「きみまも」はその後、本人確認資料と連絡先の提出を利用者に義務付け(そもそも、身分証明書がなかったり、行政に身元を知られることを恐れたりで支援につながれずにいる若者への対応を謳っていたのに本末転倒)、警察OBを監視カメラを配備して対策をとったとする。
しかし、どれだけ監視を強めて支援者が管理を徹底しようとしても、DVなどの被害者は加害者の支配から完全には逃れられない。被害者に必要なのは、暴力から逃れ、加害者の支配から離れたところで、自分のこれまでやこれからのことを見つめる時間と関係性だ。DV被害者を監視・排除するだけで、安全を手に入れられると思うのは支援者の傲慢だ。支配から抜け出し、自分の人生を歩いていけるようになるには、誰かに管理され、誰かに従うことではなく、自分の意志を持ち、選択できるようになることが必要なのだ。
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Colaboでも、Colaboとつながる前までは、今日何を食べ、どこで寝るか、その日を生きることで精いっぱいだった少女たちが、体を売らなくても生活できる環境を得てはじめて被害を認識することも多く、その傷やトラウマに向き合うことは容易ではない。シェルターで、自身のこれまでやこれからを考える時間ができた時、痛みや怒りを感じるようになり、心身に不調が出ることもある。その痛みや怒りを分かち合ったり、社会の構造的な暴力を共に見つめる他者との出会いや関わりを通して経験を再解釈したりして、自分に力があることを認識していく。それには何年もかかる。当然のことだ。
そのような関わり方は、簡単ではない。だけど、とても大切だ。そうした支援のあり方が、日本社会には欠如している。あまりにも福祉に予算がつけられていない。福祉が恩恵ではなく人権保障だという社会の共通認識もない。
今、私たちが建設を目指して寄付を呼びかけている女性人権センターは、虐待や性搾取の中にいる少女たちが暴力から逃れ、安心して過ごせる場所を得て、時間をかけて傷をいやし、他者や自分自身への信頼を取り戻して回復していく、女性の尊厳を守る活動の拠点にしたい。虐待やDV、性搾取の実態や女性の人権について、市民が学び、経験や痛みを共有し、女性差別に抗うつながりを生み出したい。
冒頭に挙げたような事件が起きた時にも、個人の責任に矮小化するのではなく、共に声を上げられる場所にしたい。女性たちが集い、暴力に怯えず活動できる拠点をつくりたいと思っている。