僕らの身近なところでも、立派な人が不幸になったり、どうしようもない悪い奴が幸せそうに暮らしていることはあるからです(笑)。安易な妥協はせず、苦難な神義論に最後までこだわったのは、実はユダヤ教です。少なくとも、ユダヤ教のある側面は、苦難の神義論への徹底したこだわりがある。ユダヤ教は、善人が不幸なことになる、どうしようもなく〝悪〟が存在することを重視する――「ヨブ記」なんかがそうでしょう――。その後、キリスト教は、たとえばカトリックは、「幸福の神義論」的なものにかなり妥協します。ユダヤ教にあった「苦難の神義論」的な問いに純粋に拘ったのは、キリスト教のプロテスタンティズムです。プロテスタンティズムは、カトリックの「幸福の神義論」への妥協に対する反抗と見なすこともできます。そして、このプロテスタンティズムが「資本主義」の精神にもつながるわけですね。
絢子 幸福になれるかどうかは神が決めることであり、幸福になれるかわからないけれど信仰する。それが信仰であって、〝敬虔(けいけん)さ〟として尊ばれますよね。
真幸 ところが、プロテスタンティズムが資本主義へと変容すると、「苦難の神義論」が「幸福の神義論」へと切り替わってしまうのです。その切り替わりは、とりわけアメリカにおいて顕著です。「苦難の神義論」は、日本だと到底受け入れられない考えなんですよね。
絢子 日本では、勤勉に働けばあなたが成功するだけでなく、社会もよくなりますと言われます。一見、ポジティブで良い思考のようですが、そのうち極端な考えになって、〝努力すれば必ず儲かる〟とか、〝金を稼いでない人は怠け者〟みたいなメッセージになる。これは、2000年代以降に言われるようになった自己責任論にもつながっていくんですよね。
真幸 よく、努力が必ず報われる世界がいいとか言うけど、それはちょっと危険な考えです。もし、努力が必ず報われるということが絶対的に成り立つ公理のようなものとして信じられていると、報われない人は、努力していないだめな人だと、倫理的にも悪いことになってしまう。オリンピックとかで金メダルを取った選手がインタビューで「努力すれば報われることがわかりました」と答えるけど、それは報われた人に聞いてるんだから当たり前の答えなのですよ(笑)。この人の陰でどれだけ努力したのに報われなかった人がいたかを忘れるべきではない。
絢子 努力しても報われないかもしれないけど、努力を積み重ねていくのも生き方だということを「教養」や「修養」が教えてくれるといいんですけどね。
真幸 報われないかもしれない、そのきつさに耐えられないから、その穴をハウツー本や自己啓発本で埋めているのが現状なんでしょうね。
サブカルチャーが「教養」に替わった?
絢子 本屋さんに行くと「教養」と銘打たれた本がたくさん置かれていますね。
真幸 多いですよね。
絢子 〝30分で身に着く〇〇〟とか、仕事で役立つ「教養」など、ハウツーを参考に自分の人生をよりよくするといったことが説かれています。これは「教養」と言うより「修養」文化で見られてきたものですね。
真幸 日本はバブル崩壊後から、社会がかなり落ち込んでいるでしょう。そういう世の中だと何か自分たちの生き方に根本的な問題があるんじゃないか? という気持ちもあって、自分の生き方を根っこから問い直す、鍛え直さないといけないという人が多いんだと思う。
絢子 高度経済成長の後やバブル崩壊後に流行ったのが、仏教をわかりやすく解説した本だったり、五木寛之さんの人生論的エッセイだったりします。豊かさのなかで見失ったものがあるのではないか、ということにも関心が向けられたんです。これはいまも大きくは変わっていなくて、この資本主義社会にどっぷり浸かっていいのだろうかという思いが、何か意味のあるものを読まなきゃという態度につながっているのでしょう。
その一方で、かつての日本企業には集団で「一般教養」を身につけさせる「社員研修」のようなスタイルがありましたが、いまの企業にはその余力がなくなりつつあるのではないでしょうか。マナーや人とのコミュニケーションの取り方を会社で教わることも、上司や先輩に「この本を読んだらいいよ」と薦められることもなくなって、「修養」的な人間関係のハウツーや、「教養」的な哲学や思想をコンパクトにまとめた本や動画が人気です。これらは、資本主義社会を生き抜き、競争から脱落しないための頼みの綱にもなっています。社会の経済的な成長が難しく、切実な焦りや不安があるなかで、ビジネスで役立つ知やハウツーが求められている。最近は、初めから大事なところにマーカーが引かれている本もありますよね。
真幸 ありますね(笑)。大事なところは読者が決めることだと思うけどね。
絢子 「教養」を身につけるにも「修養」するにも時間が必要です。しかし、いまはすぐに目に見える成果が求められてタイパやコスパが重視され、忙しく働くなかでなんとか30分を確保して学んだり、自分を高めようとしたりしている人がいる。そうした人たちには、大事な箇所がはっきり示されていた方がよいのでしょう。
真幸 いつの時代でもそうだけど、特に若い人はやっぱり〝この世界で自分は何者か?〟 みたいな疑問をみんな感じているんだよね。かつてだったら、難しい哲学本を読むことだったと思うんですけど、いまはアニメなどのサブカルチャーが代替していると思うんです。
絢子 西洋的な世界や知識への憧れが入っているという点でも、サブカルは「教養」と共通しますね。漫画やアニメには、西洋風な容姿の登場人物や、ヨーロッパの思想や文化をモチーフとした世界観を描いたものもありますね。これらは、かつての「教養」にあった「西洋」への憧れと近い気がします。
見田宗介
みた・むねすけ 社会学者(1937年~2022年)。東京生まれ。著書に『現代社会の理論』、『時間の比較社会学』(真木悠介名義)などがある。
ひろゆき
本名:西村博之(にしむら・ひろゆき)実業家。1976年、神奈川県生まれ。インターネットの匿名掲示板「2ちゃんねる」を開設。
こんまり
本名:近藤麻理恵(こんどう・まりえ)片づけコンサルタント。1984年、東京生まれ。