たばこ1000円で大幅増収に矛盾あり!
もしも、たばこ1箱で1000円札が煙となって消えたら、喫煙者の懐はさぞ寒いことだろう。私自身は喫煙しないが、喫煙者が大慌てする気持ちはわかる。笹川陽平会長が産経新聞「正論」に寄稿された「9兆5千億円の新たな税収」(2008年3月7日)によると、たばこ1箱を1000円に値上げすれば、現在の消費量で9.5兆円の税収増加が見込め、仮に消費量が大幅に落ち込んでも相当の税収増加があるという。それを受けて、内閣府所轄の独立研究機関である日本学術会議も、たばこ1箱1000円で4兆円の税収の増加が見込め、厚生労働科学研究費研究班(代表高橋裕子奈良女子大学教授)は、3.1兆~5.9兆円の税収増加が見込まれると援護している。そうした試算結果にどのような学問的根拠があるかは不明だが、喫煙者の大幅な減少とたばこ税の大幅な増加には、矛盾を感じずにはいられない。そこで私は、たばこ価格にともなう禁煙意思の変化、禁煙開始者の禁煙成功率など、私自身の研究結果を用いて同様の試算を行ってみた。
たばこ価格から見た行動経済学モデル
まず、たばこが値上がりしたら、どれだけの喫煙者が禁煙しようと思うだろうか。たばこが1箱500円、1000円になった場合を想定し、禁煙しよう思う人の割合をコンジョイント分析という方法で試算してみたところ、1箱500円程度であれば、中度・高度喫煙者の大半は動じないため、禁煙しようと思う人は喫煙者全体の40%にとどまるだろう。しかし、1箱1000円になった場合は、高度喫煙者も含めて97%の喫煙者が禁煙しようと思うようになる、という結果が出た。
それでは、禁煙を始めた人のどれだけが実際に禁煙に成功するだろうか。
禁煙開始者を対象に半年間の追跡調査を行ったところ、5カ月後の禁煙継続率は54%であり、ほぼ50%強で安定した。仮にたばこが500円になった場合、40%の人が禁煙しようと思うので、そのうち54%が半年後も禁煙を継続しているとすれば、現在の全喫煙者の20%強が禁煙に成功することになる。さらに1000円の場合は、97%の人が禁煙しようと思い、そのうちの54%が半年後も禁煙を継続しているとすれば、現在の喫煙者の50%強が禁煙に成功する。
しかも、たばこが500円、1000円と高額になるほど、禁煙者の禁煙意思が今より固くなると思われるので、禁煙継続率も実際には54%より高くなるだろう。
たばこ大幅値上げによる税収変化は
以上の行動モデルを当てはめ、たばこが1箱500円、1000円になった場合の税収の変化を見てみよう。たばこが1箱500円、1000円になった場合の禁煙継続率に関する経験的データが存在しないので、2つのケースに分けて税収変化を試算してみた。ケース1は、禁煙開始者の禁煙継続率を現在と同じ54%と仮定した。その場合、たばこ1箱500円で1.4兆円の税収増加が見込め、1000円になると2.8兆円の税収増加が見込める。
ケース2は、禁煙開始者の意思が試算以上に固く、100%の人が禁煙に成功すると仮定した。その場合、たばこ1箱500円で0.5兆円の税収増加を見込める。しかし1000円になると、1.9兆円の税収減になってしまう。
今回、問題となっているたばこ1箱1000円の場合、ケース1と2の数値の乖離(かいり)が大きい。1箱あたりのたばこ税が約5倍(175円→841円)になると考えれば、全喫煙者のうち20%以上が喫煙を続けることで、少なくとも現在の税収2.2兆円は維持される。しかしながら、禁煙の成功率次第では減収もあり得るだろうと結論した。
たばこ1箱1000円は経済的懲罰だ
喫煙者を大幅に減らして、税収も大幅に増加させるという一石二鳥は、経済学的にはあり得ない話だ。そもそも、たばこ税の大幅な増加で、消費税の引き上げの先送りを狙うという発想からして政治的な思惑に過ぎない。ここは話を国民の健康増進という本筋に戻して、喫煙予防・禁煙誘導という観点からたばこ税を考えるべきだろう。ひと昔前まで日本では成人男性の80%が喫煙し、国も喫煙習慣に寛容だった。一国の政策の歴史的一貫性の意義は重い。たばこ1箱1000円というのは、税金というよりは、むしろ経済的懲罰のようにさえ思えてくる。ここは、突然の方向転換ではなく、計画的な軌道修正をもって対処すべきではないだろうか。私の試算では、たばこが1箱500~600円までは税収を減少させることなく、喫煙者も減らすことができる適正価格だ。これなら、喫煙者も非喫煙者もお互い納得できるのではないか。
日本のたばこ価格もやがては国際的水準になる。喫煙者もたばこ業界も襟を正して、今から一服もできない時に備えるべきであろう。
コンジョイント分析
主に商品開発やマーケティングなどの分野で、消費者の嗜好(しこう)を探るために用いられる調査方法。調査品目を構成する要素(例えば機能、価格、デザインなど)を様々に組み替えた測定用モデルでアンケートを実施し、その中から最適な組み合わせを探り、どの要素がどれだけ判断に影響を及ぼしたのかを統計的に分析する。近年では医療経済学でも広く応用されている。