いてくれた。
04年初頭には、ニセコひらふ地区で受け入れ態勢が整ったことにより外国人客が急増し始め、今度は本当にインターネットのブロードバンド回線が必要になったが、NTTもYahoo! BBも光回線やADSL回線を敷設してくれなかった。そこで伊藤元町長は、「最大で町債4000万円を発行しても、ブロードバンド回線を敷設する」と決断し、実行した。それは住民自らが見つけ出した「町の将来に必要なモノ」であったからだ。
その後もニセコひらふ地区および倶知安町は、市町村をまたいだ広域でのエリアプロモーションを行う組織作りや、民間投資での道路のロードヒーティング設備敷設など、他の地域では見られないようなことを実施してきた。
また海外資本によるニセコ地域への投資も、まだまだ止まる気配を見せない。
そのような地域になった理由は、雪質の良さでも外国人定住でもない。「住民自らが、地域の将来を考え、描き、それに向かって戦略や施策を構築する力を持った地域」だからこそ、成長し続けているのだ。