北方謙三さんにいただいた言葉
――そもそも純文学の新人賞「すばる文学賞」に応募されたきっかけは何だったんですか?
新庄 新人賞に応募する前に実はデビュー作の「狭小邸宅」のベースになる作品を出版社に持ち込んでいるんです。原稿の持ち込みは普通、漫画以外ではありえないんだけど、それまでサラリーマンで営業をやっていたんで、自分で会社に出向いて交渉するやり方が習慣化していました。
なので直接、小説を出版社に持ち込んだんですよ。だけど、お断りされましたね。ただ、そのとき、対応してもらった編集者の方には丁寧に作品を読んでいただきました。その編集の方は、私が「狭小邸宅」でデビューして新聞にインタビュー記事が出たとき、声が出るほど驚いたと言ってましたね(笑)。その方とは、いまだにお付き合いがあります。
それで、しばらくはその「狭小邸宅」を寝かせておいて、別の作品を書いていくつかの新人賞に応募したりしました。それでも、受賞することはなかったので、もう一回、寝かせていた「狭小邸宅」を改稿したらちょうど「すばる文学賞」の規定枚数の300枚ぐらいになったので、あまり期待もせず送ってみたら受賞できたという流れです。
――デビュー作の『狭小邸宅』は不動産業界を舞台にした小説。地面師も不動産が深く関わる犯罪です。不動産のお仕事には関わっていらしたんですか?
新庄 いや、まったく関わってないですよ。『狭小邸宅』は不動産会社に勤めていた友人の話を基に書いたんです。その作品が不動産関係者の方を中心に話題になって、なんとなく不動産業界を書く作家みたいなイメージがついて、編集者もそこから地面師をテーマに書かないかというオーダーになったと思います。
――純文学の小説を今後書くということもありますか?
新庄 どうですかね。近代文学を読むのは好きですが。私はもともと吉村昭さんや沢木耕太郎さんのようなフィクションとノンフィクションのあわいにあるような作品が好きだし、ああいうのをいつか書いてみたいですね。ディテールとリアリティーにこだわるのもお二人の影響です。
それで言えば、先日、北方謙三さんにお会いして、とてもいい言葉をかけてもらったんです。北方さんが私にこう言ったんです。
「俺は純文学の小説を10年間で6編しか発表できなかった。なんとかその状況を打破しなければいけなかったんだ。俺が書けない一方で当時、純文学のスターは友人でもあった中上健次。だから、中上にあって俺にないもの、俺にあって中上にないものは何かと必死で考えたよ。それで気づいた。俺には中上のような〝文学〟はない、けど俺には〝物語〟がある。中上に書けないものはそれだ。そこから〝文学〟ではなく、〝物語〟を書くことにして、エンターテインメント作品を怒涛のように書き続けたよ。あるとき、立松和平が俺に言うんだ〝純文学を書いていたときのお前は身体のサイズに合わない服を着て、タコ踊りをしているみたいだったよ。でも、エンターテインメントを書いているいまのお前はぴったりの服を着て気持ちよさそうだ〟ってね。新庄さんも〝文学〟ではなくて、〝物語〟を書くのがいい。目をつぶって、書いて書いて書きまくれ。いま『地面師たち』が売れたから、これから批判が増えて、周りが敵ばかりになるかもしれない。でも、そんなのは無視だ。とにかく書きなさい。使い切れないほど金が入ってくるよ。使い方は俺が教えてやる」
もう、シビれましたね。これほど励みになる言葉はありませんよ。
北方さんとは、実は2012年のデビューのとき、「すばる文学賞」の贈賞式でお会いしているんです。そのときも「こっち(エンターテインメント)の世界に来い」と言ってくださった。そのとき北方さんの隣にいた伊集院静さんは「こっちに来るなよ」って言ってましたけどね(笑)。
――『地面師たち』シリーズは、小説もドラマも続編ありますよね?
新庄 正直、小説で地面師を書くのは「もうええでしょう」(笑)って気持ちです。でも、書きますよ。どちらも遠からず、みなさんの前にお届けします、とだけ言っておきます。