政治のことは「何も分からない」と自認していたライターの和田靜香さんが、コロナ禍をきっかけに国会議員に正面から疑問をぶちかました本、『時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか? 国会議員に聞いてみた。』を出版した。話題のこの本の反響と、そして政治と向き合うこと、参加することについて和田さんに寄稿してもらった。
立憲民主党の代表選挙、みんな盛り上がってる??
この原稿を書いている11月末現在、立憲民主党の代表選挙が行われている。11月30日に代表が決まり、野党第一党が新たなスタートを切るけれど、一体、世の中のどれぐらいの人がこれに注目しているんだろう?
そう思って昼間、テレビをつけて幾つかのワイドショーを見た。あれっ? あれっ? どの番組も、東京都議会を辞めるけど、これはいじめだ、私は悪くないと主張をする女性議員の特集を延々やっている。政治ネタといえば、主役はその女性。日本の野党第一党である、立憲代表選挙に出馬した4人の姿なぞ影さえも見えない。そんなの面白くない、絵的にバエない。だから、やらない。そんな感じか?
とはいえ、もうしわけない。私はテレビにはあまり期待していない。ワイドショーを作る人たちの多くには、じゃ、この立憲党代表選挙というのを絵的に面白く見せるにはどうしたらいいだろう? というアイディアや、自ら番組作りを楽しんでやっていこうなんていうクリエイティヴな姿勢を、日ごろあまり感じないからだ。代表選挙という人間模様がさまざま見えるであろう場面も、簡単に、平気で、スルーする。これからの日本を考えてる暇なぞ、ないのであろう(それはそれで日本の問題なのだけど)。何か上から圧力があるとかないとか言う人もいるけれど、そんなことはないのかもしれない。それより、政治の一大お祭りであるはずの代表選挙を面白く見せるテクニックが、ないだけなんじゃないか? と思っている。テレビの人、違いますか? ぜひ反論してください。お願いします。
かくなるうえは、オールド・メディアは置いといて、私たちは私たちで、野党第一党がこれからどうなるのか? それを見守り、時には叱咤し、みんなで盛り上がろうよ! という気持ちで、代表選挙についてツイートをしたり、あれこれ見たり、思ったことを日記に書いてアップしたりしている……って、日記は平安時代から続く最古のオールド・メディアじゃん!
しかも、私一人がやることなぞ、当然ながら吹けば飛ぶようなもので、超~微力だ。一人の人間がやることなんて高が知れている。それでも、やる。一人がやらなきゃ、それが一億に大きく広がり、育つことは決してない。だから、やる。そう思ってやっている。政治を盛り上げるのは私だ。政治を作るのは私だ。政治の真ん中にいるのは私だ。だって私は主権者なのだから。私から始めなければ誰がやるんだ? 毎日そう思っている。
小川議員と対話を重ねて、民主主義を考え始めた
私がそういう考え方に至ったのは、夏の終わりに出した本『時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか? 国会議員に聞いてみた。』(左右社)がきっかけだ。この本は、今回の代表選挙にも出馬する、衆議院議員の小川淳也さんと対話を重ねて書いた。最初私は、政治のことなぞ何も分からず、無力感にあふれ、ひたすら絶望していた。それが対話を何度も重ね、たくさん本を読み、考えることを繰り返す中で、少しずつ、あきらめを回収して希望を見出し、自分の力をなんとか信じるようになった。そのうち、自分たちがやっている「対話」は、民主主義そのものなんじゃないか? と思い、そこから民主主義とは何か? を考え始めた。
そこで気づいたのは、民主主義とは「下から上の権威」であり、主権在民、私たち自身が主権者だということだった。
「私はずっと不安で苦しんで悩む中で『政治が悪いから、政治家のせいだ』と寝言のようにボヤいていたけど、それは間違っていた。政治家のせいにしてるうちは、政治家任せであり、何も変わらない。私がまず、そこにあらなきゃ、何も変わらない、変えられない。私が決めるんだ。それに気づいた」(『時給はいつも~』より)
私がやらなきゃ! 私がやるんだ! 本を作りながら、何度も何度も声に出して、地団駄踏むようにして部屋の床を踏み鳴らしていた。本当に本当に、そうしていたんだから。
そして本が出来上がり、発売されると、思いがけないほど多くの人が手にとって、読んでくれた。発売3カ月で7刷、2万4千部となった。これは予想をはるかに超えることで、本当にうれしい。
本を読んだ多くの人がまた、私が床を踏み鳴らしたように、自分も何か始めなきゃ、やらなきゃ、自分でやるんだと焦れたようにツイートしてくれたり、インスタに本の写真と共につぶやいてくれたりしていた。
さらに、色々な人が「和田さんは私だ」と言っていた。みんな私と同じように不安を抱えながらも、その不安が政治とつながっていること、その政治とはどんなものか、何もかも分からないまま、日々を暮らしていた。私の不安は私だけのものでなく、日本の不安そのものだった。
私の本を読んでくれた人の多くは、私がダラダラと本の中で書き連ねた、対話を重ねるうえでの不安や失敗やあれこれ思い悩んだことを追体験し、やがて政治を我が事にするんだと決意して、それを言葉にしてくれた。なんて、うれしいことだろう。そうあって欲しいと本を書いたのだから。