だが、こうなったのは、『シン・ウルトラマン』の製作者たちに想像力が欠如していたからではない。困難の究極の原因は、作品の中にあるのではなく、この作品が置かれている社会的コンテクストにある。つまり、原因は、現代の日本社会にある。日本人は今、自分たちだけで自分たちの安全や幸福を維持できないことをよくわかっている。私たち日本人を助け協力してくれる強い他者が必要だ。しかし、それなのに日本人は今、「この国が好き(愛国心)」「この国のため(国益)」ということを超える理念をもってはいない。自分たちが発揮できる利他性は同胞の範囲にとどまっているのに、日本人は、その範囲を超えて利他的にふるまってくれる強い他者を必要としている。『シン・ウルトラマン』は、日本社会の困難がどこにあるかを明確にしてもいる。
最後にもう一言。それでも私は、『シン・ウルトラマン』に感動した。何に最も感動したかと言えば、ウルトラマンの美しさである。この新しいウルトラマンは、まさに輝くほど美しい。
【註1】
佐藤健志『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』文藝春秋、1992年。
【註2】
この点を、朝日新聞の太田啓之記者が的確に指摘している。朝日新聞Digital、2022年6月10日記事。https://digital.asahi.com/articles/ASQ69439HQ66UCVL019.html?iref=comtop_7_07
【註3】
人類自身が大量破壊兵器だから廃棄すると言っているのに、こんな危険な最終兵器は使用可能なのか、とツッコミを入れたくなるところではある。どこかの国が危険な生物化学兵器を所有しているので、核兵器で全滅させよう、と言っているに等しいわけで、ここには矛盾がある。が、今はこの点は忘れて前に進もう。