2026年3月、福岡県の母子生活支援施設で4歳と3歳の姉妹が死亡し、姉妹の殺害容疑で母親(30)が逮捕された事件で、DV加害者である内縁の夫(33)が、母子が避難していた施設室内に約3年間同居する形で潜伏していたことが明らかになった。
報道によれば、男性は施設に潜伏しながら、日常的に母親に「なぜできないのか」「先のことを考えていないのか」などと注意や指示を繰り返していたという。事件前には「嫌い」と言われ、母親は「死のうと思った」と供述しているとも報じられている(朝日新聞デジタル「内縁の夫から日常的に注意か 福岡2児死亡、母を殺人容疑で再逮捕へ」、2026年5月12日)。
これは単に、「男が施設に侵入していた」という話ではない。男のDVから抜け出せず、施設内でも支配関係が継続していたということだ。
県内の別の母子生活支援施設の関係者は、読売新聞の取材に「意図的に隠された場合は見抜くのが難しい」とコメントしている。しかし、この事件を「意図的に隠されたら見抜けない」「監視には限界がある」という話にしてはならない。問われるべきは、どれだけ母子の生活に関係性をもち関わっていたのか、ではないか。
確かに、DV加害者の侵入を完全に防ぐことは容易ではない。被害女性自身が加害者との関係を断ち切れず、施設側に隠して接触を続けることは、よくあることだ。支配の関係から抜け出すには時間がかかって当然であり、支援現場は常にこうした危険と隣り合わせの中で活動を続けている。しかし、リスクと隣り合わせだからこそ、利用者と関わり合い、互いを尊重できる関係を築くことが大切になる。
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母子生活支援施設は、単に住まいを提供するだけではないはずだ。暴力や支配から抜け出し、暮らしを立て直していくための支援の場である。そのために重要なのが、信頼できる人との関わりや時間の共有、経験の再解釈だ。
加害者との関係が続いていれば、生活の変化や、母親や子どもの様子、行動、緊張感、人間関係のあり方などに、何らかのサインが現れることは少なくない。利用者の生活の様子を見ていれば、買い物の仕方やその量で、変化を察知できることもある。
加害者の潜伏を見抜けなかったのは、プライバシー保護のために、生活空間に踏み込まなかったことが理由ではない。この事件を単なる「管理の限界」の話にしてはならない。「隠されていたから仕方ない」で終わらせてしまえば、現状は変わらない。支援の質を担保するために人員が必要なら、職員増配や予算の増額を行政に求めるべきだ。
Colabo(コラボ)のシェルターにも、半グレ組織の少年や、少女をグルーミングする年上の男、闇金融が来たこともある。しかし、少女たちとの関係性や、被害者本人だけではなく他の利用者や周りの少女たちとの関係があれば、早い段階で気づくことができる。私はこれまで、数分から数時間以内に加害者の侵入を発見してきた。もちろん、巧妙なケースでは見抜くまで時間がかかることもあるだろう。しかし、3年というのは、あまりにも長すぎる。
3年もの間、施設関係者は母子の様子をどれだけ気にかけ、どれだけ関わっていたのか。どのような関係性を築いていたのか。支配関係の継続や、母子の変化、孤立や緊張感に向き合えていたのか。省みるべきは、そこであろう。
私の批判に対して、「職員も悩みながら実践している」「施設批判につながることを懸念する」という声が届いた。しかし、支援者が悩んでいることと、支援のあり方が検証されるべきことは別だ。施設関係者や支援関係者が、このように施設を擁護して守りに入るのではなく、どうしたら防げたのかを考えるために、支援の質について検証し、議論し、質を上げるために必要な体制をとれるように予算要求等をすべきだろう。実際に、子どもが亡くなっている。「見抜けなかった」「仕方なかった」で終わらせてはならない。現状を容認するのではなく、変えていくための議論が必要だ。
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思い出すのは、トー横(新宿区歌舞伎町の新宿東宝ビル横)付近に東京都が開設した青少年相談支援施設「きみまも」で性加害事件が起きた際、新宿区の吉住健一区長が「困難な課題を抱えている若年層の受け皿での事件は避けられない」と発言したことだ。
私はプレオープン時の「きみまも」に足を運んだ。そこには、少女たちを性売買に斡旋する成人男性たちが居座っていて、男たちがそこで過ごす間に少女が大久保公園で売春させられていた。性搾取の加害者たちの居場所となり、少女たちが安心して利用できる場ではないとメディアにも政治にも訴えてきたが、問題視されないまま、施設内で性加害事件が起きた。
「きみまも」は、東京都がColaboと協働していた事業への妨害に屈し、「危ないから」と活動を中止させ、バスカフェを歌舞伎町から排除した後、それに対する批判をかわすために都知事の肝煎りで設置された。
Colaboが大切にしてきた「共にある」関係性には手間がかかる。この重要性が行政に理解されないまま、「支配や暴力の中にいる少女たちとどのような関わりをするか」という支援の中身ではなく、「何人利用者がいた」「何食食事を提供した」「何回街を歩いた」など表面的な「成果」だけが重視されてきた。
Colaboが排除されてから、「支援」を掲げながら性売買業者やその周辺とつながる者たちが若年女性支援に入り込み、行政と結びつき、資金を得る構造も強化されていった。支援団体における少女への性加害や薬物推奨事件も相次いでいる。こうした支援団体に性搾取の実態や支配構造への理解がないことや、女性の人権視点がないことが問題だが、そのような団体の方が社会に受け入れられやすいようだ。
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「きみまも」での性加害事件を受けて、新宿区長はさらに「屋外で起きていれば泣き寝入りになった可能性もあります」「純粋に少年少女の立直りを考えているなら居場所事業を攻撃するのは間違っています」とも投稿した。そもそもこの事件は施設関係者が明るみに出したわけでもなく、施設職員は利用者数が多かったから目が行き届かなかったと弁明している。活動をしているからこそわかるが、あの程度の広さと規模感のスペースで、そんなはずはないのだ。見ようとしていなかっただけだろう。
「事件は避けられない」というのは責任逃れだ。そのようなことが起きないようにするのが支援者の責務である。ちなみに区長は、かつてColaboが行ってきた支援現場への妨害に乗じてバスカフェと少女たちを歌舞伎町から追い出し、24年の東京都知事選挙ではColabo攻撃の中心人物となった暇空茜候補の支持を匂わせ、その後もColaboにまつわるデマを拡散し、支援事業を攻撃しておきながら、「きみまも」批判に対しては「居場所事業への攻撃は間違い」だと投稿した。
この時も、「管理には限界がある」「居場所事業を攻撃するな」という方向へ議論が流れた。そこでは、「少女たちをどう守るか」よりも、「事業をどう維持するか」「批判をどうかわすか」が優先されていた。守られているのは、少女たちではなく、「事業」や「支援者」の都合である。