大英博物館が誇るギリシャ彫刻コレクション、通称「パルテノン・マーブル」をご存じでしょうか。この彫刻群は、19世紀初めにギリシャ(当時はオスマン・トルコ領)のパルテノン神殿から切り出され、イギリスに持ち込まれたものです。ギリシャ政府は1980年代初頭以降、大英博物館にパルテノン・マーブルの返還を求めていますが、同館にはこれに応じる動きが見られません。
ほかにも、植民地時代に宗主国が持ち出したもの、戦争の混乱に乗じて略奪されたもの、盗掘や違法な売買を経て取り引きされたものなど、「もとあった場所」から不当に移動を強いられた文化財は世界各地に存在しています。
近年、こういった文化財の返還を求める動きが加速し、現在それらを所有する国や美術館・博物館・研究機関なども、少しずつそれらの要求に応じ始めています。
文化財は「誰」のものか、「どこ」にあるべきものなのか? 『文化財返還問題を考える』(岩波ブックレット、2019年)を執筆した五十嵐 彰さんに解説していただきます。
九州大学の入試小論文
文化財の返還問題を考えるにあたり、私たちの現在の考え方を示唆する話題がありました。
2022年度九州大学共創学部入試の小論文で、「世界の主要な博物館には植民地時代にもたらされた様々な収蔵品があるが、示された資料に基づいてこれらの帰属に関する議論の論点、対立点、問題点を整理して、解決策を提案しなさい」という問題が出ました。いわゆる「文化財返還」については以前から様々なレベルで問題解決が模索されてきたのですが、大学の入学試験で出題されたという点で大きな意味を持つ出来事でした。なぜならこのことによって「文化財返還」という世界的な問題が、単なる社会問題にとどまらず、日本の学校教育というレベルでも若い世代において最低限の知識が求められるようになったことを意味するからです。
九州大学の入試問題では、参考資料のひとつとして「普遍的博物館の重要性と価値に関する宣言」(Declaration on the Importance and Value of Universal Museums:DIVUM)が提示されました。これは2002年にエルミタージュやルーブルなど、世界的に有名な18の博物館・美術館が、所蔵文化財の返還要求に対抗するために英知を結集して作成した文章で、返還反対論の根拠となっている資料です。
本稿では文化財返還をめぐる「議論の論点、対立点、問題点を整理」し、返還を推進する立場を表明していきます。そのために、まずこの文章の検討から始めてみましょう。
普遍的博物館の宣言
「普遍的博物館の重要性と価値に関する宣言」は英文にして500語ほどの声明文です。以下は、その引用です。
「古い時代に収集品となった品々について、その時代を反映した異なる感性や価値観に照らしてその存在を評価しなければならないことを認識すべきです。(中略)私たちは品々や記念物がもともと作られ、存在していた場所と時間の重要性というテーマに特に敏感ですが、博物館もまた、はるか昔にそれらがもともと存在していた時空間(コンテクスト)から離れてしまった品々や記念物に有効で貴重な存在の時空間を提供しているという事実を見失ってはなりません。(中略)古代文明に対する世界的な賞賛は、(世界各地の)主要な博物館で世界中の人々に広く公開されているこれら諸文化の遺物による影響がなければ、今日、世界の人々の間にこれほど深く定着することはなかったでしょう。(中略)博物館は一国の国民だけでなく、世界のすべての国の人々に奉仕していることを私たちは認識すべきです。(中略)その使命は、それらの収蔵管理する品々や記念物の継続的な再解釈のプロセスを通じて知識を育むことです。」(2022年度九州大学共創学部入試問題より)
それでは、この声明文の主要な論点とその問題について考えます。
(1)入手方法の妥当性
まず知っていただきたいのですが、返還を求める側は、世界の代表的な博物館が所蔵している外国由来のすべての文化財を問題にしているわけではありません。ある収蔵資料に関して、現地からの持ち出し方、現在の所蔵組織が入手した際のあり方について問題があるのではないかとしているのです。問題がある文化財については、「現在の所蔵者」と「返還を求めている元あった場所に関わる人たち(ステークホルダー)」が対等な立場で、どのように扱うのかを協議すべきではないかと提案しています。