2024年7月3日、10000円、5000円、1000円札のデザインが20年ぶりに変わった。
お札に描かれる肖像には10000円に渋沢栄一、5000円に津田梅子、1000円に北里柴三郎が採用された。
そもそも日本においてお札はいつから発行され始めたのか?
描かれた肖像などを中心にその変遷を年表で辿る。
●最古の日本紙幣
1600年ごろ(江戸時代)
*伊勢国(現・三重県)の商人の間で「山田羽書(やまだはがき)」が流通する。これが日本紙幣最古のものとされる。
*室町時代末期から伊勢山田地方には伊勢神宮に詣でる人が全国から集まるようになり、商業が発達していた。御師(おんし)と呼ばれる神職による自治も行われ、御師や商人らが組織していた「三方会合所(さんぽうえごうしょ)」から「山田羽書」が手形として発行された。明治時代のはじめまで伊勢周辺で流通した。
*「羽書」の語源は、端数の少額紙幣を意味する「端書」、また「羽根」がついて飛ぶように流通するからことから来ているといわれる。
*「山田羽書」には商業の神様・大黒天が描かれていた。
1661年(江戸時代)
*藩内にだけ通用する紙幣「藩札(はんさつ)」が各藩で発行され全国に広がる。
*多くの「藩札」の表裏には大黒天、布袋などの七福神のほか竜や鳳凰などの図柄が描かれていた。現存する最古といわれる福井藩の藩札には当時としては珍しく想像上の動物の麒麟が描かれたものがある。
1868年(明治時代)
*1868年(慶応4年)に成立した明治新政府により、日本初、全国通用の政府紙幣である「太政官札(だじょうかんさつ)」が発行される。
*10両、5両、1両、1分、1朱の5券種が発行された。
*印刷技術がまだ発達しておらず、各地で贋札が横行した。
*人物の肖像は用いず、一部の「藩札」と同じく竜や鳳凰が描かれていた。
1871年(明治4年)
*「新貨条例」が制定される。貨幣単位に「円」を採用。円、銭、厘の十進法の通貨単位が定められる。
*大蔵省内にのちの国立印刷局である紙幣司(しへいし)が創設。半月ほどで紙幣寮と改称。初代紙幣頭(しへいのかみ)は渋沢栄一が務めた。創設されたものの、お札の製造は外国に委託、おもな業務はお札にかかわる行政事務全般であった。
1872年(明治5年)
*太政官札の偽造に悩んだ明治政府がドイツのドンドルフ・ナウマン社に製造を依頼し、政府紙幣である新紙幣(明治通宝)が発行される。(ゲルマン紙幣とも呼ばれる)
*100円、50円、10円、5円、2円、1円、半円、20銭、10銭の9券種が発行された。
*デザインは全券種共通で表面の図柄は双竜、鳳凰。裏面には青海波、蜻蛉、千鳥、帆立貝、孔雀などが描かれる。
●キヨッソーネの登場
1873年(明治6年)
*国立銀行紙幣(旧券)が発行される。
(1877年(明治10年)に発行された「国立銀行紙幣」と区別するため「旧券」と呼ばれる)
*この「国立銀行」とは、1872年(明治5年)制定の「国立銀行条例」によって設立された民間銀行のこと。
*当時、日本には紙幣製造設備がなかったため、アメリカで印刷された。
*20円、10円、5円、2円、1円の5券種が発行された。
*20円券の表面は素戔嗚尊(スサノオノミコト)と八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の図。裏面は大国主命(オオクニヌシノミコト)。
*10円券の表面には雅楽の演奏風景が描かれる。裏面には騎馬姿の神功皇后(じんぐうこうごう)と白馬にまたがった武内宿禰(たけのうちのすくね)その他、数人の武将が描かれる。
*5円券の表面には田植えと稲刈り、裏面には日本橋、富士山が描かれる。
*2円券の表面には児島高徳(こじまたかのり)と新田義貞(にったよしさだ)。
(英雄豪傑の図を送付するようにとのアメリカの指示により、明治政府が、天皇を支えた南北朝時代の2人の武士の人物画を採用した。楠木正成も選定されていたが採用には至らなかった)
*裏面には皇城見付櫓(やぐら)。
(明治政府が、徳川家将軍が居城していた江戸城が、天皇の居城「皇城」であることをアピールするために採用したものと推測される)
*1円券の表面には源為朝と軍船。ただし源為朝ではなく上毛野田道(かみつけののたじ)という説もあり。裏面には元寇撃退の図が描かれる。
1876年(明治9年)
*第3代紙幣頭の得能良介(とくのうりょうすけ)がお札の国産化をめざして紙幣寮をお札の行政事務から製造機関へと転換することを建議。東京大手町に紙幣寮(のちの印刷局)の工場が建設された。
*得能はお札の製造事業の発展、人材の育成に力を入れ、お札の製造技術を伝授する外国人技術者を雇い入れた。そのなかで、西郷隆盛の肖像などを描いたイタリアの銅版画家、エドアルド・キヨッソーネは日本にお札の製造技術を伝えた最大の功労者とされ「日本近代紙幣の父」とも呼ばれる。
1877年(明治10年)
*国産第1号となる洋式紙幣の「国立銀行紙幣(新券)」が発行される。
(1873年(明治6年)に発行された「国立銀行紙幣」と区別するため「新券」と呼ばれる)
*5円、1円の2券種が1877年(明治10年)から翌78年(明治11年)にかけて発行された。
*5円券の表面には鍛冶屋の作業風景が描かれる。裏面には商売の神様・恵比寿が描かれる。
*1円券の表面には水兵が描かれる。裏面に5円券と同じく恵比寿の図。
*鍛冶屋は殖産興業政策を水兵は富国強兵を象徴しているといわれる。
*表面のデザインはキヨッソーネだが、裏面は多忙のため、彼の友人で彫刻家のヴィンチェンツオ・ラグーザが代わって手掛けたといわれる。
●肖像入り紙幣の登場
1881年(明治14年)
*初の肖像入り政府紙幣である「改造紙幣」発行される。「改造紙幣」とは1872年(明治5年)の新紙幣(明治通宝)に代えて、改めて発行された紙幣という意味。
*紙幣に肖像を採用することは、キヨッソーネの提案による。当初、彼は明治天皇の肖像を希望したが、写真嫌いの明治天皇が辞退し、『日本書紀』で日本に初めて貨幣の存在を伝えたとされる神功皇后の肖像が採用された。
*10円、5円、1円、50銭、20銭の5券種が1881年(明治14年)から1883年(明治16年)にかけて発行された。
*1円券以上の全ての表面には神功皇后。裏面は彩紋模様。50銭、20銭券には肖像は描かれていない。
1882年(明治15年)
*「日本銀行条例」が制定される。
*日本銀行が開業。開業により、明治初期に流通したさまざまなお札は順次整理され、日本のお札はすべて日本銀行券に統一されることとなる。
1885年(明治18年)
*初の「日本銀行兌換(だかん)銀券」が発行される。
*当時の日本は事実上銀本位制であり(1897年(明治30年)に金本位制に移行)、券面にはその額面に相当する銀貨との引き換えを保証する文言が書かれていた。銀貨との交換が保証されたお札という意味で兌換銀券と呼ばれた。
*100円、10円、5円、1円の4券種が1885年(明治18年)から翌86年(明治19年)にかけて発行された。
*図柄は全券種共通で大黒天の図を採用。「大黒札」として親しまれた。
(採用された理由として、当時は不景気であったため、大黒天に商売繁盛を願う大衆の気持ちをこめたとの説がある)