消費税めぐり党内ぎくしゃく
最近の混迷の主たる要因は麻生太郎首相自身がもたらしたものだ。08年末の予算編成時に、消費税の「2011年引き上げ」を税制関連法案付則に明文化することにこだわり、与党内がぎくしゃくした。これには「上げ潮派」と呼ばれる中川秀直元自民党幹事長が、「新しい旗を立てる」と造反まで示唆した。そこで党内亀裂を心配した派閥会長らが動いて妥協案を模索し、08年12月23日未明に「二段階方式」で玉虫色決着。ひとまず消費税騒動は政局に発展せず収拾された。
定額給付金を含む08年度補正予算案とその関連法案は、年明け09年1月5日召集の通常国会にやっと提出された。それでも渡辺喜美氏は採決日の1月13日、離党を表明して反対。松浪健太内閣政務官まで欠席する造反が出て、与党には打撃となった。
迷走発言で墓穴を掘る
郵政民営化に関しては、麻生首相が09年2月5日の衆議院予算委員会で、「私は民営化に賛成じゃなかった。ぬれぎぬを着せられると俺もはなはだ面白くない」と発言し、物議をかもした。小泉内閣で郵政民営化担当の総務相だったことを指摘されると、9日に「最終的には賛成した」と釈明したが、同時に「われわれが問うたのは郵政民営化であり、4分社化ではなかった」と強弁した。本人は「私の発言はぶれていない」と言うものの、世論は厳しい判断を示した。共同通信社の世論調査(2月7、8日実施)では内閣支持率18.1%と、ついに20%ラインを割り込んだ。朝日新聞調査では14%と危機的状況を裏書きした。
“小泉ライオン”の尾を踏んだ
麻生首相発言に最も強いリアクションを示したのが小泉純一郎元首相だった。2月12日、「郵政民営化を堅持し推進する集い」に参加して、「怒るというより、笑っちゃうくらいにあきれた」と痛烈に批判。定額給付金についても、「(衆院の)3分の2を使っても成立させないといけない法案とは思わない」と疑問を示した。現在、与党が衆院で3分の2以上の勢力を誇るのも、小泉元首相の「郵政解散」によってもたらされたものだ。それを否定するような麻生発言は許せないというわけだ。いわば虎の尾ならぬ、“小泉ライオン”の尾を踏んでしまったのだ。
中川財務相の“もうろう会見”
それでも定額給付金を含む補正予算関連法案を、再議決する際の本会議欠席に同調する議員はほとんどなく、政局はひと休みかと思われた。その矢先に飛び出したのが中川昭一財務相の“もうろう会見”だった。中川氏は財務相として出席したローマでのG7(7カ国財務相・中央銀行総裁会議)会合後の15日の記者会見で、ろれつが回らず、記者とのやりとりもチグハグだった。麻生首相は帰国後の16日夕、官邸に中川財務相を呼んで厳重注意を与えたものの、続投を決めた。しかし、翌日になっても中川氏の責任追及の声は収まらず、国会審議もストップ。中川氏は翌17日昼すぎ、財務相辞任の意向を表明した。ただ、予算の衆院通過までは職にとどまる考えを示した。これがまた野党などから反発を招き、結局、夕方になって辞表を提出して一件落着した。
一連の経緯は麻生官邸の危機管理意識の低さを露呈すると同時に、首相最側近の実力者閣僚の失態は、麻生政権の足元をすくうものだ。特にこの事件がアメリカのクリントン国務長官の初来日と重なり、この後の18日にサハリンでロシアのメドベージェフ大統領との日ロ首脳会談を行っただけに、外交へ与えたダメージも大きかった。
帯に短し襷(たすき)に長し
中川財務相の辞任で、麻生内閣支持率はさらに落ちて13.4%(2月17、18日実施の共同通信社世論調査)となった。自民党内では「ポスト麻生」が半ば公然と取りざたされ始めたのが中川氏辞任後の党内風景だ。中川財務相の後任には、与謝野馨氏が経済財政担当相と金融担当相との兼任のまま任命された。与謝野氏は内閣での重みを増しており、「ポスト麻生」の一番手に躍り出た。政策通で安定感が評価されている。同様の実力派としては、谷垣禎一、高村正彦、町村信孝各氏らが取りざたされる。
総選挙の顔としての人気という点では、小池百合子、野田聖子、舛添要一各氏の名が挙がる。麻生路線への対抗軸としてなら、中川秀直、小池百合子両氏が浮かぶ。ただ、どの候補も「帯に短し襷(たすき)に長し」というのが実情だ。
小沢代表秘書逮捕で激震
準大手ゼネコン西松建設をめぐる暗雲は08年から垂れ込めていたが、09年3月3日、民主党小沢代表の公設第1秘書大久保隆規(たかのり)が政治資金規正法違反で逮捕され、政界に激震が走った。小沢代表は記者会見で「なんらやましいことはない」「政治的にも法律的にも不公正な国家権力、検察権力の行使だ」と引責辞任を否定した。支持率低迷にあえぐ麻生政権にとっては願ってもない「敵失」と思えたが、二階俊博経済産業相ら複数の自民党議員にも疑惑が浮かび、さらに政府高官(後に漆間巌官房副長官と判明)の「自民党側は立件できない」との発言が問題化して、再び守りを強いられた。報道機関各社の麻生内閣支持率はさほど上がらなかった。小沢氏の代表去就を含めて、政局はいよいよ「一寸先は闇」の状態に突入した。