2025年のクリスマス、ある人の訃報が報じられた。
その訃報をスマホで知った瞬間、「えええええ!!」と自分でもびっくりするほど大きな声が出た。去年一番、大声を出した瞬間だったかもしれない。
訃報が伝えられたのは、魚喃キリコさん。1990年代後半から2000年代、多くの作品を生み出し、絶大な人気を誇った漫画家だ。報道によると、亡くなったのは1年前の24年12月25日。本人や遺族の意向で1年間伏せられていたという。
享年52歳という文字を見て、私の3つ上なんだ……としみじみ思った。死因などは今もわからないし詮索するつもりはない。だけど魚喃さんの死に、驚くほどショックを受けている自分がいた。
なぜなら私は魚喃さんの漫画を愛読していて、90年代後半から2000年代、つまり10代終わりから20代にかけて、その漫画を擦り切れるほど読んだ一人だから。あの頃、本棚の一番メインの場所には常に魚喃キリコの漫画があって、幾度も幾度もページをめくった。
『blue』『痛々しいラヴ』(マガジンハウス、1997年)、『南瓜とマヨネーズ』(宝島社、1999 年)、『strawberry shortcakes』(祥伝社、2002年)等々――。今もコマ割りまではっきり覚えてる。
彼女の漫画に登場する主人公はだいたい報われない恋をしていて、男はたいてい自分勝手でろくでもなくて、だけどたまらなく魅力的で、何者でもなく何もなくバイトをしながら暮らす主人公は物書きデビューする25歳までフリーターだった私そのもので、追いかけるばかりでちっとも振り向いてくれない相手に気まぐれで呼び出されて振り回されるような恋愛含め、彼女の漫画のあらゆるページに自分がいた。自分がいる、と思わせてくれた。
そんな魚喃さんとは仕事で何度かご一緒したり、飲みに行ったこともある。
最初に会ったのは私が出たドキュメンタリー映画のトークショーにゲストとして来て頂いた時だったと思う。おそらく、2000年。
「憧れの漫画家」に会える緊張と喜びでいっぱいで、そして実際に会った魚喃さんは彼女の漫画からそのまま出てきたような「ザ・下北沢」って雰囲気で、びっくりするほど気さくだった。
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魚喃さんはトークショーに出ることに私よりも緊張していて、当時の彼女は殺人的なスケジュールだっただろうに前日に映画を2度も見て予習してきたと言っていた。緊張してると言ってたわりにはステージに上がると堂々としていて、トークの後は渋谷の街に何人かで飲みに行った。そこらへんの、普通の居酒屋だ。何を話したのかまったく覚えていないけれど、ニカッと笑った横顔だけははっきりと覚えている。
その次に会ったのは、ある雑誌での対談。集合は昼過ぎで、待ち合わせ場所に行く途中、道の向こうからコンビニのパンを食べながら歩いてくる人がいて、それが魚喃さんだった。コッペパンみたいなものを食べて歩いているだけなのにその姿はものすごく絵になっていて、私に気づくと手を上げて笑って、気にする様子もなくまたむしゃむしゃとパンを食べ続けていた。
その日はまずは屋外で撮影だった。真夏。公園のベンチに並んで座って写真を撮られていると、2人とも全身を蚊に刺された。編集者の男性は慌てた様子で薬を買ってきてくれて、2人で笑いながら薬を塗った。
対談はその後だった。大手出版社で、当時はまだ出版業界の景気がよくて、対談の後、高級ホテルのだだっ広い個室で和食のコースをご馳走になった。
彼女はその頃、押しも押されぬ売れっ子。私は有名なホテルでの対談も、その後の豪華な食事も何もかも初めてくらいだった。私たちよりずっと年上の編集者の男性が蚊に刺された私たちを気にして薬を買いに走ることも初めてで、そういった一つひとつが「魚喃キリコのパワー」なんだと思った。
だけど隣の魚喃さんには自分が「泣く子も黙るような売れっ子」という自覚はまったくないっぽかった。豪華なメニューに新鮮に喜び、とにかく自然体でそこにいた。
ああ、「接待」というものをされたらこんなふうに振る舞えばいいんだ――。私は密かに感動していた。
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私も魚喃さんも、20代でデビューした身。
若くして「デビュー」というものをすると、ずっと年上の編集者などと付き合うことになり、それは男性が多く、そんな人にご馳走してもらったりということが起きる。デビュー間もない当時の私はそんな時、どんなふうに振る舞えばいいのかわからず戸惑うばかりだった。
何をされても恐縮するばかりで、「何が食べたいですか?」と聞かれても「なんでもいいです」としか言えなくて、時々「“これを食べたい”とかもう少しわがままに振る舞ったほうがいいのかな?」と思ったりもした。だけどそんな時に限って、「この前、○○さん(若い女性作家)に、“何食べたい?”って聞いたら“すき焼きかしゃぶしゃぶ”とか言ってて、勘違いしてるんじゃないのってちょっと引いた」なんてことを編集者の口から聞いたりして、「25歳でデビューした物書きが出版社の人に接待される時の態度・振る舞いの正解」が未知数すぎていつも困っていた。だから彼女の振る舞いに、「そうか、ほんとに自然で普通でいいんだ」と安心したのだ。
そんな食事の席で、彼女はあまりにも赤裸々に自分のことを語っていた。そう、魚喃さんを思い出す時に頭に浮かぶのは「そんなに無防備でいいの?」という言葉だ。
これまでの恋愛などについて、あっけらかんとけっこう際どいことまで話していて、「いやいやあなた有名人なんだから、どこでどう話が漏れるかわからないんだからそんなプライベートなこと言わない方がいいよ?」と思ったものの、やっぱり彼女は自分の知名度に無頓着で、そういうところがまたカッコよかった。
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その頃、彼女は『鳩よ!』(マガジンハウス)という雑誌で特集を組まれるくらい人気があって、私ももちろんその号を熟読していた。特集のグラビアで彼女はやっぱり自然体で笑っていて、そういう扱われ方すべてが「誰もが憧れる」もので、時代は完全に彼女の味方だった。