真幸 直接的に海外のものをテーマにしていなくても、日本人から見える西洋的なかっこよさみたいなものが強調されて描かれていますね。サブカルチャーは、「教養」や「修養」の代理的な側面があって、大学の授業では教えてくれない「世界」との向き合い方を教えてくれる。だけど、現実ではなくフィクションですから、やっぱり満たされないものはあるんでしょうね。フィクションであっても、現実との間に隠喩的な関係とか、寓話的な関係があったりすると、フィクションを媒介にして、現実の「世界」と向き合うことができるようになるのですが、現在の日本のサブカルチャーに蔓延しているフィクションは、現実との関係を希薄化させた純粋なフィクションですからね。
なぜ人文的な〝知〟は人気がないのか?
真幸 いまネットの世界を中心に、ひろゆきという人が人気でしょう。彼は人文的な〝知〟をまったく信用していない人だと思うんです。そういう大学で学ぶようなことは、一切、人生に使えないと考えている。ひろゆきさんの人文的な〝知〟への不信には一理あります。ともかく、そういう世の中で、どうやって成功をつかむか。特に、「コミュ障」みたいなコミュニケーションが苦手な人がどうやって成功するか。ひろゆきさんは、それを説いているように見えますね。おもにネットで情報強者になっていく方法を教えている。実践的なことを言っていて、彼なんかはいまの「修養」を代表している人物に見える。言っていることは、「教養」とは正反対なだけではなく、かつての「修養」とも似ても似つかぬシニカルなことなのですが、しかし、ひろゆき現象は、かつての「修養」の機能的代替物になっている。
絢子 ひろゆきさんとはまた違うのかもしれませんが、お笑いコンビのオリエンタルラジオの中田敦彦さん。大学の授業で「修養」を取り上げた際、関連するものとして彼のYouTubeの動画を学生たちに見せたことがあります。彼は、生き方や自己肯定感を高めるためのハウツーを語り、かつて大学が提供していたようなものをわかりやすく、社会で使える知識として提供している。学生に動画の感想を聞くと、「修養」っぽいという感想と同時に、「宗教っぽい」という感想もあったのが印象的でした。中田さんもひろゆきさんも、宗教者というわけではありませんが、精神面を指導するというスタンスがあります。生き方や精神的な拠り所を求め、かつて宗教に向かっていたような人のニーズにも応えているのではないかと思いました。
真幸 僕らはこの世界のなかで、実用的に役立つかどうかには還元できない部分で動いていることがたくさんある。本当はそこがいいところなんです。たとえば、大学で教えることは、実用的に役に立たないとよく文句を言われる。特に人文系の学問は言われがちですね。本音で言えば、大学で教えていることの99パーセントは実用的には役に立たない。でも、役に立たないからいいんですよ。
絢子 そうですね……。
真幸 大学では、資本主義での成功とは異なる意味での価値観が身につきます。お金儲けには役に立たなくても、何かを知る喜びや、感動がいくらでもある。その価値観が共有できれば、本来的な意味での「教養」も「修養」も復活できる。だけど、それは何のために必要なのと言われてしまうと……。
絢子 ひろゆきさん、中田さんらのコスパよく、実用的で使える知識で生きようという言葉が心に響く。
真幸 そうなんですよ。彼らの言葉は、この資本主義の競争社会で息苦しく生きている人たちに刺さっていると思う。他者とのコミュニケーションが苦手な人たちでも、人生一発逆転ができるぞという気持ちにさせてくれる。
絢子 学校や集団生活でうまくいかない人が、自宅にいながら知識を学べて、さらに生き方も指南してもらい、活躍できる可能性を開いてもらっているとも言えますね。
真幸 そういう意味では、彼らは〝弱者〟に寄り添っている。でもその〝弱者〟は左翼・リベラルが想定しているものとはまったく別です。本来、左翼・リベラルが思想や教養を使って、弱者が冷遇される社会全体の変革を考えるものなんですよね。でも、この景気も伸びない日本のなかで、何も社会が変わっていないので、左翼・リベラルの言っていることが、極端に欺瞞的に聞こえるんですよね。
さっき、かつて会社で「修養」が行われていた話が出ましたが、それは会社だけでなく日本の社会全体がいい方向に向かっているときは説得力を持つ。でも、いまのように一つの会社が儲かっても、社会全体が盛り上がることがない時代だと、自分だけ成功すればいいやという極端な個人主義になっていくんですね。これは日本だけの現象ではないでしょうけど。でも、僕にはその個人主義的な生き方が充実して見えない。その個人主義の内実はルサンチマンやニヒリズムに侵されているようにも思う。
絢子 そうですね。個人主義的な発想は、行き詰まるし苦しいものです。そうなると、自分で考えることができなくて、どうしていいかわからないなかで、誰かにコスパよく、わかりやすく教えて欲しいと考える人が出てくる。
真幸 前に千葉雅也さんの『勉強の哲学』(2017年)を読んだときにびっくりしたんだよね。とてもいい本だと思うし、便利な本なんだけど、千葉さんとの世代の違いを感じた部分があるのです。あの本は、勉強する対象が無限にある中で、いったいどこから勉強したらよいのか、初学者は困惑しているという前提があって、そういう人たちに対して、要は、自分が好きなところから始めればいいんだという趣旨のことが書かれている。
ラカンの理論などを使ってとても洗練されたかたちで論じられているのですが、すごくわかりやすく要約してしまえば、そういう趣旨のことが書かれているのです。僕なんかは、そんなことを教えられなくても、自然と好きなところから人は始めるのだから、書かなくてもいいことじゃないかと思ったのですが、千葉さんに聞いたらそこが読者に一番強く訴えた部分でもあるらしいです。多くの若い読者は「あっ好きなことから勉強したらいいんだ!」と言われて、とても救われた。
見田宗介
みた・むねすけ 社会学者(1937年~2022年)。東京生まれ。著書に『現代社会の理論』、『時間の比較社会学』(真木悠介名義)などがある。
ひろゆき
本名:西村博之(にしむら・ひろゆき)実業家。1976年、神奈川県生まれ。インターネットの匿名掲示板「2ちゃんねる」を開設。
こんまり
本名:近藤麻理恵(こんどう・まりえ)片づけコンサルタント。1984年、東京生まれ。