すなわち鬼殺隊は、上下関係の固定された組織や、有機的で全体主義的な組織であるというよりも、てんでんばらばらな側面がありつつも、利他性の原則によって緩やかに統合されているのであり、分業体制によってそれぞれのプロの仕事に敬意を払っている、という点が重要です。他方の鬼たちの組織は、上下の序列と従属関係を徹底的に重視するもので、まさに「滅私奉公」的な組織になっています。
鬼殺隊をバックアップする人々の一人であるお婆さん(ひささん)は、炭治郎たちに「どのような時も誇り高く生きて下さいませ」(第28話)と言っていました。炭治郎はそれを、次のように受け止めていました――「自分の立場をきちんと理解してその立場であることが恥ずかしくないように正しく振る舞うこと」。これはまさに鬼殺隊の原理である、と言えるのではないでしょうか。
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そもそも、『鬼滅の刃』の登場人物たちは、自分勝手に行動する人、人の話をあまり聞かない人が多く、しばしば、登場人物たちは発達障害や精神疾患を思わせる、という感想が数多く見られます(私も「『鬼滅の刃』を読む(1)」でそのようなことを述べました)。
この点は精神科医の斎藤環が多角的に論じているのですが(「『鬼滅の刃』の謎 あるいは超越論的炭治郎」)、『鬼滅の刃』に登場する人間の多くは、犯罪被害者として、あるいは犯罪被害者遺族としてのトラウマや傷を抱えています。他方の鬼たちの方もまた似たり寄ったりであり、「鬼とは『トラウマゆえにモンスター化した人間』の隠喩である」と斎藤は言います。
すなわち、対人援助の仕事に関わった人間の多くが知るように、虐待や暴力の被害者は、時として別の誰かに対する加害者になってしまうことがあるのです。とすると、必要なのは、「悪はきっちりと裁き、罰を与え、その上で存在は肯定する」「人を慈しみつつ罪は裁く」(斎藤、同上)という新しい倫理(近年の当事者研究や加害者臨床などの動向とも近いものがある)ではないでしょうか。
重要なのは、『鬼滅の刃』の世界では、発達障害やトラウマなどがほとんど当たり前のものであるかのように描かれている、ということです。つまり、人間も鬼も、様々な病気や障害や狂気やトラウマの組み合わせによって、人格が形作られているかのようです。炭治郎ですら、人の話を聴かない子どもと度々言われており、彼の「正義感」は狂気と裏表の面があります。おそらく、若い読者が『鬼滅の刃』を愛読するのも、そうした事情が関わっているのでしょう。
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この世界は残酷で理不尽である。新自由主義的な資本主義の中では、私たちは「鬼」として生きるしかないように感じられます。強い者が生き残り、弱い者は切り捨てられ、すべては自業自得であり、サバイブするためならどんなに卑劣で欺瞞的で「生き汚い」ことをしても構わない……。
何人かの論者が言うように、弱肉強食を是とする「鬼」たちを倒そうとする『鬼滅の刃』の世界観には、現代社会の新自由主義的なものを拒絶しようとする大衆の意志が反映されているのかもしれません。確かに炭治郎たちの行動原則は、生存競争の過酷さを受け止めつつ、それでも自己犠牲的であろうとする、というものです。
ただしそれは、あらかじめ道徳的に正しい人たちの利他性とは少し異なります。つまり、各人がバラバラにエゴイスティックに行動すること、それが実践的(プラグマティック)なレベルでは他者を生かす利他性となり、それが集団的に連鎖していく。「自然の摂理」としての正義が集団的=レイドバトル的なものとしてはじめて表現されうるのです。
そして、人間と鬼の組織の違いは、「永遠」と「不滅」という言葉によっても示されていました。
鬼舞辻無惨は、登場した当初から、自分が病弱に見られることを強く嫌悪していました(第14話)。上弦の鬼たちが集結した場では、こう言っていました。自分が嫌いなのは「変化」だ。状況の変化、肉体の変化、感情の変化……。変化のほとんどは「劣化」であり「衰え」である。私が好きなものは「不変」であり、「完璧な状態で永遠に変わらないこと」だ(第98話)。
これに対し、無惨に対峙したお館様は、君は永遠というものを「思い違い」している、と言っています。「不滅」なのは完璧さではなく、「人の想い」であり「繋がり」なのだ、と(第137話)。
たとえば炭治郎は、皆の力でついに無惨を討ち果たしたあと、次のような感謝の想いを抱きます。「みんなに繋いでもらった命」を「一生懸命生き」ること(第204話)にしたい、と。大切な人たちが、これからも理不尽な出来事に脅かされず、天寿を全うできるように、そのために一生懸命に生き抜こうとすること。たとえ大切な人たちが命を全うするとき、自分がその傍らにいられなくても。
それこそが「自然の摂理」に根差して「一生懸命生きること」であり、そして――無惨が望んだような「完璧な状態で永遠に変わらないこと」としての「永遠」とは全く異なる意味で――「不滅」を意味するのです。
しかも鬼殺隊という集団が示していたのは、先ほど述べたように、人間の弱さの中に強さを、あるいは健全さの中に病気や障害などを混在させていくような組織論であり、「能力の高い者が多くの利益を取っていい」という能力主義(メリトクラシー)や「この社会では健常な心身を生まれ持った者を優先して構わない」という健常者中心主義(エイブリズム)などとは異なる価値観をもった集団性だったのであり、そのような協働によって示される「自然の摂理」こそが「不滅」を意味していくのです。
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以上、ここまで、3回にわたって『鬼滅の刃』という作品を読んできました。この作品には、過酷で残酷な面のある現在という時代を反映するような世界観が描かれており、何よりも、そうした世界の中でも、気高く、恥知らずにならず、「自然の摂理」に従って生きることを促してくれるような力がありました。ここで私の論考は終わりますが、このような作品を読むことができた幸福を噛みしめつつ、引き続き、『鬼滅の刃』という作品を楽しんでいこうと考えています。
煉獄杏寿郎
鬼殺隊の「柱」(最高位の9人の剣士をこう呼ぶ)の一人。
上弦
人喰い鬼の首領・鬼舞辻無惨によって選ばれた鬼たちの最精鋭の「十二鬼月」の階級。「上弦」と「下弦」に分かれ、それぞれに、壱、弐、参、肆(し)、伍、陸(ろく)という順番になっている。
お館様
鬼殺隊を取りまとめる当主、産屋敷耀哉(うぶやしき かがや)のこと。
柱
鬼殺隊最高位の9人の剣士をこう呼ぶ。
風柱
鬼殺隊の最高位「柱」のなかで、「風の呼吸」を使うため、こう呼ぶ。