田中 次にやるとしたら、やっぱりそこなんでしょうね。対談の最初に私が申し上げたように、研究者が何かを研究するときは、必ず理由があるんですよ。研究していると、いやだなと思うことも乗り越えていかなければならないわけですから、理由がないとエネルギーも湧かないんです。この部分は絶対に自分で言語化してみせるぞ、っていうようなことがないとね。もし濱野さんが暴力について研究を続けることができたら、ほかの女性たちに与える影響はとても大きいと思います。
濱野 頑張ります。怒りすら、大事なパワーになると私は思います。過去のことを悔しいと思い続けてもあまり生産的ではないですが、経験に価値を与えるのは自分自身だと思うんですよね。だから、何十年かかってもいいから、立ち直ることができたら、それでOKだと思うんです。
田中 同じ問題を抱えている女性って、見えないけど実はたくさんいると思いますよ。暴力って物理的なものだけじゃないから、警察に言うこともできないで苦しんでいるという人はいくらでもいるはずです。
セクシュアリティをどう捉えるか
濱野 今回、調査をしたドイツは、クリスチャンであることが当たり前のような社会ですから、ズーの人たちがカトリック的な価値観から脱却して、動物を愛することを自己肯定するというのは、相当に大変だったと思います。特にズーであることを実名でカミングアウトしているミヒャエルは、年齢が高く、ゲイに対してすら理解がなかった世代の人ですから。ただ、今の若い世代はセクシュアリティに対して自由な感覚を持っていますから、ズーに関しても比較的理解が早いようです。
田中 なるほど。LGBTへの承認があれば、ズーを理解するのは、もう一歩だということになるのでしょうか。
濱野 それはどうでしょうか……。LGBTの場合は、結婚や遺産相続などの人間と人間の権利問題になりますが、ズーの場合は、相手が動物なので、人権問題ではなく、動物保護や愛護の問題になると思います。そもそも、「人と人」のカテゴリの人たちと、「人と人でないもの」のカテゴリの人たちがわかり合えるかといったら、私はまだまだ時間がかかるだろうなと思います。ただ、ズーもセクシュアリティのひとつだという意味では、異性愛や同性愛とかと並んだカテゴリだと私は思ってはいるのですが……。これは、セクシュアリティというものを、どう捉えるかによりますね。
田中 そうですね。おそらく女性にとってセクシュアリティというのは、とても幅が広いものですよね。先ほどおっしゃったようにコミュニケーションであるということがすごく大事だからです。いいコミュニケーション、つまりお互いのパーソナリティを発見し合うようなコミュニケーションが、本当は性的な行為よりも先のはずで、性的な行為があるとしたら、パーソナリティ抜きではありえないということを、本当は主張しなければいけない。でも、今まではそういう言葉が与えられてこなかった。相手に気に入られるために、同意関係を女性のほうがつくってあげないといけなかったり、同意関係をつくらないと今度は社会から認められなかったりする。男性社会というのは、やはりいまだにありますよね。私も、男性社会の論理のなかで生きていて、自分が無理をしてるなと感じることはいまだにあります。ただ、それが個人としての私の無理なのか、女性としての無理なのかというのは、なかなか区別することは難しい。
濱野 そうですね。他方で男性は、それは「俺」だからなのか「男性」だからなのか、ということをあんまり考えなくても済んできたのではないかと思います。
田中 とくに日本女性の場合には、世間や相手に合わせないといけないという刷り込みがあるんだと思いますね。
濱野 受け入れることに長けてしまっている女性のほうがパーソナリティの発見は得意なのかもしれません。
田中 そうか、女性は発見しているんだけど、実は男性はまったく発見していないかもしれない……。
共感する力
濱野 それから、パーソナリティを発見するというのは、そのときの気温とか風向きとか、環境さえも影響すると思います。ズーの人たちは、自然を見る目が私より長けていました。ミヒャエルなんかはとくに、風向きとかで何時間後に雷が来るかがわかるんです。本人は天気が読めるつもりはないんですけど、彼が「今から雨降るよ」と言ったら、本当に降ってきたということがありました。
田中 もしかしたら、動物はわかっているのかもしれない。
濱野 そうかもしれません。彼は、「多分雨が降るから、猫はこっちに来てる」とか、動物の様子を見て、天気を読んだりもしていました。
田中 あるいは、ズーの人たちはその動物が感じている感性がだんだんと伝わってきて、自分の能力が開かれてくる可能性もあるような気がしますね。
濱野 それはあると思います。とくにミヒャエルは、自分でその能力を磨いていますから。
田中 動物が何をしようとしているのか、どういう気分なのかをわかろうとしたときに、そうした感性が開いていくはずですよね。
濱野 ズーの人たちは、自然や動物だけではなく、人間に対しても共感性が高いんです。私を受け入れてくれて、私のことを友達だと思ってくれるというのも、彼らが共感性の高い人たちだからだと思います。私は、彼らには、動物の心がわかってしまう超能力のような「第七感」があるんじゃないかと思っています(笑)。あるズーにそう話したら、「それはわからないけど、共感性が高いというのは本当だろうね。みんな、それで苦しんでいるから」と言っていました。