また百田氏自身も、自分は私人であること、勉強会もクローズドな集まりであったことなどを根拠に、発言を撤回したり謝罪したりするどころか、インタビューや講演会後の質疑応答で沖縄メディア批判を繰り返している。
ここで私が特に問題だと考えるのは、百田氏の発言がメディア批判にとどまらず、沖縄県民に対する差別、侮蔑の内容を含んでいたことだ。「普天間飛行場、元は田んぼ」「地主の年収は何千万」といった事実を歪曲した発言も問題だが、もっとも深刻なのは、沖縄駐留の米兵よりも沖縄県民による強姦(ごうかん)事件の発生率の方が「はるかに高い」と、沖縄県民による犯罪発生率をことさらに強調して説明したことだ。
たしかに米兵による暴行事件などが起きると、マスコミは大きく報道する。それは本来、「米軍にいるアメリカ人は危険」と主張することが目的ではなく、基地の兵士の管理体制や生活指導など、そこに何か構造的な問題はなかったのかを浮き彫りにすることを目指しているはずだ。しかし残念ながら、「米兵は危険」と誘導しようとするかのようなトーンの記事も少なくない。
こうした報道を真に受けた人たちが、基地の外で米兵を見かけたときに「おまえも暴行するのか? 帰れ!」という怒声を投げかけるとしたら、それはいわゆるヘイトスピーチだと思う。日本ではマイノリティー(少数派)である米兵に対し、その個人がどういう人かと関係なく「米兵だから」という属性だけで差別的な目を向け排除するのは、国際的定義に照らし合わせても、異論もあるもののヘイトスピーチに相当するだろう。
そうした誤解にもとづく差別や排除を防ぐ目的で、「米兵の強姦事件の発生率は高くない」と説明をするのであれば、これは正しいことだ。精神科医の私は、精神科通院歴がある人が犯罪を起こすと、そのことが強調されて報道される新聞記事には強い抵抗を感じる。ときには社会全体の犯罪発生率を精神障害者のそれと比べ、後者のほうが高いというのは明らかな間違いだと数字を示しながら指摘することもある。
しかし、百田氏が比較対象としてあげたのは、「社会全体の犯罪発生率」ではなくて「沖縄県民」という特定された集団であった。しかも、沖縄に関する問題点をあれこれあげる中での発言なのだ。これでは、聴いた人が「なるほど。米兵による強姦事件発生率は高くないのか」と理解するどころか、逆に「米兵に比べて沖縄県民による事件発生率は高い」という先入観をもち、新たな差別を生み出す危険性があるだろう。
ヘイトスピーチの定義をここで改めて紹介しておこう。
「ヘイト・スピーチとは、広義では、人種、民族、国籍、性などの属性を有するマイノリティの集団もしくは個人に対し、その属性を理由とする差別的表現であり、その中核にある本質的な部分は、マイノリティに対する『差別、敵意又は暴力の煽動』(自由権規約二〇条)、『差別のあらゆる煽動』(人種差別撤廃条約四条本文)であり、表現による暴力、攻撃、迫害である」 (師岡康子「ヘイト・スピーチとは何か」岩波新書より)
私は個人的に、百田氏の発言は沖縄県民に対する差別を扇動する可能性を秘めており、その意味では広義のヘイトスピーチにも限りなく近いものではないかと考えている。「ヘイトスピーチだと決めつけることじたいがヘイトスピーチであり言論封殺だ。ここには差別扇動の意はなくただの議論、雑談だ」という反論が予測されるが、悪意の有無や議論の範囲内か否かとヘイトかどうかは、直接は関係ないのだ。もちろんこうした私の考えが「ヘイトではない。なぜなら…」といった反論やさらなる議論を封じるものではないことは言うまでもない。