新作『多頭獣の話』(講談社)で現代社会の閉塞感を捉えた芥川賞作家の上田岳弘さん。誰もが人生における「経営者」であることを論じる『世界は経営でできている』(講談社現代新書)が話題の経営学者の岩尾俊兵さん。
現代社会は目的と手段が逆転してしまった? 経営者はもっと小説を読むべき?
会社経営にもコミットしている両者がいま経営に足りないもの、そしてこれからの社会に必要とされることなどについて語る。
経営は自衛隊で学んだ?
上田 岩尾さんは『世界は経営でできている』の後ろの「謝辞」に、学生時代から、純文学の小説を書いては文芸誌の新人賞に応募していたと書いてましたね。岩尾さんとは、先日、別媒体でもお話ししたのですが、今日はもう少し岩尾さんの来歴についても深堀りしたいです。
岩尾 いやいや、恐縮です。僕は学生時代から上田さんの作品を愛読していましたし、小説家志望で、大学時代は小説の創作サークルに入ってました。いわゆるワナビーの典型ですね。
上田 小説はいつ頃から書かれていたんですか?
岩尾 小学校の頃から書いていましたね。中学校で子供向けの「小説コンクール」みたいなものに応募してました。でも、誰でも一度はチャレンジするんじゃないですか。
上田 それはだいぶ早いと思う。ちなみに、僕は小学校のときに書こうとして、書けなかったタイプです。
岩尾 僕は小学校のとき初めて書いて、原稿用紙5枚程度の作品でしたが完結はしてたかな。
上田 小学生でそれはすごいですよ。たしかに書くことにチャレンジする人は多いけど、作品として完成させることが重要なんじゃないかな。
岩尾 いや、全然しょうもないものですけどね。上田さんの前で黒歴史をさらすようで恥ずかしいです(笑)。
上田 書こうと思って終わらなくて、途中で放り出してしまうこともありますから。
岩尾 たしかに「俺は小説を書いているんだ」って豪語するだけの人とかいました(笑)。他人の評価が怖いから、友達に読ませる、新人賞に応募するとかはできないというタイプも多いですね。
上田 〝創作あるある〟ですね。岩尾さんの場合は、そこから、ずっと書き続けていて、文芸誌の評論の新人賞の最終候補にもなってるんですよね。
岩尾 最終候補になったのは、それからだいぶ経って、大学院を出る直前とかです。というのも、僕は中学を卒業したあと、自衛官になったんです。
上田 そうか、中学校卒業してすぐ自衛官なんだ。そうすると、学費も無料で給料もらえるんですよね。
岩尾 そうです。いまは陸上自衛隊高等工科学校っていう「高校」になってますが、僕のときは、陸上自衛隊少年工科学校で、三等陸士から二等陸士、一等陸士と2回昇進できた。給料も学生の手当てではなくて、自衛官としてきちんともらえたんです。
上田 大学は自衛官のあとに行ったんですね。
岩尾 自衛隊に入って学費を貯めて進学しました。というのも、中学卒業近くなって、家が困窮しまして……。高校進学が難しくなったんですね。それで、自衛官になるつもりはなかったんですが、2年だけ頑張ってお金を貯めて、予備校に通って高卒認定試験を受けて、大学に入ったんです。
上田 すごいですね。自衛隊はいかがでしたか?
岩尾 きつかったですね。でも、なんとか生きていかなきゃいけないので頑張りました。僕は元々、集団行動も苦手だったので……。
上田 じゃあ、小説を書くこともできなかったんじゃないですか?
岩尾 書く時間は減りましたけど、続けてました。小説を読んだり書いたりすることで当時の自分の現実を相対化できたんです。辛い現実から逃れることができた。いま思えば自衛隊のときに一番本を読んだかもしれない。
上田 どんな本を読まれていたんですか?
岩尾 色々、読んでましたけど、水上勉さんの『五番町夕霧楼』(新潮文庫)という小説を何回も読みましたね。
上田 なかなか渋いチョイスですね。
岩尾 自衛隊で一緒になった友達に薦めてもらったんです。意外かもしれませんが、小説にハマっている自衛官はたくさんいるんです。多分、普段授業で学ぶのが銃の分解だったりするので(笑)。全然、違うものに惹かれるのかもしれない。小説を読んで現実逃避して辛い日々を乗り切りました。もう一つ僕が自衛隊で学んだのが、それこそ経営です。
上田 自衛隊で経営ですか?
岩尾 ここで言う経営は金儲けのことではないですよ。つまり、集団の中でどうやって振舞うのがよいのか、どう組織をうまく機能させるか。そういう経営に必要なことを学びました。たとえば、自衛隊の集団の中で、必ず3人の味方を作るとかです。3人が「岩尾はいい奴だ」と思えば、みんなに「いい奴だ」と思われる。だから、自衛隊の中で優しそうな3人を見つけて、その人の悩みなんかを聞いてあげて、味方にしてしまえば、少なくとも同期からはいじめられなかった。先輩からのしごきは厳しかったですけどね。