12月8日のHUFFPOSTの記事「新型コロナで、女性たちが望まぬセックスワークに追い込まれている 【イギリス・調査】」では、イギリスの実態に触れられている。慈善支援団体「チェンジング・ライブス」の調査によると、新型コロナウイルスによる生活苦でセックスワークに従事せざるを得なくなっている女性は増え、ロックダウン開始からの4カ月で、売春や性的搾取で「チェンジング・ライブス」に支援を求めてきた女性は83%も増加したという。
コロナ禍での望まぬセックスワーク従事者について、日本では正確なデータはない。しかし、これだけ多くの非正規女性が職を失う中、増加しているだろうことは容易に想像がつく。店につとめるという形でなく、「パパ活」などの形でやっているとさらに表には出にくいだろう。実際、そのような女性から相談があったこともある。
生活費のため、学費のため、家族のため、人知れずセックスワークに足を踏み入れる女性たち。コロナがなければ、おそらく性産業と無縁だったろう女性たち。一方、コロナで仕事がなくなり困窮して役所に相談に行った女性の中には、「身体を売れば」と言われたという人もいた。役所はいまだにこんなことを言っているのかと驚愕した。
そこで思い出すのは昨年4月、お笑い芸人の岡村隆史氏の発言が炎上した件だ。ラジオ番組にて、「コロナの影響で風俗に行けない」というリスナーの声に答える形で「コロナが収束したら、ものすごく面白いことある」「美人さんがお嬢やります」などと発言。当然、大きな批判を浴びた。
が、それから半年以上。岡村発言は、ある意味で当たってしまっている。
「でも、それで本人が食べられるならいいじゃん」と言う人もいるだろう。しかしそれは、「飢饉が来たら娘を売らねば」みたいな時代の言い分ではないだろうか。天保の大飢饉に襲われた江戸時代の村人が言うならまだわかるが、少なくとも21世紀であるならば、望まぬ性産業以前に手厚いセーフティーネットがあるべきなのである。
先進国とはそういうことなのである。が、この国にはなぜか「江戸時代の村人」みたいな人がわんさかいる。ちなみにそんな「自己責任論」を「最先端っぽい」と思っている人は多いが、江戸時代が今以上の自己責任社会だったことはあまり知られていない。自己責任を強調する人は、江戸時代のメンタリティーの持ち主であり、時代錯誤もいいところなのである。このあたり、もっと知りたい方は木下光生『貧困と自己責任の近世日本史』(人文書院、2017年)を読もう。
さて、コロナ禍の貧困は多くの女性を苦しめていることを書いてきた。そんな中、私は渋谷で殺害された女性の報道について、一つ看過しがたいものがある。それは『週刊文春』(2020年12月3日号)に掲載された報道。女性の殺害と加害者について報じた記事の一番最後にその言葉はある。
それは〈流浪生活の果てに命を失ったOさん(引用者注・名前は仮名にしています)の痩せ細った遺体には、豊胸手術の跡が残っていたという〉という一文だ。引用したくなかったが、引用しないとなんのことなのかわからないので忸怩(じくじ)たる思いで引用した。
これを読んだ瞬間、私は彼女が死後、侮辱されたような、2度殺されたような気持ちになった。撲殺された被害者でありながらも、こうした身体的特徴が描かれることに心底怒りを覚えた。そこからは、事件の被害者だろうとホームレスだろうと高齢だろうとなんだろうと「すべての女体は俺たちのエンタメ」という男社会のメンタリティーが匂い立つからだ。
そもそも、この遺体の特徴について、なぜ情報が漏れたのだろう。想像するに、男性警察官が男性記者に言ったのではないか。その時、どんなふうに、どんな口調でその情報は漏れ伝わったのだろう。そしてあの記事が出るまで、どれほどの男性がその情報についてどんな顔で口にしたのだろう。
女性というだけで、ここまで晒し者になる。女性とホームレスという、二重の差別がそこにある。なぜなら、私たちは今まで一度も「殺された男性の遺体には、包茎手術の跡がありました」なんて情報、聞いたことがないからだ。「頭部に植毛手術の跡がありました」だって聞いたことがない。そのほか、入れ歯とか盲腸の手術跡とかいろんなものがあるだろうけど、「男の肉体」について、そんな情報一度も聞いたことがない。
デモの日、渋谷の街をキャンドルを持って葬列のように歩きながら、殺された女性のことを考えた。ある女性が掲げていたプラカードには、「彼女は私だ」とあった。「他人事じゃない」。この日、多くの女性が口にした。非正規で働いてきた女性、コロナで仕事を切られた女性たちも多く参加していた。
このデモを主催した団体の一つは、渋谷・新宿周辺に住む女性ホームレス団体「ノラ 」。多くの人は、女性たちのホームレス団体があることすら知らないだろう。苦しい中だけど、女性たちは助け合って生きている。決して「弱い」だけの存在ではない。
渋谷の街をキャンドルを持ったデモ隊が歩く光景は、クリスマスイルミネーションとマッチして綺麗だった。だけど、そんなキラキラしたイルミネーション瞬く渋谷の街は野宿者を排除し続けてきた歴史があって、Oさんもそんな渋谷で「排除」された一人だったという事実を思うと、綺麗なイルミネーションが、まったく違ったものに見えてきた。
次回は2月2日(火)の予定です。