ホテル・サン・ニコラス・コロニアル 撮影:篠田有史
1948年のボゴタ暴動で通っていた大学が閉鎖され、ガブリエル・ガルシア=マルケスはカリブ海沿岸地域に戻った。カルタヘナ大学法学部に編入したものの、その後中退し、カルタヘナから海岸線に沿って130km北東に位置するバランキージャにやってくる。
この地の新聞社でコラムを書いては出来高払いのわずかな収入を得るようになるものの、まともな部屋を借りるゆとりもなく、部屋代を支払う余裕があるときは、娼婦が仕事に使うホテルに泊まるという暮らしを1年間も続けたのだった。そこは今、ホテル・サン・ニコラス・コロニアルという名のホテルになっている。
都会的ではあるものの洒落た雰囲気があるとは言いがたい地区だが、今、僕もこのホテルを目指してやってきた。4階建てのホテルはこのあたりでは高層だったため、当時はひときわ目立っていたようだ。ガルシア=マルケスの親友アルフォンソ・フエンマヨールはこれを〈摩天楼〉と呼んでいた。今は左右を同じようなビルに挟まれていて、外壁はクリームイエローと煉瓦色に美しく塗装されている。
白い花をつけたプルメリアの華奢な木が目立つ背後に間口の狭い入り口があり、宿泊客でなくても、コロンビア出身のノーベル賞作家ゆかりのホテル目当てに人々が訪れる。そんな人々のために、少額の入場料をキーホルダー代として徴収し、見学できるようにしている。足を踏み入れると、数々の見覚えのある写真や、壁に描かれた黄色い蝶の群れの絵などが目に飛び込んでくる。少しやりすぎという感じはするが、それもカリブの人たちの特徴なのだろう。サービス精神が過剰なのだ。それを物語るエピソードをいくつか紹介しよう。

ホテル内の壁面のガルシア=マルケスと語らう 撮影:篠田有史
まず、このホテル・サン・ニコラス・コロニアルの2階で待ち構えていた男性が、壁面に描かれた『百年の孤独』のファミリーツリーを指差してから、こと細かに観光客向けの解説を始めた。2階の一番奥の客室204号室、ここにガルシア=マルケスはいたという。事前に押さえていた彼公認の伝記作家の記述とは少し違うようだが、そのまま聞いておくことにする。男性の話をひととおり聞き終えた後、「この壁に描かれているような黄色い蝶はどこにいるか知っていますか?」といつもの質問をしてみる。「Sí(ああ)、春になって花が咲けば来るよ」「それはわかるけれど、こんなに群れをなして来るのかな?」と聞くと、「Sí、もう少し自然の多い場所に行けばね……」いつものように肯定的な答えが返ってきて、それ以上の言及はない。また、ホテルの近くで露店商らしい男性に「エル・エラルド(ガルシア=マルケスが日刊コラムを寄せていた新聞社)がどこにあったか知っていますか?」「Sí、この隣のビルだよ」。そこでまた別の人に聞いてみると、サン・ニコラス教会を挟んだ向こう側だと教えてくれる。結局3人ほどに次々尋ねまわって、ようやく可能性の高い建物にたどりつくというわけだ。誰もにべもなく「知らない」と冷たく突き放したり、相手をがっかりさせたりはしないのだ。それをいい加減と取らずに、相手に対する好意や優しさと受け止めることにした。
音楽が大音量であたりに響き渡り、石畳の路上に日用品や衣類・靴などの露店がところ狭しとばかりに立ち並ぶこの界隈は、サン・ニコラス教会を擁する歴史地区で、今世紀に入り繁栄と衰退を経験してきた。目当ての建物を探して歩き回っていたとき、「アミーゴ、アミーゴ!」と呼び止められ、なんだろうと振り向くと、人の好さそうな中年女性に「スマートフォンを後ろのポケットに入れると危ないから前のポケットにしまいなさい」と言われた。ガルシア=マルケスの場合、バランキージャの売春宿でアイロンがけまでしてくれる女性が現れたようだが、そうした世話を焼くのが当たり前のような下町っぽいところもなんとなく理解できる。

サン・ニコラス教会 撮影:篠田有史