重要なのは、「私」がM**くんの人生の選択や決断に対し、基本的に無力であって何もできない、という事実である。「私」は「具体的な手助け」を何もできない。「判断を下す」ことすらできない。アクティヴなのはM**くん自身の判断と行動であり、「私」はほとんど受動的に流されるように夢読みの仕事をお役御免になり、「街」から解放あるいは追放される。
これもメンズリブ的なリアリズムから考えれば、適材適所を重んじ、新世代の若者に仕事を任せて、ちゃんと役割の引き継ぎをしよう、そして若者からの助力やケアを受け容れられる中高年男性になっていこう、という主題があると言える。心を失った女性の助力的なケアラーとしてその傍にとどまること、それがじつは自分の役割でも「天職」でもなかったという厳然たる事実を突き付けられるのは、本当につらいことだろう。しかしそれでも、諦めるべき事柄を諦めて、新たな生活に軟着陸していこう。そして自分の空虚さを別の「百パーセント」で埋めねばならない、という強迫的な呪いを和らげていこう……。それは成熟や断念というよりも、やはり下山であり、下野の過程であるだろう。
その点では、終盤で行方不明になったM**くんを探す父親の姿、さらに少年の二人の兄(弁護士と医学生)の姿は、いっけん地味ながら、あるいは地味だからこそ、この小説の一つの心臓部であると言ってもいいだろう。若い頃の村上作品であれば(『海辺のカフカ』や『アフターダーク』等の作品を経る前の村上作品であれば)、こうした市井の人々の目立たず地道ながらも、決定的に重要な葛藤のありさまが描かれることはなかったように思われる。
名前のないコーヒーショップの、名前のない女性(離婚歴のある三十代半ばの女性。最後まで名前を明かされない)との関係も印象深い。「私」が彼女を自宅に誘って、パスタやサラダ、「冷えたシャブリ」で食事するというシーンは、いつも通りの村上春樹的な男女の光景であり、「またか」という居心地の悪さを正直感じた。それは否定しない。しかしその後、彼女は「性行為を受容することができない」こと、言わばノンセクシュアルであることが明らかになる。彼女は「長い時間がかかるかもしれない」「そういう気持ちにはもう二度となれないかもしれない」と言う。それに対し「私」は「でも長い時間をかけても待ちたいと思う気持ちには、それなりの価値があるんじゃないかな」と応じる。中年同士の男女関係のこうした描かれ方にも、ここまでゆっくりと熟成され変化してきた村上なりの下山の過程の努力を感じた。
決定的な何かを失った中年男女たちも、こんなふうに人生をやり直し、労りあい、「天職」を誰かに譲り渡したあとの人生を(誰かを身代わりにしたり、代役を強いたりするのではなく)生きられるのだ。他者がゆっくりと変わっていく可能性をひたすら「待つ」、他者が変わるのを「待つ」ことで自分が変わりうるのを「待つ」、そうした過酷な散文的な時間に耐えていけるのだ。当たり前のようなことではある。しかしそれはやはり大切なことに思われた。
最後に整理しよう。1980年の中編「街と、その不確かな壁」では、「僕」は恋人(君)を置き去りにした、という断念と悔恨が描かれ、世俗的な成熟が選び取られた。1985年の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』では、たとえ間違っていても心を喪失した恋人と共にいよう、という個人的な倫理が発見された。それらに対して、2023年の『街とその不確かな壁』では、自分の天職ではないことは他人に任せるという勇気が描かれ、直子的女の子の内閉という選択もまたポジティヴなものだった、という祝福性が与えられた。それは社会的成熟や個人的倫理というよりも、この世界は様々な人々の分業と継承によって成り立っている、ということへの世界的信頼のようなものだろう。
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子易さんは「私」に「信じる心をなくしてはならんということです」と忠告してくれていた。「それによって、来たるべき激しい落下も防げるはずです。あるいはその衝撃を大いに和らげることができます」と。子易さん一人だけではなかった。M**くんもやはり、「信じることです」と助言してくれた。「誰かが地面であなたを受け止めてくれることをです。心の底からそれを信じることです。留保なく、まったく無条件で」と。
「信じる」とは、何よりもまず、落下する自分を自分自身が支えられると信じる、ということを意味した。それは二つに分裂していた「私」が再統合されることである。しかしさらに大切なのは、鬱的な「初期中年クライシス」の真っ只中にいる「私」の「来たるべき激しい落下」を「受け止めてくれる」少数の人たち、何人かの人たちがこの地方の田舎町にはいた、ということだろう。来たるべき自分を信じて過去の自分を弔うとは、それまでの役割や天職を剥奪されてどんなに無力無能になり、手も足も出なくなったとしても、そんな自分の落下を必ず誰かが「受け止めてくれる」、そして「その衝撃を大いに和らげ」てくれる、そう信じることだろう。「留保なく、まったく無条件で」。
そしていっそう重要なのは、それは「私」に対してだけではなく、サヴァン症候群の少年にとっても同じくそうだった、ということだ。Z**町には、何がケアになるかわからず、何ができるかわからずとも、少年の存在を受け止めようとするキャッチャーたちが何人もいた。子易さんや添田(そえだ)さん(司書の女性)がいたし、「私」もやってきた。そして彼の父親や兄たちもそうだった――たとえそれが決して「天職」にはなりえなかったにせよ、彼らなりに少年のことを理解しようとし、神隠しされる者たちのキャッチャーであろうとしていたのだった。
そうした意味では、内閉的な「街」と世俗社会的な「Z**町」の間の「壁」こそが、何よりも「不確かな」ものなのである。「壁」は絶対的ではないのである。あるいは、私たちのこの世俗社会の中には、いつでも無数の「街」がある、と言ってもよい。ある日空からどんなに割れやすい卵たちが落下してきても、きっと、どこかの名前もない誰かがそれを優しく温かく、「留保なく、まったく無条件で」、受け止めてくれるはずだ。「その衝撃を大いに和らげ」てくれるはずだ。自らを弔っていくとは、この世界への「信じる心をなくしてはならんということです」という真理を、必要なやり方のために必要な時間をかけて、自分の中でゆっくりと熟成させていくことではなかったか。