ビジネス成功のために必要な知識を身に着ける「教養」がいま必要だ――。
このような文言を目にしたことはないだろうか? しかし、その「教養」の中身を見ると、短時間でざっくり学べる名著の解説、インフルエンサーによる自己啓発セミナーなど……。はたして、これらから学ぶことが本当に「教養」と言えるのか?
日本では「教養」のほかに、「修養」と呼ばれるものがある。この「修養」についての分析を中心に、おもに働くノンエリートの大衆文化や、明治の大ベストセラー『西国立志編』から現代の自己啓発セミナーまで、日本近代の精神史をたどった『「修養」の日本近代 自分磨きの150年をたどる』(NHKブックス)が話題の著者・大澤絢子さん。
専門の社会学のみならず、歴史やサブカルチャーを対象とした刺激的な論文を多数発表する大澤真幸さん。
2人の社会学者に、この現在の〝教養ブーム〟の社会的背景、なぜいま人文的な〝知〟に人気が集まらなくなってしまったのか? タイパ・コスパ時代に本を読むことの意義などを伺った。対話から、日本近代の〝知〟の歩みが見えてくる――。
「教養」と「修養」は何が違うの?
大澤真幸(以下、真幸) 絢子さんのご著書『「修養」の日本近代 自分磨きの150年をたどる』とても面白かったです。今でも「教養」という言葉は使われるけど、「修養」という言葉は最近では馴染みが薄くなっていますよね。
大澤絢子(以下、絢子) 「修養」と「教養」の重なりと違いを簡単に整理しておくと、出発点としてこの二つは同質的なものです。どちらも、主体的に自己の人格を向上させるための努力や習得といったことが特徴として見られます。二つが分かれる大きなポイントは、読書や人文学の知の習得を通して向上を目指す「教養」か、それ以外の日常的なものも取り込み、実践して向上を目指す「修養」か。そのプロセスにまず違いがあります。
真幸 社会学では「教養」の研究は割に多いですよね。筒井清忠さん、竹内洋さんらの「教養」についての研究がよく知られていると思うんです。特に筒井さんが「教養」と「修養」のつながりを指摘していて、教養主義を代表する新渡戸稲造の「教養」の原点には「修養」があるんだと。時代が進むにつれてその二つが離れていくんだと書かれていましたね。
絢子 筒井さんの研究だと、「教養」は、明治末から大正期に「修養(主義)」から分離するかたちで学歴エリートが身に着けるものとして自立し、一方「修養」は、日常的なものとして大衆化することで、両者の距離が離れていったと指摘されています。
真幸 原点で「修養」と「教養」が一体のものだったということは指摘されてきたわけですが、「教養」とは異なり「修養」については、その後の展開についての研究は完全に抜け落ちていた、という感じがあります。この度の絢子さんの本を読むと、日本近代150年の歴史の流れで「修養」が現代の自己啓発までつながっているとか、日本において「教養」よりも「修養」の伝統のほうがある意味で太い柱になっているんだなと気づかされました。
絢子 私は大学を卒業して新卒で生命保険会社に入社しました。入社後の新入社員研修で聞かされた会社の役員の方たちの話は「あなたの人生を輝かせましょう」とか、「働いて、自分の内面をもっと磨こう」みたいなことでした。研修でプレゼントされた本は、自己啓発書としても有名なデール・カーネギーの『人を動かす』(1936年)だったんです。
真幸 原点の「修養」がいまだに残っているんだ(笑)。
絢子 ええ、そこに私は違和感があったんです。働いて、お金を稼ぐということは、当たり前のことです。しかし、経済活動を主軸にする会社が、どうして社員の精神面や、生活態度まで指導しようとするんだろうと疑問に思ったんです。色々、モヤモヤしたものを感じながら数年ほど会社にいました。そのあと、会社を辞めて大学院に入り、日本社会と宗教の関わりを研究しようと思って、博士論文は親鸞をテーマに書きました。その過程で明治以降の日本人の精神形成に関わる資料を読んでいくうちに、「修養」という言葉が目につくようになりました。その中身は、「人格を向上させよう」「内面を磨きましょう」といったことなんです。「あっ、これは会社で言われたことと同じだ」と感じて、明治で言われていたことは、現代にもつながっているんじゃないかと思ったのが、「修養」をテーマに本を書いたきっかけです。
真幸 「教養」と「修養」を大雑把に分けると、「教養」というのは西洋の哲学とか思想を使ってものを考えることですね。「修養」というのは、もう少し日本の伝統や倫理みたいなものに根差している。ただ「修養」に関しても、とりわけその起点においては、サミュエル・スマイルズの『西国立志編』とか西洋の本の影響も少なからずありますね。
絢子 そうですね。スマイルズの『セルフ・ヘルプ』の翻訳書である『西国立志編』(中村正直訳)は、明治3年(1870年)から4年(1871年)に刊行されました。主体的に自己の内面を向上させようという意味で、cultureとかcultivateといった言葉を「修養」と訳した最初の本でもあります。これが、明治の日本で大ベストセラーになりました。
筒井清忠
つつい・きよただ 1948年大分県生まれ。社会学者。著書に『日本型「教養」の運命―歴史社会学的考察』などがある。
竹内洋
たけうち・よう 1942年東京生まれ。社会学者。著書に『教養主義の没落 変わりゆくエリート学生文化』などがある。
ピエール・ブルデュー
フランスの社会学者(1930年~2002年)。著書に『ディスタンクシオン――社会的判断力批判』などがある。