丘の上のホテルに荷物を置いてすぐに車でまた坂道を下り、今度は南下する。20分もすると横尾忠則が好みそうなY字状の街角にそそり立つビルが見えてきた。そのビルは、かつて新聞社エル・エスペクタドールの本社で、コロンビア第2の都市メデジン出身で新聞社のオーナーだったカノ家が所有していた。このモンセラーテ・ビルのデザインは曲線が特徴で美しいため、すぐにそれとわかる。その隣にある大型書店の売り場でロスアンデス大学のウーゴ・エルナン・ラミレス准教授が待っていてくれた。彼が今日の案内役を務めてくれることになっている。

エル・エスペクタドールが入っていたビル 撮影:篠田有史
書店に足を踏み入れると、そこには国内文学、つまりコロンビア文学のコーナーがあり、柱には作家たちの肖像写真が飾られていた。無論ガルシア=マルケスの写真も飾ってあったが、その中になんと例の入国審査官がこだわった作家のパネルもあった。あとで調べてみると、この作家はガルシア=マルケスと同じエル・エスペクタドールのジャーナリスト出身で、外交官としてヨーロッパ各地の駐在経験もあり、ガルシア=マルケスより17年早く生まれている。しかも1965年にスペインのナダール文学賞を受賞していたのだ。これは1944年に創設された由緒ある賞で、第1回はスペインのサガンと呼ばれたカルメン・ラフォレーが受賞している。このような作家の基本情報を考慮すると、やはり興味が湧くし、ガルシア=マルケスと比較して論じることができそうだ。前もって情報を知っていれば、あの入国審査官と話しても楽しかっただろうし、彼も満足したにちがいない。もっとも年下のガルシア=マルケスは、先輩作家のリアリズムの手法に異議を唱えていることを忘れてはならないだろう。

書店で。柱にカルデロンの写真がかかっている 撮影:篠田有史
日が暮れかかってきたので、悲劇の政治家ホルヘ・ガイタンの写真と説明からなる大型本を買い求め、書店をあとにした。ガルシア=マルケスも通ったというカフェ・パサヘの前を通りすぎ、ウーゴに案内されて向かったのが、1948年にボゴタソすなわちボゴタ暴動が起きるきっかけになった、当時自由党の大統領候補だったガイタンの暗殺事件の現場だった。
ガイタン殺害現場 撮影:篠田有史
今は1階がファストフードの店になっている建物にあったオフィスから出てきたガイタンは、街路に出たところで射殺されたのだった。その日ボゴタを訪問中のフィデル・カストロは、キューバの学生グループのリーダーとして、2日前に続いてガイタンに面会することになっていた。当時、ガルシア=マルケスもまだ学生で、そこからほど近いフロリアン街の下宿に住んでいたが、あたりは火の海となり、下宿も焼けてしまった。日本ではあまり知られていないこの事件を、買い求めた大型本は写真入りで詳しく扱っていて、そこには亡くなった人々の遺体が舗道に並んでいる光景までも写っている。ウクライナやガザのことが頭をよぎる。