先日、活動仲間の友人を亡くした。ライター兼編集者で、平凡社の『中学生の質問箱』シリーズほか数々の書籍を生み出してきた彼女との出会いは10年ほど前。私が代表をつとめるColabo(コラボ)の活動を知って、「性差別や性搾取についての本をつくりたい」と言ってくれた。それから一緒に企画を練り言葉にしていく段階で、中学生に「教える」という立場ではなく「一緒に考える」内容とすることに私が苦戦し、長い間そのままになってしまっていた。
その間にコロナ禍があり、子どもや女性への暴力や貧困が深刻化し、私たちの活動現場は野戦病院のごとく多忙な状況となった。コロナ収束後には国がようやく若年女性支援の必要性を認めたことで、それを警戒した性売買業者や男社会からの攻撃が激化。Colaboに対しても誹謗中傷やデマが拡散され、居場所のない10代女性たちに無料開放している「バスカフェ」や、シェルターなどの支援現場にも直接的な妨害がなされるようになった。
そうした妨害行為が最もひどかった時にも、彼女はずっと私たちのそばにいた。バスカフェ開催時は「女の壁」として、文字通り利用者やスタッフを守る壁となって妨害者と対峙してくれた。「女の壁」には様々な市民活動に携わる先輩女性たちが駆けつけ、血気盛んに妨害者たちを追い払ってくれる人もいた中で、彼女はいつも静かにじっと現場に立って少女たちに危険が及ばないよう見守り続ける人だった。
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また、災害時や非常時には子どもや女性への性暴力が深刻化し、性売買業者らも「支援」と称して被災によって困窮した女性に近づくため、私たちはいち早く被災地入りして女性たちとつながることにしている。そうした実情を知った彼女は、2024年の能登半島地震の際にも自らの病を押して一緒に現地へ赴き、被災された女性たちと交流し、いろんな痛みを分かち合ってくれた。
「女の壁」による支援で苦労を共にした皆さんは、彼女のことを「優しくて強くて、一生懸命な方」「穏やかでとても優しい方」「いつも穏やかで、確かな信念を感じさせられる佇まいだった」「Colaboへ行けばいつも会える方の一人で、穏やかながらも熱いエネルギーをくれる方だった」「『若い子たちのために自分にできることを精一杯やりたい』とよく口にし、優しくて穏やかな物腰ながら、強い意志を持った人だった」と語る。
Colaboとつながる少女たちも「私の娘のことを大事に抱っこしてくれたのをすごい覚えてる。嬉しかった」などと、優しくていつも静かに手を差しのべてくれた彼女のことを思い出していた。
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私が最後に彼女に会ったのは、映画『女性の休日』(パメラ・ホーガン監督/kinologue配給、2025年日本公開)を観た日だった。この映画は今やジェンダー平等先進国の北欧アイスランドで、9割の女性が一斉に仕事や家事を休み国が機能不全となった「1975年10月24日」の1日を描いている。女性が休むとすべて破綻し社会が回らないことを証明した、女たちの「ストライキ」運動のドキュメンタリーである。思想や立場の違いを乗り越えて、右派の女性たちも連帯できるよう「ストライキ」ではなく「休日」としたという。
この運動は女たちに権力を持たせたくない男社会に、女たちの団結の力を見せつけた。そのことが、のちにアイスランドが世界一ジェンダー平等が進んだ国(2025年「世界経済フォーラム」発表ジェンダーギャップ指数16年連続1位/日本は118位)となるきっかけとなったそうだ。
映画本編は、広大な雪原についた女性たちの足跡が、吹き付ける雪で消えていく様子と、「雪原に足跡をつけても すぐに埋もれてしまう」「足跡は記憶の象徴とも言える」「雪に埋もれないように 気をつけなくては」というメッセージで始まる。
25年11月、私は映画館を出たところで彼女と出会った。お互い映画に感動し、励まされて涙していた。駅まで一緒に帰る道で、彼女が「女性人権センターができたら消えない足跡になりますね」と、静かに、そして力強く話した。
Colaboは今、東京・新宿歌舞伎町に「性搾取と女性差別に抗う包括的な支援拠点・女たちの運動の拠点」である女性人権センターを自分たちの力でつくる計画を立て、10億円を目標に寄付を集めている。22年度の深刻な妨害行為に行政が屈し、東京都がColaboのバスカフェを歌舞伎町繁華街の中心にある新宿区役所前から追い出したことから、自分たちの手でゆるがない活動拠点をつくろうと動き出したのだ。
あの出会いの時、すでに病気と闘っていた彼女は、30年を目標にしている「女性人権センター」開設を見届けることは叶わないとわかっていただろう。それだけに彼女との会話には涙が溢れそうだったが、その日は別れるまで我慢した。
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その後、10年越しになってしまった書籍企画を具体化すべく、私たちは再び動き始めた。彼女の病状が悪化し、直接会うことはできなくなってからもZOOMアプリを使って会議を続けた。中学生にも自分ごととして考えてもらえるよう、私たちが生まれてから経験する「日常の中での女性差別や性搾取」について、文章で伝えることにした。
26年2月半ば、彼女から「治療をやめて緩和ケアに入ることになった」との連絡をもらった。彼女と共に過ごせるのは、あと数週間から数カ月だとわかった。私は泣きながら、彼女にメッセージを送った。
一緒に活動できる時間が残り少なくなっていることは寂しいし、嫌だし、これからが不安だけど、でもそれ以上に、そんな時でもやり抜こうとしてくれることが嬉しいし、光栄だし、心強いと。そして、もしもこの本のことを一緒に進めることができなくなったとしても、必ず完成させて社会に届けると。
そうして完成させるこの本も、一緒に過ごした日々も、私にとっても、これからの少女たちにとっても、「消えない足跡」になると。
この先、どんな未来をつくっていけばいいのか、つくっていきたいのか、あなたの経験や想いも一緒に女性人権センターを形にすると約束した。そして、これから私たちが迷った時のために、あなたの想いを言葉にして残してほしいと「宿題」をお願いした。「どんな社会で生きたかったのか、これからどんな社会になることを望むのか、教えてほしい」と伝えた。
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その後も彼女とはZOOMアプリで会議を続け、私たちは彼女が亡くなる1日半前まで、日本の性搾取社会をどう変えていけばいいのか、どのように伝えて行くかを話し合った。
Webカメラを通して姿を見ることができなくなってからも、彼女は自分が受けてきた女性差別について語り、怒りを共有してくれた。自身の経験や想いを言語化するのは簡単ではないけど、言葉にして残そうと、最後まで「頑張る」と言っていた。
私は彼女に「死ぬまで闘いです!」と話した後、「やっぱり撤回! 死んだ後も逃げないでください。死んでからも闘いは続くので、一緒に闘いましょう。そのためにこの本もあります」と涙ながらに伝え、彼女は「ありがとうございます」と笑っていた。