竹内まりやが河合奈保子に詞と曲を提供した〈けんかをやめて〉(82年)も、同時に「ちがうタイプの人を好きになってしまう/揺れる乙女心」を扱っている点で、複数恋愛ソングの系譜上に位置づけられる。
竹内は、クリス松村との対談の中で、「河合奈保子ちゃんがハツラツと歌う〈スマイル・フォー・ミー〉を聴いて」いたら、「なんとなく〈けんかをやめて〉のフレーズが浮かんできたんです」(「音楽ナタリー」https://natalie.mu/music/pp/takeuchimariya02)と語っている。このとき竹内は、〈スマイル・フォー・ミー〉(81年)の詞を書いたのが、自らのヒット曲〈ドリーム・オブ・ユー~レモンライムの青い風〉(79年)の作詞者と同じ竜真知子であることを意識したはずだ。
上記2曲のつながりは、河合の歌に出てくる「レモン色の風」、そして竹内の歌の副題である「レモンライムの青い風」というフレーズを並べただけでも直感できるだろう。
竹内の歌のリフレインとなる「Dream a little dream of you」という英語の一文は、「Dream a Little Dream of Me」というジャズ・スタンダード曲の書き換えである。最後の「ミー」を「ユー」に換えることで、行為の主体は「あなた」(=「私の夢を見てね」)から「私」(=「あなたの夢を見る」)に反転する。
竜が数多く手がけた河合の楽曲は、いずれも複数恋愛を扱うものではないが、本稿の最初に述べた通り、ポリアモリーが有意味なのは、それが恋愛の形をめぐる男女の不平等を批判的に透かし出すからである。
実際、男女の平等な関係性を描き出すという意味において、〈スマイル・フォー・ミー〉は名曲である。阿久悠の言葉を借りるなら、「男性が勝手に作り上げたロマンチック」ではなく、「信頼し合って、対等で、なおかつロマンチックという感情」(前出『NHK人間講座 歌謡曲って何だろう』)に満ちている。
そこでは、「めぐりあって 求めあって」と、相互的な関係性が強調され、「Smile for me/Smile for you」と、交わす微笑みも決して一方的ではない。
また、「軽くふれただけの淡いくちづけ」という表現は、どちらがどちらにキスしたのか、「する側」と「される側」の区別を曖昧にする。
加えて面白いのは、「両手広げ 私を抱いて抱きしめて」という一行である。これは、受け身な女性の描写のようにも見えようが、両手を広げた男性に抱きしめられるには、まず女性の側から相手の腕の中へ飛び込む必要がある。男性が広げる両手はしたがって、女性の主体性を歓迎する。
ゆえに、両手を広げるしぐさは竜のお気に入りである。先にふれた〈ドリーム・オブ・ユー〉の語り手は、「あなた両手広げてきっと迎えて」と言っているし、河合奈保子の〈夏のヒロイン〉(82年)も、「ひろげた両手に抱きしめられた午後」をいとおしむ。(そういえば、阿久悠の作詞による桜田淳子の〈十七の夏〉(75年)にも、「裸足で駈けてとんで行く/広げた腕のその中へ」という一節があった。)
新しい女性像を打ち出していた70年代歌謡曲
同様に男女の相互性を感じさせる竜の作詞作品として、桑江知子が歌う〈私のハートはストップモーション〉(79年)にもふれておきたい。「マンションのエレベーター降りたとたん/出逢いがしらはじけた熱い視線」は、平等なときめきを生む。一方が他方を客体化する構図ではない。
この点、AKBグループの女性アイドルたちが、「僕」を主語にして、男性から女性に注がれるまなざしをなぞる保守性とは一線を画している。
そればかりか、桑江の歌は、「私あなたをはなさないわ」と女性が言い切っている。かつて、女性の主体的な意志表示は、麻丘めぐみが〈芽ばえ〉(72年、千家和也作詞)で歌ったように、「もうあなたのそばを離れないわ」というモードにとどまっていた。男性についていく女性(「離れないわ」)から、男性をリードする女性(「はなさないわ」)への変化を示すこの歌は、時代の歩みに寄り添った名作である。
70年代から80年代半ばにかけ、(フェミニズムという言葉は使わずとも)新しい女性像を打ち出し、流行歌の審美性と政治性を両立させた名曲たちは、今なお――いや、今だからこそ一層――聴き手の心に響く。そして、そうした名曲の多くを手がけた竜真知子は、阿久悠の後を継いだ言葉の紡ぎ手として、今以上に注目されてよいはずだ。
Jポップ時代の今、女性の自立や主体性より、可愛らしさの「正義」やモノ化された女性の「トリセツ」を発信するような反動的傾向は強まっている。そんな時代であればこそ、女性が輝く社会の導きたりえた昭和歌謡の魅力は未来に語り継がねばなるまい。