●日本で一番大きなお札の発行
1888年(明治21年)
*「改造兌換銀券」が発行される。
*100円、10円、5円、1円の4券種が1888年(明治21年)から1891年(明治24年)にかけて発行された。
*図柄は100円券に藤原鎌足、10円券に和気清麻呂、5円券に菅原道真、1円券に武内宿禰らの肖像が採用された。
*明治政府は当初、7券種を発行する予定で、上記4人を含む日本武尊(やまとたけるのみこと)、聖徳太子、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)の7人を候補としていた。いずれも『古事記』や『日本書紀』に登場する人物が多く、天皇の臣下であったことが選定理由とされる。
*1891年(明治24年)に発行された改造100円券は現在でも日本最大のお札。縦の長さが130ミリ、横の長さが210ミリ。表面の図柄がメガネのフレームのようなので、「メガネ札」と呼ばれた。この100円券の原板完成を機に、1875年(明治8年)以来、印刷局に勤務し、お札のデザインなどを手掛けたキヨッソーネが退職した。
1899年(明治32年)
*銀本位制から金本位制への「貨幣法」制定(1897年(明治30年))にともない、金貨と交換できる「日本銀行兌換券」が発行される。
*100円、10円、5円の3券種が1899年(明治32年)から翌1900年(明治33年)にかけて、金兌換の甲券に改造された。
*甲100円券には藤原鎌足、甲10円券は和気清麻呂、甲5円券には武内宿禰の肖像が採用された。(当時、兌換銀券の1円券も継続発行されたため武内の肖像が描かれたお札は2券種存在した)甲10円券の裏面にはイノシシが描かれており、「イノシシ札」の愛称で親しまれた。
*日本銀行がお札を発行してから2024年(令和6年)現在まで56券種のお札が発行されている。そのシリーズ分類のため1899年以降は、以下の通り、記号をつけて区別している。
1899年(明治32年)頃から1935年(昭和10年)頃までを「甲、乙、丙、丁」4つの記号。
1942年(昭和17年)頃から1945年(昭和20年)頃まで、「い、ろ」2つの記号。
1946年(昭和21年)以降、2024年(令和6年)現在までは「A、B、C、D、E、F」6つの記号がある。
1917年(大正6年)
*第一次世界大戦の影響で、硬貨の発行が難しくなったため、「小額政府紙幣」が発行される。
*50銭、20銭、10銭の3券種が発行された。
*図柄は1881年(明治14年)に発行された「改造紙幣」の50銭券、20銭券のものを流用した。
*日本銀行としては初の「甲20円券」が発行された。表面には菅原道真、裏面には北野神社が描かれている。
1927年(昭和2年)
*金融恐慌の取り付け騒ぎによる非常事態を避けるために急きょ、裏面が白紙のままの裏白(うらじろ)券と呼ばれた「乙200円券」が発行された。
*表面の図柄はあり合わせの彩文模様を組み合わせてデザインされている。
*明治初期からの既存の紙幣を整理する「兌換銀行券整理法」が制定される。
●聖徳太子の肖像が初めて採用される
1930年(昭和5年)
*1930年(昭和5年)から翌31年(昭和6年)にかけて、100円券、20円券、10円券、5円券を改刷。100円券には聖徳太子の肖像が初めて採用される。この「乙100円券」がデザインから彫刻まで初めて日本人がすべてを手掛けたお札。
*聖徳太子は以後、1944年(昭和19年)、45年(20年)、46年(21年)の100円券、50年(25年)の1000円券、57年(32年)の5000円券、翌58年(33年)の10000円券と計7回、肖像デザインに採用された。これは採用された肖像で最多である。
*乙20円券に藤原鎌足、丙10円券に和気清麻呂、丁5円券に菅原道真の肖像が採用された。
1943年(昭和18年)
*兌換のない新様式の「日本銀行券」が発行される。
*100円、10円、5円、1円の「い券」および100円、10円、5円の「ろ券」が1943年(昭和18年)から1945年(昭和20年)にかけて発行された。
*1941年(昭和16年)に勃発した太平洋戦争により金属材料が不足。硬貨を発行できないため1944年(昭和19年)に10銭、5銭券が発行される。「い10銭券」の表面には八紘一宇塔が、「い5銭券」の表面には楠木正成の銅像が描かれる。10銭券、5銭券の発行前の1942年(昭和17年)には同様の理由から小額政府紙幣の「50銭紙幣」も発行されており、表面には靖国神社が描かれていた。
1945年(昭和20年)
*高額銀行券の「甲1000円券」が発行される。
*表面の図柄には日本武尊が採用された。
*1941年(昭和16年)、戦争の拡大化が懸念され、高額券の必要性が高まることを予想した政府が極秘裏に発行を決断した。しかし、発行されたのは終戦直後の1945年(昭和20年)の8月17日であった。かつ、その通用期間は短く、翌1946年(昭和21年)の「日本銀行券預入(あずけいれ)令」により通用停止となる。