民主主義とは何か? を東京大学社会科学研究所教授の宇野重規さんと考える対談、後編をお送りする。どうしたら民主主義をつないでいけるか? 参加していけるか? そして参加することで生じる責任について話した。(和田靜香)
*「民主主義って何だろう? 大胆にも、宇野先生に聞いてみた。(前編)」はこちら
一人からつながる、参加と責任
和田靜香 ここまでは地域の問題を自分ごととして考えていく大事さを話し合いましたが、私は自分の属性がわからないんです。今は東京の中野区民なんですけど、ちょっと前までは杉並区民だったんですね。しかもフリーランスで、一匹狼みたいに生きてきて、例えば労働組合みたいなのにも入っていないし、どこにも属していない。となると、地域の問題って何だろうって。さらに地域って何だろうと思う。たぶん私と同じように感じながら、非正規で働いている人たちも多いと思います。仕事によって住むところも変わってしまったりして、つながりを持てない人って今、すごく多いと思うんです。
宇野重規 新著『自分で始めた人たち 社会を変える新しい民主主義』(大和書房)の中で、川崎市の宮前区の事例を紹介しています。宮前区は東急田園都市線の沿線でおしゃれな街ですが、意外に昔ながらの共同体が残っている一方、若い学生さんや子育て世代も多くて、人の入れ替わりが激しいんですよね。だから、和田さんと同じように、なかなか帰属意識を持てない。たまたま何かの都合でここに来たが、すぐまた移動するという中で、地域やコミュニティに「かかわり」を持てなくて、どうしても孤立感があるといいます。
和田 ああ、ほんとそうですね。そういうところって、自分の属性が見えない中で、孤立感にみんな苛まれているようにも思います。
宇野 「地域に参加する」といっても、一生涯コミットするとか、ずっとそこに住むとかいうのではなく、短期間だけでいいんですよ。その地域にいる間、それぞれの抱えている問題を行政の力を借りたり、同じような境遇にいる人同士で情報交換したりして、少しでも支え合いができると、気が楽になりますよね。「社会は敵ばかりじゃないよね」って思える程度でも、「地域に参加する、地域とかかわる」ことは、すごく大切な自治だと思うんですね。
和田 なるほど。でも、そういうのに参加すると、責任が生じるのが、自分も、みんなも、面倒でイヤなのかなという気がします。
宇野 そうなんですね。参加と責任はセットだというのが一つのポイントです。でも、逆に「責任」という言葉を、そこまで重く捉えなくてもいいんじゃないのかなって思います。
和田 ふーむ。確かに責任というものをひどく重く捉えています。
宇野 別に一回、かかわったら二度と足抜きさせないというんじゃないと思うんです。
和田 ワハハ、そうですね(笑)。
宇野 かかわった程度に応じて、少しでいい。自分なりに協力したい、自分なりに貢献したいと思う程度のことを、「責任」と言おうとしているんです。
和田 ああ、なるほど。それぐらいなら、背負える気がします。
宇野 まったく自分はどこにも責任を持つことがない。誰も自分のことを求めてもいないと感じたら、なんかそれって寂しいよね。
和田 確かに、そうですねぇ、孤立して、寂しいですね。
宇野 だから、自分がそれなりにやるんだ、かかわるんだと思える場所……地域でなくてもいいです。組織でもいいし、ある種のスペースでも、活動でもいいと思います。そこは自分の責任の範囲だよと思えるところがあったほうが、人間って嬉しいという感覚があると思うんです。そう考えれば、責任という言葉を、いい意味に少し変えられるのでは?