食糧・原油危機をもたらす投機マネー
2007年の夏に表面化した、アメリカの信用力の低い個人向け住宅融資であるサブプライムローン問題により、証券化商品を始め、株や債券に投資されていた投機的資金が、原油や穀物、金などの国際商品市場に流れ込むようになった。ヘッジファンドやインデックスファンドがその主役である。その結果、ニューヨークの原油先物市場では、02年の時点で1バレル20ドル程度だった原油価格が、08年7月には147ドル台という史上最高値を付けることになった。穀物類も、2000年の時点で1ブッシェル当たり2ドル程度だったトウモロコシが、08年6月にシカゴ商品取引所で7.6ドルと最高値を付け、小麦や大豆、そしてコメも相次いで最高値を付けた。市場規模の違いから、投機的資金のわずかな動きが商品市場を翻弄するのである。
こうした「暴騰」とも言える先物市場の価格高騰は、食料品や燃料、エネルギー物価の高騰となって現れた。08年に入るやアフリカを始めとする発展途上国各地で食糧危機や飢餓が広がり、ついには食糧暴動が起こる事態となった。国際連合を始め国際社会が緊急援助を開始しているが、決して十分ではない。このままでは、世界で約10億人とされる絶対貧困者(1日1ドル以下で生活する人)を2015年までに半減するという「国連ミレニアム開発目標」の達成に向けた努力が、水泡に帰してしまうことになる。
一方、石油や食物価格の高騰は世界に及び、発展途上国、先進国を問わずインフレ圧力が加わって景気後退や不況をもたらした。国際商品市場に殺到した投機的資金が、貧しい国に飢餓と暴動をもたらし、世界の人々の台所を直撃し、そして景気後退をもたらしたのである。
ひるがえって、10年ほど前にも投機資金による世界的な問題が起きている。タイを皮切りに、マレーシア、インドネシア、フィリピン、韓国を襲った1997年の通貨危機である。
この危機の引き金を引いたのは、ヘッジファンドなどの大量の短期資金の流入と流出であった。96年からのわずか1年間で、5カ国のGDP合計の11%もの巨額の資金が流出入したのである。アジア通貨危機はたちまち各国を経済危機に陥れた。企業倒産の嵐が吹き荒れ、大量の失業者が街頭にあふれ、貧困者が増大した。ここでも、投機資金が何百万という人々を不幸のどん底に突き落としたのである。一方、ファンドマネジャーや投資銀行のトレーダーらは、その年の冬に想像を絶するほどのボーナスを入手したとされる。
このような短期の投機資金を操るヘッジファンドなどの行為に対し、98年の段階で世界的に投機資金規制などの要求が高まった。その経済政策の一つがトービン税である。
トービン税とは何か?
トービン税(通貨取引税)とは、1981年度のノーベル経済学賞を受賞したアメリカのジェームズ・トービンによって提唱されたアイデアである。各国が金融や経済の自律的政策を保持するために、すべての外国為替取引に低率の課税を行い、金融市場をかく乱する短期の投機的取引を抑制する、というものである。実際、80年代に入り新自由主義による金融自由化が支配的政策になるにつれて、通貨危機や累積債務危機といった国際金融・経済システムのほころびがたびたび発生し、特にアジア通貨危機以降には、トービン税の導入を求める声が世界的に高まるようになった。
トービン税が注目された理由は、投機資金の規制という役割はもとより、その税収にある。外国為替市場では巨額な通貨取引が行われているので、例えば0.05%という低率の課税でも、税収は1500億ドルにも上る(国連開発計画の試算、94年)。これを世界の貧困対策など、地球公共財の資金に充当しようというのである。
運動の高まりは、2001年のフランス議会が、02年度予算修正案の中でトービン税を可決するまでに上りつめた。04年にはベルギーの議会が、13条から成る単独法「外国為替・銀行券・通貨取引税導入に関する法」としてトービン税を採択している。ただし、これらの法には「EUの他の諸国が全く同一の措置を採った場合にのみ実施される」という条項が付いており、08年11月の時点では実施されていない。
動き始めた国際連帯税
「ミレニアム開発目標」達成のための新しい資金源を模索していたフランスのシラク大統領(当時)は、05年1月に国際連帯税構想を発表した。その内容は、国際金融取引、航空・船舶燃料、航空券への課税などである。さらにフランスは、06年2月に「革新的な開発資金源に関するパリ閣僚会議」をブラジルなどとともに開催し、航空券による国際連帯税実施(税収は主にHIV/エイズ、結核、マラリア等の感染症対策の医薬品購入に充てる)を宣言するとともに、国際連帯税の推進を目指す政府レベルのグループ「連帯税に関するリーディング・グループ」組織化のイニシアチブを取った。現在、航空券税実施国は9カ国を数え、リーディング・グループでは55の参加国が議論を深めている。55カ国にはG8主要国の5カ国が含まれ、世界経済への影響力は小さくない。ちなみに、従来より日本政府は国際連帯税に冷淡だったが、08年2月に超党派の国際連帯税創設を求める議員連盟が設立されたこともあり、同年11月にギニアで開催されたリーディング・グループ第5回総会より、55カ国目の正式メンバーとして参加している。
現在、国際連帯税の中で注目されているのは、開発資金調達を目的とした通貨取引開発税(CTDL Currency Transaction Development Levy)である。通常のトービン税よりも税率はさらに低くなり、投機資金を直接規制するものではないが、アナウンス効果などその抑制効果が期待されている。
サブプライムローン危機は、今や国際的な金融危機となって現れている。その原因は投機資金にあり、その規制政策が求められている。