外国人客50万人超の圧倒的な実績
最近、北海道ニセコ地域が再び脚光を浴びている。圧倒的な外国人観光客集客実績に再び注目が集まったからである。北海道庁がまとめた2013年度の同地域の外国人宿泊数は38万2000人、14年度は50万人を超えた。ちなみに、外国人宿泊数で国内第2位のリゾート、長野県白馬村地域の13年度の外国人宿泊数は6万人でしかない。ニセコ地域は日本国内では「突き抜けた実績と評価を持つリゾート」なのだ。平日夜にニセコひらふの居酒屋を訪れると、店内で「日本人客は自分たちだけ」という、まるで外国にいるかのような風景に出くわす。
ではなぜ、ニセコ地域はこれほどの国際的なリゾートになったのであろうか?
世界を魅了する理由とは?
従来、ニセコ地域、特に外国人集客の核となっている倶知安(くっちゃん)町のニセコひらふ地域が外国人集客に成功した理由は、次のように語られてきた。一つには、ひらふ地区在住のオーストラリア人ロスフィンドレー氏が、ラフティングと呼ばれる川下りを中心としたアウトドアガイド事業を、地域にさきがけて立ち上げた功績が大きいと言われている。そのビジネスモデルを踏襲して成功を目指すオーストラリア人が地域に住み始めると、その友人たちがニセコ地域に訪れ、クチコミ効果で集客が急増したという説である。
もう一つが、01年に起きたアメリカ同時多発テロの影響で、それまでスキーでは欧州やカナダなどへ出向いていたオーストラリア人の目が、時差が1時間で、欧米、カナダに比して距離が近く、物価も安いニセコ地域に向き始めたという説である。
そして何より、スキー場としては世界で2番目に降雪量が多いと言われ、「奇跡のパウダースノー」と称される雪質の良さが、オーストラリア人に限らず、北米、欧州までの外国人を魅了した結果であると語られている。
しかし、冷静に過去の統計を分析すると、上記の理由では外国人客数が大幅に増加したことを説明しきれない。
例えば、外国人宿泊数の推移を見ていくと、1990年代後半に延べ2万人を超えていたものが、2000年には1万9000人台に、02年には1万8000人に減っている。この統計結果から、「1990年代は、地域に住み始めたオーストラリア人が主たる外国人集客要因だったが、2000年代に入ってからは集客力が大幅に減少していた」ことと、「01年のアメリカ同時多発テロは、ニセコへの外国人集客には、ほとんど影響を与えなかった」ことが分かる。
では残る「雪質の良さ」であろうか。もし降雪量の多さや雪質の良さだけならば、ニセコ地域と同等、もしくは上回るスキー場は、日本国内に数カ所ある。しかし、そのスキー場地域は、多くてもニセコ地域の10分の1程度しか外国人を集めていない。ほとんどは100分の1以下だ。したがってニセコ地域の成功要因は雪ではない。
ではなぜ、ニセコ地域、特にニセコひらふはこのように外国人集客に成功したのであろうか。そこには、これまでの日本の観光地が一切やったことがない、地道な取り組みの連続があった。
集客が減少した本当の原因
02年の初夏、私は知人を介して、倶知安町観光協会の中に設立されたネット研究会から、ニセコひらふ地域で外国人を集客するためのセミナーを開催してほしいとの依頼を受けた。当時、日帰り、宿泊問わず、日本人スキーヤーが大幅に減少して直に地域経済に大きな影響を与えていた。さらに、JAL(日本航空)やANA(全日本空輸)が主催する北海道スキーツアーの単価が下がり、ニセコひらふ地域の宿では、1泊2食の宿泊料金が、休前日で3900円、平日では2900円しか払ってもらえない状況にあった。
そして、一時期は右肩上がりに増えていた外国人客も、1999年以降、減少し始めていた。
2002年の3月頃までニセコひらふに来ていた外国人観光客は、ほぼ全員がオーストラリア人で、たいていは7~10泊滞在していた。そうした長期滞在する外国人客がいるのに、ニセコひらふにはADSLや光回線といったインターネットへ常時接続できる回線環境がなかった。
ネット研究会の若手メンバーの中には、「ブロードバンド回線さえつながれば、外国人客は増える」という思い込みが、強くあった。私は1998年に長野県乗鞍高原で日本初となる長距離無線LANの設置にかかわっていたため、彼らはそのノウハウを求めていたのだろう。
しかし、2002年8月25日に開催されたセミナーの基調講演での私の第一声は、「ネット環境を整備するだけでは外国人客は増えません」の一言だった。
当時、ニセコひらふ地区の宿泊施設、飲食施設の約3分の1に、「外国人お断り!」の貼り紙がしてあった。この貼り紙こそが、外国人宿泊者数を減らした原因である。
ではなぜそんな貼り紙が入り口に貼られるようになったのか? その根本的な原因は、「習慣の違い」と「言葉の壁」を出発点として、飲食店・ホテル側と外国人観光客双方に生じていた「不満、不平」であった。
いかに不満、不平を減らすか
そこで私は、欧米の一流リゾートがどのように観光客の不満や不平を回避しているか、を紹介した。まず観光客が「迷子にならない」ためにはどうしたらいいか、そして「行きたいところへ行ける」ようにするにはどうしたらいいかを、アメリカのコロラド州フリスコの事例を中心に説明した。北米最大のベイルスキー場から車で30分ほどの距離にあるフリスコ。その地図では、建物や地形が分かるイラストを用いて、観光客が即座に自分の居場所を把握できるような工夫がなされている。
また、客が4~5日連泊するリゾートでは、食事が非常に重要になる。世界各地の調査で、旅行先・リゾートの顧客満足度評価は、食事の満足度に比例するという「法則」が見つけられている。その法則に照らし合わせると、日本の宿泊料金の「1泊2食料金制度」は合っていない。なぜならロッジやペンションが提供できる夕食の種類はたいてい2パターンしかなく、それでは冬場に7~8泊する外国人宿泊者の不満を増大させることになるからだ。そこで、ニセコひらふ地区では宿泊料金を、基本的に「1泊朝食付き」にすることを提案した。
倶知安町ニセコひらふの人たちは、セミナーを経て真剣かつ迅速に動き始めた。セミナーからわずか1年後には、観光協会などが自ら、ニセコ地区に初めて訪れた人にも分かりやすい地図や道路名表示板、バスルート図を作成した。そして、宿泊料金を1泊朝食付きとすることを地域が受け入れ、ニセコ地区にある飲食店の英語メニューブックを無料配布するなど、客の不平不満を未然に防ぐ措置が徐々に整った。
また03年度に、官民が一体となって今後のニセコひらふ地区を中心とした倶知安町のビジョンを見つけ出す、「観光地倶知安戦略会議」がスタートした。これは会議と銘打っているが、実質は3年かけて地域経営に必要な基礎知識と経営ツールの使い方を教えるワークショップであり、地域の「人材育成事業」であった。同会議では、倶知安の観光の歴史を振り返って地域のポリシーを再発見すること、現状分析や戦略の策定、中長期のビジョンの策定などが行われた。この会議の中で、メンバーである倶知安町の住民自らが、何度も仮説を構築し、検討し、修正することで、住民自らが町の将来を見つけ出していった。
成長する地域の秘訣
なぜニセコひらふでは、いろいろな提案を受け入れ、かつ地域が抱えている課題を自ら見つけ出し、解決手段を素早く客に提示できたのであろうか。そこには二つの重要なカギがある。一つ目のカギは、地域の若い人たちが動きやすい環境にあった。
通常、地方では、若い人がいろんな新しいことをやりたいと考えていても、それを年配者が押さえ、そして潰してしまうことが多い。