(3)社会史研究
そこで70年代なかばからは、現在まで続く、第3のパラダイムである「社会史研究」の潮流が生まれることになります。
歴史を語る存在である歴史家もまた、歴史的な制約のなかに存在している。すなわち、現在の時代の価値観を持ったうえで、過去の歴史と向き合う存在であることについて、自覚的になる視点が生まれてきます。
社会史研究では、過去を一種の異文化(他文化)であると考えます。ちょうど文化人類学者が異文化(他文化)の地でフィールド調査をおこなうように、歴史家も「過去」に出かけてフィールド調査をおこない、その異文化(他文化)を記す。歴史学とは「過去」という異文化(他文化)を体験する学問だというわけです。これは自文化(近代)を相対化する作業であり、多様性の認知につながる方向性でした。
かつてマルクス主義の進歩史観では、中世は古代より進歩した時代、現代は近代や近世よりも進歩した時代――であると考えられてきましたが、社会史研究はそう考えません。私たちが生きている現在と、ある過去の時代はそれぞれが異なる文化ですから、文化間に本質的な優劣はない。現代人の目から見ると意味がわからないものでも、当時の人たちにはそれなりの意味があった。その意味を解き明かすのが社会史研究の使命と考えるのです。
例えば時間や空間の捉え方も、現代人である私たちのイメージと、過去のある時期の人たちのイメージは異なります。365日間を「1年」だと考え、さらにその時間の長さをどう感じるか、そうした感覚すら異なっています。社会史研究のまなざしのなかで、現代の私たちと過去の人たちとの価値観や社会認識の違いが発見されてくるわけです。
そこから、従来の戦後歴史学や民衆史研究が、主に政治や民主運動といった、ごく短い時間で変化するものだけに注目してきたことへの反省も生まれてきます。長い時間を通じてようやく変化する気候や風土や地形、中程度の時間で変化していく人間の交際関係や家族関係、男女の愛情関係といったものへも、観察の視点が向けられるようになったのです。
だいぶ長く記しましたが、このことは、「歴史は事実だ」という表現が、いわれるほど単純ではないことを意味しています。たしかに、歴史は「事実」を出発点にするのですが、その事実がむき出しに置かれているのではない、ということです。
第一に、だれにとっての「事実」であるのか。だれが書きとめた「事実」であるのか。「事実」にも、解釈が先行しているということです。
第二には、「事実」は無数にあるなかで、取り上げられる「事実」、取り上げられない「事実」があることです。すなわち、「事実」に軽重がつけられています。当たり前のことのようですが、ここまでで紹介した「戦後歴史学」「民衆史研究」「社会史研究」という3つのパラダイムでは、それぞれ重視する事実が異なっています。
以上のことは、縮めて言えば、「歴史は事実」と言うときに私たちが見ている「事実」とは、無数の「事実」の中から恣意的に解釈され、選択されたものである、ということです。このことは、歴史は「事実」を出発点にするが、「解釈」をはらんだものであるということにほかなりません。
解釈の相違――事実の選択の差異、解釈の差異が、「戦後歴史学」「民衆史研究」「社会史研究」という3つのパラダイムをもたらしたのです。
「教科書」とはなにか
さて、目を歴史教科書に向けてみましょう。学校の教育で用いられる歴史の教科書は、いま現在の歴史認識を最も整合的に反映した存在、いま現在の人が次世代に伝えたい歴史への考え方のエッセンスが反映された存在です。日本の歴史教科書は、上記の戦後歴史学、民衆史研究、社会史研究の3つのパラダイムが、地層のように積み重なって反映されています。
基層をなすのは戦後歴史学です。すなわち、古代・中世・近世・近代・現代というお馴染みの時代区分は、もともと戦後歴史学のなかで強調されてきたもので、現在でも教科書の大きな枠組みとなっています。また、山城国一揆や打ちこわし、米騒動といった社会運動の記載は、民衆史研究の成果が反映されています。いっぽう、「家族」の概念の変遷といった社会史研究の成果は、主にコラム的な記載のなかで紹介されることが多くなっています。
教科書の本筋において、政治や社会運動といった短いスパンでの変化の記載が中心となっているのは、社会史研究の成果が十分に反映され切っていない面もあり、残念に思える部分もあります。しかし、近代を相対化して「古代とされる時代とは、近代の人間が考える古代に過ぎない」「中世とされる時代とは、近代の人間が考える中世に過ぎない」といった立場で、初学者向けの基礎的な教科書を作っていくことは極めて難しいでしょう。
まずは歴史の基礎、歴史の“文法”を押さえてもらうために、教科書が「〇〇の乱」「××の改革」といった事実を並べていく記述になることは、少なくとも現段階の歴史教育においては、そうせざるを得ないところがあります。
こうした意味あいにおいて、歴史教科書とは、多くの人々が最初に接する解釈であり、そのゆえに多くの人々に訴えかける最大公約数的な解釈を示したものである、ということができるでしょう。歴史という旅に出かけるツールであり、最初のガイドということになります。
歴史家とはなにか
歴史を解釈すること、解釈して叙述することを、職業的に担っているのは歴史家です。歴史家ならば誰もが参考にする本として、1962年に翻訳出版されたE.H.カーの『歴史とは何か』(岩波新書)があります。歴史や歴史学について考えるヒントが多く詰め込まれた著作ですが、なかでも最も有名なのが「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話」という一文です。社会史研究の言葉に翻訳すれば、歴史を考えることは自文化と異文化(他文化)との対話である、現在の価値観と過去の価値観との対話であるという意味になるでしょうか。
カーは、あわせて歴史を知るためには、歴史家を知らなければいけないとも述べています。ここで言う歴史家とは、大学で教鞭を執る職業的な歴史家だけを指しません。多くの人々の歴史意識に、説得力を与え得る言説を提供する存在のことです。歴史家とは、現在の人々の持つ歴史意識を集約して表現している人を指す言葉なのです。