仁斎には『童子問(どうじもん)』というまことに優れた儒学の手引書があります。これは、文字通り童子らのために書かれた問答体の著作ですが、彼はこれの草稿に生涯にわたって手を入れ続け、ついに刊行することができなかった。恐るべきことだと思います。学の領域で、不世出の豪傑であったこの人が、子供にその学の真髄を伝えるのに、説いて説き切れない何かを感じ続けて死んだ。おそらく、その何かは、どこまでも、実にどこまでも単純であるが故に、最後まで言葉にすることのできぬものであったのでしょう。
最も深く大切な教えは、子供に説いてわかるものでなくてはならない、いや、子供こそが、わかるのである。仁斎には、その信念があったに違いありません。問題はそのわかり方です。頭脳で解するただの理屈は、山ほどある大人の書物が果てもなく言い募り、言っている本人すら何のことやらよくわからなくなっている。抽象の語彙が乱れ飛ぶばかりです。しかし、目を開いて『論語』をよく観るがよい、そう、読むのではなく心の眼をもって観ること、そうすれば、はっきりとわかることがあるのです。この書物の言葉が、ほんとうはいかに「平易近情」であり、「意味親切」であり、人が生きてゆく上で、これよりも役に立ち、力となる教えは、もうどこにもありはしない、そのことがわかる。
三 心の五穀
実際、仁斎の『童子問』は、これ以上ないほど低い場所から『論語』の価値を説いています。天下のいかなる美味、珍味といえども、「五穀の常に食(くら)うべくして厭(あ)かざるに若(し)かず」。人が五穀を、これほどまで厭かず食べることができるのには、何か動かし得ぬわけが、人の身の存否にかかわるほどのことわりがある。仁斎は、こう言っています。
「若(も)し夫(そ)れ美味は姑(しば)らく口に可なりと雖(いえ)ども、然(しか)れども之を嗜(この)んで止(や)まざるときは、則ち必ず人に害あり。前輩の所謂(いわゆる)異味(いみ)を嗜(この)む者は、必ず異疾(いしつ)有りと、是(これ)なり。論語の道に於(お)けるが若(ごと)き、乃(すなわ)ち食中の嘉穀(かこく)なり。之を四海に施(ほどこ)して準(じゅん)有り、之を万世(ばんせい)に伝えて弊(つい)え無し。患(うれ)うる所は人の知らざるに在るのみ」(『童子問』「巻の上」『日本古典文学大系97』岩波書店 1978年)。
どうでしょう、言葉はむろん古いものではありますが、その意味は、今日すこしも古くはなく、むしろいよいよ新しい。食べ物に当てはめて、『論語』の価値を説いているのは、物の喩えではありません。まさにそのままの意味、並行する真実を説いているのです。五穀、とりわけ米ですが、これらが満たすものは、単に胃袋だけではない、人の心身をめぐる命の力そのものである。健やかな心身は、おのずからにそのことを知っています。よって、五穀は、飽きることなく食べ続けることができる。
人が美味、珍味として好むもので、毎日三度食べて飽きないものがあるだろうか。そのように食べて、体を損なわぬものが、あるだろうか。「前輩」とは先人のことですが、その先人も言っている、「異味」を好むものは、必ず奇妙で厄介な患いに陥ると。心も同じことだと、仁斎は言うのです。
言葉や記号で作られた世界には、異味珍味があふれている。誰かが企んで生み出すのではないでしょう、手に触れる物を離れ、生きたこの体を離れて浮遊する意味の世界は、絶え間なく、さまざまなる異味珍味を生み出し、それを、はなはだ美味と感じさせては心の五官を狂わせる抽象の機械、目的なき自動装置であります。そういう機械が日々生産する限度のない欲望は、人の世に激しい妬みと争い、苛立ちと理由のない恐怖とを流し込んで、私たちの心を苦しめています。
世には、喜々としてこのような機械の部品となり、人心を安んじさせまいと働き続ける勤勉な馬鹿者らが、驚くべき数となって群れを成している。このことの危険に、しかと目を開き、明瞭に気づいて生きている人は、まことに少ない。由(よし)もない観念の異味珍味に、心が酔い尽くしているからでありましょう。このまま酔い続けておればどうなるか。言うまでもありません。人間種は、自身が生む巨大な不安から、互いに引き起こす内側の争いによって滅ぶ。伊藤仁斎は、十七世紀の京都に住んだ独学の儒学者ですが、人類を待つこの程度の未来は、すでにはっきりと見通していたでしょう。
仁斎が、『論語』の本文に、平易近情なるその言葉に還れと説いたのは、学問上の主張などではない、精神の五穀に還れ、という深い意図、不撓(ふとう)の志からです。食物がもたらす健やかさと、人が養う思想のほんとうの強さとの間には、どうも根本のつながりが横たわっているようです。