EU統合の「深化と拡大」
欧州連合(EU)は、その前身であるヨーロッパ経済共同体(EEC)が発足して50周年を迎えた2007年から、新たにルーマニアとブルガリアが加盟し、27カ国で構成されることとなった。「小欧州」と呼ばれたEEC発足当初の6カ国から、半世紀にしてヨーロッパ全域を覆う大共同体へと発展したのである。EUにとって、この半世紀は「イバラの統合」への道であった、と総括できよう。EEC当時の共通農業政策(CAP)は、小欧州の統合のシンボルであったが、半面でナショナリズムが鋭くせめぎ合う政策分野となってきたことは、その証しである。一面で統合の「深化と拡大」が進みながら、他面で加盟各国のナショナリズムが不断に顔を出す構図は、今も変わりなく続く。拡大EUの新たな基本条約となるはずのEU憲法条約の批准を拒否した05年のオランダとフランスの国民投票は、このようなナショナリズムの根強さを示してみせた。オランダとフランスは小欧州の一角を占め、欧州統合の推進に力を発揮してきた国である。その二つの国が、さらなる統合への道標ともなるべき憲法条約の批准を拒否したことは、統合の加速によって得られる利益よりも、損なわれる利益の方が大きくなることに対して、拒否反応がいかに強いかを示した。東欧諸国の加盟による産業空洞化と失業の増大は、1990年代以降の東方拡大によって立証されてきたし、またトルコやアフリカからの移民の急増に伴う失業増や治安の悪化は、移民排斥の機運を高める要因となってきた。
独・仏・英の新政権誕生
このようなナショナリズムの高まる潮流を背景に、ドイツでキリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)が2005年の総選挙で勝利を収めてメルケル政権が誕生し、フランスでも移民規制に厳しい政策をとってきたサルコジ内相が、与党の大統領候補として07年の大統領選挙を制した。05年秋にパリ郊外で起こったアフリカからの移民2世の若者による騒擾(そうじょう)事件に際して、サルコジ内相が強硬手段でこれを鎮圧したことに対するフランス国民の支持は強く、移民増大に伴う国内治安悪化に対する市民の嫌悪感の強さを示している。イギリスでも1997年に発足したブレア労働党政権が、イラク戦争への参戦や国内統治能力の衰退を受け2007年に退陣を余儀なくされるなど、EU域内における政治地図は大きく変化した。1990年代後半にイギリスで労働党復権の烽火となり、EU域内で流行語となった、右でも左でもない「第三の道」路線の退場を印象づけずにはおかない。ブラウン財務相が後継首相として労働党政権を引き継いだが、キャメロン保守党党首の若さと労働党政権に対する支持率の低下が重なって、次の総選挙で政権交代は不可避という見方が強まっている。
統合拡大を阻む対立の要素
EEC結成以来、ドイツとフランスは欧州統合の牽引車(けんいんしゃ)的な役割を果たしてきた。そのフランスで、EU憲法条約の批准が国民投票で拒否されたことは、EUが推進してきた統合の「深化と拡大」路線の修正を迫らずにはおかない。キリスト教文明圏を包括するEU圏域に、イスラム文明圏に属するトルコを加盟させる問題は、当面の最大の論争テーマとして路線修正をめぐる域内論争を彩る。
ドイツでは1990年代におけるトルコからの移民労働者の急増が、失業増や治安悪化の要因となり、反移民意識の高まりと右翼勢力の台頭をもたらしてきた。フランスでも20世紀初頭にオスマン帝国崩壊後のトルコ建国期に起こったアルメニア人大量殺害事件をめぐって、これを民族虐殺行為と認めようとしない者を処罰する法案が2006年10月に下院で可決され、トルコ政府が猛烈に反発したのも、トルコ加盟問題をめぐるフランス国民のいらだちの強さを表す。
にもかかわらず、ドイツとフランスは、EU統合の先兵の役割を放棄しようとはせず、統合の推進に主導権をとる。06年から07年に政権交代を果たした独仏両国が、さらなる統合の推進を狙って憲法条約の修正にイニシアチブを発揮したのは、そのなによりの証左である。ドイツは議長国として、07年3月のEU非公式首脳会議で、EU憲法を基盤とする政治形態の見直しを進め、憲法条約の簡素化を目標に、09年までに作業を終了させることをうたった「ベルリン宣言」の採択に尽力した。一方、フランスのサルコジ新大統領は、07年6月のEU首脳会議で、メルケル・ドイツ首相と連携してEU新憲法条約の制定のための合意形成に努めた。新憲法条約は「改革条約」とも呼ばれ、任期2年半のEU大統領に相当する常任議長職の新設や大幅な機構改革、欧州議会の権限強化、内務・司法分野での協力強化などを盛り込み、旧憲法条約をスリム化した政治統合の促進を目的とする条約である。
しかし、この首脳会議で、ポーランドなど新規に加盟した国々から大国主導型のEU統合の方向性に対して疑念が投げかけられ、難航したことも見逃せない。EUの全加盟国の批准を得やすいように簡素化されたEU「改革条約」でさえ、批准にいたるまでには、乗り越えなければならないナショナリズムの高い壁が立ちはだかっている。