キーワードは「タクシン」
反政府団体「民主市民連合」(PAD)によるバンコク郊外のスワンナプーム国際空港占拠で、2008年11月末以来数日間、日本人など多数の観光客らが出国できなくなったタイの騒ぎは記憶に新しい。PADが支持する民主党のアピシット党首(当時44歳)を首相とする新政権が翌12月に発足したことを受けて空港封鎖は解かれ、混迷を続けていた政局も小康状態を保っているが、一国の経済と国際的信用に大きな打撃を与えるような無法がなぜまかり通ったのか。海外との空の玄関口で突然足止めを食った人たちはもちろん、東南アジアにおける「民主化の優等生」と見なされていた国の近年の政情不安に戸惑っている人は少なくない。政情不安を読み解くキーワードは「タクシン」である。警察官僚からビジネスの世界に転じ通信事業で財をなしたタクシンは、タイ愛国党を結成、01年の総選挙における同党の圧勝で首相に就任した。05年の総選挙でも圧勝し、政権2期目に入った。この間、1997年のアジア通貨・経済危機で破たん状態だったタイ経済の立て直しに大きな成果をあげるとともに、歴代政権が軽視してきた農村の貧困問題に本格的に取り組んだ。国民のだれもが30バーツ(約90円)で医療サービスを受けられる制度、村ごとの特産品を作る「一村一品運動」への基金、貧困者への低利融資など、公的資金の投入によって草の根の経済開発を図った。タクシンは出身地の北部や東北部の農民層から絶大な支持を得た。
始まった「反タクシン」の巻き返し
だがその一方で、独断専行的な政治運営や政権に批判的なメディアへの露骨な介入に対して、国民の批判が高まり、2006年1月に浮上した首相一族の株売却疑惑を機に、バンコクでは首相の退陣を要求する市民集会が相つぐようになる。その中心となったのがPADだった。PADは市民団体と名乗っているが、その中心は首都の中間層やタクシンと対立するビジネスエリートだとされる。彼らはタクシンの反民主主義的姿勢や農村部へのバラマキ政治を批判、さらには彼の王室軽視まで問題にするようになる。タクシンは議会解散・総選挙で応じるが野党はボイコット、そして憲法裁判所による総選挙の無効とやり直しを命じる判決が出るなど混乱が深まるなか、同年9月、国軍は無血クーデターにより全権を掌握、外遊中のタクシンを追放した。愛国党は総選挙での買収を理由に憲法裁判所から解党命令の判決を下された。国軍によるクーデターはバンコク市民の多くの支持を得たものの、軍による暫定政権はみるべき成果を挙げられないまま、公約どおり07年12月に民主体制への復帰をめざす総選挙を行った。しかし、旧愛国党の流れをくむ「国民の力党」が勝利を収め、サマック内閣が発足する。これに反発する反タクシン派は、PADを中心に反政府集会から首相府占拠へと戦術をエスカレートさせ、タクシン支持派勢力との衝突で死傷者が出る騒ぎとなった。退陣を拒むサマックは、テレビの料理番組への出演が違憲行為だとする憲法裁判所の判決で08年9月に失職。後任のソムチャイ首相もタクシンの義弟であることから、PADは反タクシン攻勢の手をゆるめず、ついに空港占拠にまで暴走していった。前後して憲法裁判所が、ソムチャイ政権の連立与党に対して選挙違反を理由に解党命令を下し、政権は崩壊。新首相に反タクシン派のアピシットが選出された。
背後にあるエリート層内部の権力争い
一連の政治的混乱を引き起こしたタクシン派と反タクシン派の対立は、エリート層内部の権力争いと見られている。前者は、タクシンに代表される新興ビジネスエリートを基盤としている。後者は、彼らに既得権益を脅かされると警戒する王族、国軍などの旧権力層、タクシン派と利権対立するビジネスエリート、PADなどの都市中間層である。タクシンはその権力基盤を貧しい農民にも求めた。民主的な選挙によって権力の座に就きながら、首相としての反民主主義的な言動によって都市住民の反発を買ったものの、国民の多数を占める農村と都市の貧しい人びとは彼の貧困政策を支持してタクシン派に投票をし続けた。一方、経済発展の受益者として登場した都市中間層は、タクシンの農村重視政策を快く思わないだけでなく、貧困層は無学で政治に参加する資格がないと蔑視している。しかし反タクシン派は、農民層に支えられ民主的に選出された親タクシン政権を再び軍を動かして打倒することができないと見ると、司法を味方につけて政敵を追い込んでいった。憲法裁判所の一連の判決がそうであり、PADの暴走を警察が黙認したのもそうである。だから、彼らの勝利は「司法のクーデター」とも評された。空港占拠などの混乱による観光収入の落ち込みをはじめとする経済的な打撃にくわえ、アメリカ発の世界不況で景気が冷え込む状況のなかで、両者はしばらくは経済対策を優先せざるをえず、対立の先鋭化は避けるであろう。しかし、火種はくすぶり続けている。タクシン派は、民主的な選挙の結果と議会を尊重すべきだと主張する。一方反タクシン派は、既得権益を守るために民主的な自由を狭めようとする法的な動きに出ることも予想されている。彼らによれば、選挙は貧困層の買収などで腐敗していて民主的とは言えないため、投票権の制限や下院の権限縮小も検討すべきだということになる。
では、エリートたちの抗争に幻滅を感じた大多数の国民はどうなのか。タクシン政権下で農民は自分たちの一票が政治を動かせるのだという政治意識に目覚めさせられたとはいえ、彼らにはまだ独自に国政を動かせるだけの発言力はない。農村部も南部はいまだに反タクシンの民主党の地盤である。だが、都市と農村、都市内部の貧富の格差は解消されていない。労働組合、NGO、学生組織などの市民社会をめざす活動は、愛国党やPADから独立した第三勢力を形成するまでには至っていない。タイの政治はいま、ますます複雑化し、民主主義への展望が開けないまま立ち往生しているように見える。
PAD
People's Alliance for Democracy