(編集部註:登場する人物の肩書やチーム名は当時のものです)
スポーツ紛争と報道責任
今年(2026年)4月、別媒体でサッカーの我那覇(がなは)和樹選手(現・沖縄SV)が19年前に受けたドーピング疑惑が完全な冤罪であったことを改めてアナウンスする記事(「集英社オンライン」)、そして4月に亡くなられた故・今西和男さんが、FC岐阜から理不尽に排除されながらも大きな貢献を岐阜県に残していたという追悼文(「web Sportiva」)を続けて寄稿したところ、予想外の大きな反響を受けた。
多くは「全く知らなかった事実に触れた」というもの。我那覇の記事と同時に自著『争うは本意ならねど』(集英社文庫)をオンラインの期間限定で無料公開したことには意義も感じたが、やはりまだまだ真実が届けられていなかったのか、という落胆も大きかった。スポーツ紛争では、事実を伝えるメディアの責任が非常に大きい。我那覇が受けたのは、感冒治療の点滴であり、にんにく注射など打っていないが、2007年4月24日付「サンケイスポーツ」の最初の「にんにく注射でパワー全開」という誤報に、独自の裏取りをしなかったほとんどの新聞が引っ張られた。「朝日新聞」のサイトには検索するとまだ「ニンニク注射」が原因で我那覇と所属チームの川崎フロンターレが処分を受けたと報じる同年5月8日付の記事が残っている。
また我那覇本人に取材したライターの記事(※)でさえ、「疲労回復のための静脈注射」と大きな誤認が記されている。

川崎フロンターレ時代の我那覇和樹選手(2008年7月6日、横浜Fマリノス戦)(写真:アフロスポーツ)
我那覇は、疲労回復が目的ではなく、脱水症状に陥ったためにチームドクターの後藤秀隆医師の判断で正当な医療行為を施されたに過ぎない。これらの記事はすべて事実と異なるが、いまだに消されておらず、我那覇に対する大きな誤解を生じさせる一因になっている。一体、いつまで1人の現役選手に誤った情報で負荷をかけ続けるのか。我那覇が莫大なリスクを背負ってCAS(スポーツ仲裁裁判所)に向かったのは、自らの名誉のためだけではない。後進たちに真っ当な治療を受ける権利を享受させたいという思いからである。
当時はしかし、Jリーグの幹部へおもねる御用記者が少なくなかった。国会で我那覇の冤罪問題を取り上げた友近聡朗(としろう)参議院議員(元愛媛FC)に対して「鬼武健二チェアマンがすごく怒っていますよ」と間接的に圧力をかけてきたスポーツ紙の記者がいた(鬼武チェアマンは友近議員にとって早稲田大学サッカー部の先輩にあたる)。またWADA(世界アンチ・ドーピング機構)とCASが我那覇に無罪判定を出した後も「悪いのはJリーグではなくてサンケイスポーツではないか」と発信した書き手まで存在した。ネタが欲しいのか、そこまで「サッカー協会の偉い人」にゴマをすりたいのかと、怒髪が天を衝いた。
誤報は論外だが、では誰が無罪の我那覇に6試合の出場停止処分の罰を下したのか? サンスポの記者ではなく、医師でもあるJリーグの青木治人ドーピングコントロール委員長である。報道はあくまでも報道であり、人を裁くために公判や審理がある。ドーピング判定も同様だ。報道をうのみにして事情聴取の前に有罪だとか、罰則をマスコミに話すのは、人を裁く組織がやることではない。裁判所が警察発表だけを信じて容疑者をすべて有罪にしたら冤罪だらけになるだろう。
また、記者ではないが、事件の渦中に、当時百年構想パートナーとしてJリーグをスポンサードしていた朝日新聞は「私の視点」という提言ページに青木氏の主張を掲載している(2007年9月5日付)。そこでは、我那覇の冤罪に向き合おうとせず、ドーピングを医師のモラルの問題にすり替えて自説を補強している。メディアが競技団体のスポンサーになることの危うさをあらためて知る機会となった。
無辜(むこ)なる我那覇を罰しただけではなく、誤ったドーピング禁止規定の運用で一時期、日本サッカー協会(JFA)登録の小中高生にまで静脈注射の事前申請を義務付けて、子どもたちを潜在的なドーピング違反者にしてしまった青木氏は、得意の政治力からか、この春に瑞宝中綬章を受章している。そのようなものに人生の価値を見出すのも勝手だが、一人のサッカー選手の未来を壊しておきながら、謝罪もしないままの受章を恥ずかしく思わないのだろうか。我那覇に手紙を送り、異議申し立てへと背中を押した浦和レッズの仁賀(にが)定雄ドクターは、小野伸二、長谷部誠をはじめ、ケガに悩まされた多くのプロアスリートを治療してきた名医で、「神の手」とまで賞賛されてきたが、表彰や取材の依頼が来ても「自分が治せなかった選手に申し訳ない」と表に出ずに固辞してきた。医師としての喜びをどこに感じているか、青木氏とは好対照である。
FC岐阜に尽くした今西和男さん
サンフレッチェ広島の初代総監督で、後にFC岐阜の社長を務め、Jリーグ加盟や岐阜財界の信頼回復に尽力した今西和男さんに対しても、同様に誤った情報が流通している。「今西さんは広島では多くの人材を育てたが、FC岐阜では経営者として失敗したので辞任し、そのあとの経営メンバーの努力であらたな地元経済界のサポートが得られて経営が安定した」というものだ。これも全く違う。FC岐阜は、創設者たちのあまりに不誠実な振る舞いにより、県内の関係者から不評を買い、地元の経済界からも相手にされていなかった。そのFC岐阜の信頼をマイナスから勝ち得ていったのは、2007年に社長に就任してから地域貢献をし続けた今西さんの地道な献身努力だった。

2007年12月からFC岐阜の社長を務めた今西和男さん(2008年2月29日)(写真:アフロスポーツ)
西濃運輸の田口義嘉壽(よしかず)会長も、その人柄に惹かれ、「今西さんにこれ以上苦労をかけられない、継続支援をしてオール岐阜で支援して債務超過を失くしていこう。(ショートする)1.5億円を力を合わせて集めていきましょう」と経営安定化委員会で宣言するに至った。岐阜県中小企業団体中央会の辻正(ただし)会長はさらに「支援は1年で終わりではだめ。これはライセンスの問題ではなく岐阜県の問題です」と名言を残し、継続支援を約束した。この発言には伏線があった。「東京の会社にスポンサーになってもらうのも1つのやり方ですね」という辻会長に、今西さんが、「東京の会社では意味がないのです、岐阜の企業に支えてもらうことになってこそ、意味があるのです」と熱く説いたのである。辻会長の心はそこで大きく動き、先の発言に繋がった。岐阜の財界2トップからの協力を取り付けたのは、今西さんの大功績である。
古田肇岐阜県知事はこういう経緯があったにもかかわらず、権威に弱く、2012年に導入されたた、日本独自のローカルルールでしかないクラブライセンス制度(Jリーグの参加資格査定制度)におののいて大恩人の解任に動いてしまった。しっかりと情報を精査すれば、何が岐阜県のためになるのか、自明であったが、首長としての矜持も担力も無かった。Jリーグクラブライセンス事務局は、自分たちに従順な態度を示さない今西さんに対して「経営者としてのやる気が見えない」と極めて不定量な理由を掲げ、ライセンス交付を人質に今西さんの退陣を岐阜県庁に迫ったのは、冒頭リンクの追悼文で記した通りだ。
今年1月、J2ブラウブリッツ秋田の新スタジアム整備をめぐって、Jリーグ側が秋田市に向けて「5000人は不十分、1万人上限では志が低い」と発言したことに対し、沼谷純市長が激怒、「極めて常識がなさすぎる。(Jリーグ側の)傲慢(ごうまん)な態度に対し市民の理解を得るのは難しくなる」と反発したのを見て、かつての体質がいまだに残っているのかと思えた。FC岐阜に関していえば、Jリーグも県庁知事もあまりに視野狭窄で愚かであった。あのまま今西社長で再興すれば、サンフレッチェ広島同様にどれだけの人材が岐阜から輩出されていただろうかと思う。
今西さんは、最後は県庁から送られてきた新社長によってAD(アクレディテーション)パスも取り上げられ、ホーム最終戦のサポーターへの挨拶もゲストパスでの入場を余儀なくされた。前任者たちがこしらえた1億5000万円の負債を個人保証し、Jリーグ加盟に貢献しながら、最後はゲストという表記のパスを首から下げてのスタジアム挨拶に、どれだけ悔しい思いをされていたことか。ボイコットしてもおかしくない扱いだが、それでも育将は、最後まで終始笑顔でサポーターに別れを告げていた。なお、当時のJリーグクラブライセンス事務局の大河正明氏はポストアップを続け、現在はバレーボールのSVリーグのチェアマンの任にある。
これらの事件ではハラスメント加害者がJリーグということで、ヒラメのように上を見て口を閉ざす者が多い中、しかし、忖度せずに筋を通した記者やメディアも存在する。
サッカージャーナリストの大住良之氏は2007年11月21日付の「東京新聞」のコラムで「我那覇問題 川崎は行動を起こせ」というタイトルで、我那覇の事件は裁いた側に大きな問題があったことを指摘し、所属の川崎フロンターレは、事件を終わったことにせずに後藤ドクターと我那覇の潔白証明のためにスポーツ仲裁の申し立てに加わるべきだと主張。「(2人を見捨てずに)川崎は行動を起こすべきだ。それが本当の『プレイヤーズファースト』の考え方ではないか」と結んでいる。
「岐阜新聞」の野村克之記者は2012年11月28日の朝刊で、県民のクラブをうたいながら負債だけは県民でない今西前社長におしつけたことや、不幸な時代を作った草創期の元取締役がアドバイザーに再び就任したことを憂うとして堂々とFC岐阜の経営再建策を批判し、正論を展開した。